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短編小説『げんこつトマトの夏』

蝉が競うように鳴く、八月の北海道。
僕は郊外の住宅街を歩いていました。それぞれの家が結構な広さの畑を持っています。ひとつの畑の前で、僕は立ち止まりました。その畑は、他とちがうと気づきました。
ここなら、最高のあれがあるかもしれません。
「はあ、今日もあっちいなあ。抜いても、抜いても、草ぼうぼう……」
「すみません!」
「おお……ってなんだ、その格好は?」
「どこか変ですか?」
「まあ、いまどき男子でも日傘は差すか。しかし、おまえ、重装備だな。サングラスにアームカバーなんて」
「そりゃあ、夏を制するものは美肌を制する、ですから!」
「へえ、いろんなことわざがあるもんだなあ」
「いまのはことわざではなくて、僕、小川蒼太の格言です」
「胸張って言うなよ……ん、おまえ、蒼太か?」
「はい、蒼太です」
「サングラスつけてたから、わかんなかったわ」
「どこかでお会いしましたっけ?」
「どこかも何も……わかるわけないか。俺は周平、小川周平」
「小川ってことは、僕の親戚ですよね。周平くん」
「……そうだよ。俺のことは周平でいい」
「ここの畑、見覚えあると思ったんですよ。懐かしいな。がんこじいさんがいつもいて、ここでいろんな野菜をつくってました」
「……がんこじいさん、かあ。で、俺に何の用だ?」
「そうだった。お願いです! げんこつトマト、ください! 一個でいいから!」
「げんこつトマトかあ……」
「僕、げんこつトマトのために東京から来たんです」
「げんこつトマトは収穫時期がくれば、店で売られるぞ? わざわざ北海道まで来なくても」
「採れたてがうまいって言うじゃないですか!」
「野菜の輸送は進んでるんだよ。北海道で採れたら、翌日には東京だ」
「ツルからプチッてもいで、わしづかみにして、ガブリ! モグモグ! ああ、やってみたかったなあ」
「食い意地が張ってんなあ……蒼太、すっかり野菜好きになっちゃって」
「なんか言いましたか?」
「いや。でもな蒼太……俺の畑では、育たないんだ。げんこつトマトだけは」
「じゃあ、手伝います! ふたりでやれば、でっかいのができますよ!」
「は、できんのか、おまえに? 日傘差して、グラサンかけて、アームカバーつけてるおまえに!」
「だって、日焼けしたくないです!」
「日焼けは真夏の勲章じゃ! 日焼けにビビってんなら、家庭菜園は無理!」
「無理じゃないです! ちょっと待っていてください」
「おーい、どこ行くんだー?」

「ほら、ホームセンターで買ってきました……じゃーん!」
「ほう、農園フードか」
「これならフードで首まで隠れて、日に焼けません。八月の太陽もへっちゃらです」
「そこまでやるなら……いいぜ」
「やったー!」
「どうして俺の畑にこだわるんだ?」
「ここの野菜がかっこいいからですよ!」
「かっこいい?」
「さやいんげんは、実がはじけて飛び出そうなほどでかいし、ミニトマトはプリプリつやつや! これなら期待できます。この畑は、才能ある畑です。すごいのができるはずですよ!」
「畑に才能はないよ。持ち主がどれだけ手間ひまかけたか、だ」
「じゃあ、僕もがんばらないと!」
こうして僕、小川蒼太は、小川周平の畑を手伝うことになりました。
おいしいおいしい、げんこつトマトをつくるために。
そしてこの夏は、僕らにとって奇跡の夏になりました。

「猫がきゅうりのネットに絡みつくなんて、びっくりしました」
「蒼太のおかげで、すぐに直せた。ありがとう。よく働くなあ、蒼太は」
「汗をかくくらい体を動かせば、毛穴にいいですから」
「また美肌のためか」
「周平、麦茶飲んできていい?」
「おう、先に家に入れ。俺もあとで行く」

