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早咲きの桜が届けてくれたのは

この冬はやたら雪が多く
寒い日が続く中

お花屋さんで
早咲きの桜の枝を見かけた。

桜といえば
私が今の土地に移り住んだときから
うちの裏藪には桜の木があった。

15年もの間に枝は伸び
うちの2階の窓を開ければ
手が届くほどの距離にまで
なっていた。

春になればうちの中で
お花見だってできてしまう
この借景の美しさは
私のお気に入りの一つだった。



しかしながら花びらが散ったのち
がく筒と呼ばれる
花びらの付け根部分が
雨に降られて落ちると

わが家の白い外壁には
無数の赤い汚れが点々と
ついてしまうという問題が
発生するようになった。

玄関面ではなく裏側の外壁なので
私はたいして
気にしていなかったけれど

これに辛抱ならなくなった
だんなさんは
どうにかしてもらうよう
自治会に交渉したらしい。

去年の夏のある日
山林の木材を伐採するような
ものすごい重機がやってきて

桜の木は根元からバッサリと
斬り倒されてしまったのだった。

この寒い冬が終わりを告げても
裏藪の桜の花を見ることは
もう叶わなくなったことを

お花屋さんの桜を見て思い出し
少し淋しい気分になった。



お花見の思い出は

若かりし頃
酔いが回りすぎて気分が悪くなり
会社の同僚たちの
お世話になったこと

母となり
こどもを連れて公園へ出掛け
頑張って作ったお弁当を
食べたことなど

人並みにある中で

これまた月並みではあるが
一つふいに甦ってきた記憶がある。

桜の並木道で
停められた好きな人の車の
助手席から

空の青が見えないくらい
咲き乱れた花を
見上げた記憶。

もちろんその桜の花にも
感動したけれど

そこへ連れてきてくれた
相手の気持ちや
一緒に過ごせる時間が
何より嬉しかったのだと振り返る。



考えてみれば
うちの窓から見れなくなったとて
桜を愛でる方法なんて
他にいくらでもある。

うちから数十メートル歩けば
川沿いに並ぶ桜の木があるし

お花屋さんから切り枝を買ってきて
うちで花器に
生けることだってできる。

なんなら桜がなくても

春の訪れは
道端のつくしからも感じられるし

好きな人と車で共に過ごせるなら
どしゃ降りの雨の中だって
いとわない。

今の私にとっては桜の花より
あの人の頑張りに花が咲く方が
ずっとずっと嬉しい。



形にこだわり過ぎると
ときに本質的なことを忘れてしまい
他に目を向けられなくなったり
するけれど

実はたくさんのものに
恵まれているのだ。

それに気づけた瞬間
何かあっても「大丈夫」という
安心感に包まれていく。

早咲きの桜が春より先に
私に届けてくれたのは

そんな優しい気持ち。

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