「あった。麦茶……あれ、気のせいかな。まあ、いいや」
キンキンに冷えた麦茶を一気飲みしました。
「かーっ、しみわたる!」
僕は汗をハンカチで拭いながら、テレビをつけました。
「今日からはじまるドラマ、録画するの忘れてたな。ここでも観られるといいなあ」
リモコンをいろいろ押すけど、目当てのチャンネルがわかりません。あとで周平に訊くことにしようと思いました。
僕はハンカチをバッグにしまいました。そして取り出したのは……。
「そろそろ塗り直すか」
「ただいま……って、蒼太。何やってんだ?」
「日焼け止めの塗り直し。汗をかいたら、日焼け止めが落ちるんです」
「はあ、まめな男だなあ」
「あの、周平」
「んー?」
「麦茶、足したんですか? 朝から減ってない気がするんですけど」
「……気のせいじゃないか?」
「そうかなあ。ところで、ここのテレビ、九チャンネルは観られますか? 今日からドラマがはじまるんですよ。『火曜ドラマ美容男子、参る』って番組です。えっと、新聞、新聞……」
「……ほらよ」
「あれ、番組がない。ん? 八月十四日、月曜日……? 今日、月曜日だっけ?」
僕はテーブルに置いていたスマホを手に取りました。
「あれ、カレンダー表示が消えている……スマホ壊れたかな」
「くそ! やっぱり、蒼太も巻き込まれたか」
「え?」
「繰り返してんだよ」
「繰り返し?」
「俺は、八月十四日を繰り返してるんだよ! ずっと、ずっとな!」
「何言ってんですか! タイムループなんてあるわけないですよ!」
「減らない麦茶! 変わらない新聞! これが何よりの証拠だ! だから……蒼太に畑を手伝わせたくなかったんだ。俺に近づけば、おまえだってループしてしまう!」
「どうしよう、解決策は……」
「何回も八月十四日を繰り返して、俺はいろんな野菜を育てたんだ。でもいくら時がリセットされても、育たないのが……」
「まさか」
「ああ」
僕と周平は同時に言いました。
「げんこつトマト……」
そのとき、テレビ番組がニュースから天気予報に切り替わりました。
『気象情報です。今夜、北海道に台風七号が上陸します』
「やっぱきたか……十四日の夜に台風がやってきて、朝にはループするんだ」
「じゃあ、台風の進路を変えれば」
「できるわけないだろ! それに台風じゃないんだ、問題は……」

夜になると、天気が荒れてきました。
窓ガラスに雨粒が叩きつけられています。その音が激しく、強くなっていきます。
風が、木を揺らし、家の壁に当たります。大きな化け物が雨雲から顔を出して、ひゅうぅっと息を吐いているかのようです。
「風が強くなりましたね」
「そろそろ、起こるぞ」
「うわ!?」
突然、電気が消えました。
「周平、懐中電灯あります?」
「ある。ほれ」
「あれ、つかないですよ!?」
「何!? くそ、今度こそ回避できると思ったのに」
「周平?」
「いつも停電になって、俺は懐中電灯を探すんだ。でも結局見つからないんだ。そのまま眠くなって、気づいたらループしている。今日はあらかじめ店で買ってきたのに、電池を入れ忘れるとは……」
「本当に懐中電灯は家にないんですか?」
「一階にないなら、あとは二階を探すだけだ」
「僕、探します!」
「こら、暗いのに階段を登ったら……」
「大丈夫ですよ!」
僕は階段を登り切りました。
「おーい、蒼太。突き当たりのトイレのなかにないか?」
「あ、ありました!」
僕は階段を降りようとしたんですが……。
「うわ、うわわわわ!?」
「何やってんだ、蒼太!?」

周平の大きな声。どこかで聞いたことがあるような気がします。
そうでした。
僕は小さい頃、日焼けなんてへっちゃらでした。
ギラギラの太陽の下、汗をかきながら、幼い僕は毎日のように畑のなかを走り回っていました。
みずみずしいきゅうり。ほくほくしたじゃがいも。苦味が癖になるピーマン。ジューシーなとうもろこし。
がんこじいさんがくれる、たくさんの野菜。僕は野菜をお腹いっぱい食べていました。
最後に会ったとき、がんこじいさんは僕を怒鳴ったんです。
僕が、畑のなかに隠れていた、おおきくて真っ赤なトマトを見つけたから……。
『何やってんだ、蒼太』って……大声で……。

「蒼太、蒼太」
「ん……」
「大丈夫か?」
「あれ?」
「階段を転がり落ちたときは、肝が冷えたぞ。受け止めることができてよかった」
「周平……がんこじいさんって知ってますか?」
「がんこじいさん?」
「僕のじいちゃんの兄で、この畑の持ち主だったんです」
「そうか……おまえは、俺のことをがんこじいさんと呼んでいたのか」
「え?」
「蒼太、落ち着いて聞けよ。おまえの言っている、がんこじいさんは俺のことだ」
「え……嘘!?」
「蒼太、野菜は子供の味方だ!」
「その言葉!」
「漫画やアニメの子供が野菜嫌いだから、野菜は泣いているんだ。蒼太は野菜を悲しませてはいかんぞ!」
「じいさん……本当に、がんこじいさんなの?」
「ああ」
「じいさん……! どうして、若返ったんですか?」
「蒼太が家に来なくなった夏に台風が来たんだ。停電して、懐中電灯を二階から取りに行こうとした。階段を転がり落ちて、気づいたらこの姿だ」
「それから、ずっと……?」
「ああ、八月十四日をやり直している。きっと本当はあのとき、頭でも打って俺は死んだんだ。でも未練があって、畑をずっと耕して……」
「なんで……」
「俺には理由がわかった気がする。ほら……蒼太。朝が来た」
「あ、日付けは……」
僕はスマホを見ました。
「十五日になっています!」
「蒼太に会うためだ」
「え?」
「俺は蒼太に会うために、終わらない八月十四日を生きてきたんだ」
「周平……」

それから毎日、僕と周平は畑作業をしました。
げんこつトマトの苗は、ぐんぐん大きくなりました。
夏の終わりのやわらかな風が吹く日。畑の奥で、周平が手招きをしていました。僕は、草を踏んで周平の元へ向かいました。
周平が指差す先には……。
「ほら、食べごろだぞ。蒼太」
「……いらない」
「どうした? ツルからプチッともいで、ガブリってしたかったんだろ?」
「僕がげんこつトマトを食べたら、周平の未練はなくなるんですよね? いなくなっちゃうじゃないですか……」
「蒼太。あの日みたいに齧りつけって、ほら」
「あの日って……。僕が熟したでっかいトマトを齧ったら、周平、怒鳴ったじゃないですか」
「あ、あー……そうだったなあ」
「だから、僕はこの畑に来るのをやめたんです」
「白いTシャツが真っ赤になってたからだよ。転んで血が出たのかと思ったんだ」
「おいしそうなトマトを食べたからじゃないんですか?」
「ちがう、ちがう! もしかして、そのあとのこと覚えていないか?『来年の夏は、新しい品種のトマトを植えるから食べに来いよ。太陽が空から落ちてきたみたいな、おっきいトマトを食わせてやるからな』って、俺はおまえと約束したんだ」
「その新しいトマトって……」
「このげんこつトマトだよ」
周平は、げんこつトマトをもぎました。
ひときわ大きくて、真っ赤なトマトを。
「やっと、蒼太に食わせられる。ほら、食わないと。おまえが食わないと、俺はまた八月十四日を繰り返すことになるんだぞ」
僕は、げんこつトマトを齧りました。
太陽の力で大きく育った、げんこつトマトを。
「どうだ?」
「甘くて、濃くて、最高です!」
「そりゃ、よかった!」
「周平、体が……」
周平の体が透き通ってきました。
「まあ、願いが叶えば、俺がこの世にいる意味はないもんなあ……」
「ちょっと待って、周平!」
「蒼太! 残りのげんこつトマト、収穫しろよ!」
「うん!」
「日焼け嫌いでもいいけど、家に閉じこもるなよ」
「うん、うん!」
「あとは……まあ、おまえの好きなように生きろ」
「周平……」
「俺は野菜が好きだから、こんな生き方をしたんだ。じゃあな、蒼太」
「うん。さよなら……周平」

僕は照りつける太陽の下、げんこつトマトを収穫しました。
ビニール袋に入れて、近所の人に配りました。みんな、みんな、周平……いや、がんこじいさんのことを話してくれました。がんこじいさんはいつも、いろいろな野菜を近所に配っていたそうです。
僕は自分の分のげんこつトマトをビニール袋に入れると、駅へ向かいました。
「今日は日傘はいいかな」
いまは、強い太陽の光を全身に浴びたかったんです。
僕を待って、終わらない八月十四日を生きてきた周平。彼はどんな気持ちで、げんこつトマトをつくってきたんでしょうか。
歩いてきた道を振り返りました。
夏のゆらめく陽炎。目をこらすと、周平の姿が見えるような気がしたんです。
でも、周平はもうどこにもいません。
鮮やかな夏空を見上げて、僕はあまりのまぶしさに目を細めました。

【了】

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