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気づいたら背中しか見えない

今朝、家事と家事と家事と仕事の段取りと家事の合間に
歯を磨いていたら、
がちゃんとドアが開く音がして、
洗面所から顔を出したら中学生の息子が登校しようとしていた。

「いってらっふぁい」
と歯ブラシを口に突っ込んだまま言うと、

「うぃー」とだけ答えて、
巨大なリュックサックを背負った
巨大は人は行ってしまった。

残されたあと、なんだか胸の中が
スーッと空洞になるような気がして、

「あ、寂しいんだ」と、思った。

***

13年前、息子が生後半年になったのを機に、保育園に通わせた。

私は当時(も、今も)しがないフリーランスで、
産休も育休もなく、
出産前からいただいていた仕事を、
産後1週間後に、書いて送った。
とにかく新生児という生き物の巨大な鳴き声に、右往左往していた私は、
書いたら仕事が出来上がる、その大人の世界のよろこびに痺れた。

だけど、それはそれは元気によく泣く赤ちゃんの世話をするのは
やっぱり大仕事だった。

おっぱいをくれと言って泣く。
飲ませたら足りねーと言って泣く。
ミルクを足したら腹がいっぱいだと言って泣く。
私がトイレで用を足していたら「どこにいんだ、おかん!」と泣く。
眠る前は当然泣く。
起きた瞬間泣く。
すぐ病気になったり熱を出したりして、泣く。
いや、赤ちゃんは泣くのが仕事なんだけど、
私もおろおろ泣いてばかりいた。

当時、都心の小さなアパートで暮らし、あまり知人もおらず、
夫は激務だったし、他に頼れる人もいなくて、
ひたすら息子の泣き声を聞いて宥めていたような記憶しかない。

ずっと抱っこをしながらソファに座っている時間が延々と過ぎ、
とてもパソコンに向かうことなどできなくなった。

自分が壊れるかと思った。

数ヶ月後翻訳本を手伝うお仕事が入ったとき、私の胸はときめいて、
息子を保育園に預けることに決めた。

****

0歳の時は、大丈夫だったのだ。
毎朝息子は園に入ると、お気に入りの車のおもちゃに向かって突進し、
お迎えに行くと私の顔を見てにっこり笑ってハイハイで突進してきた。
そんな息子がいじらしく、でもどこか罪悪感を抱いていた私は
ホッとしながらも、「ごめんね」などと思っていた。

だけど物心つくと、息子は保育園に行くのを渋り始め、
2、3歳になると毎朝抵抗するようになった。
元々、意志の強い子なのだ。息子は保育園が好きじゃなかった。
(と、大きくなった今も本人がそう言っている)

だが、その頃には編集部に毎日通うようになっていた私は
そうそう仕事を休めるはずもなく、
足にまとわりつく息子を引き剥がすようにして、先生に預けた。

保育園の門を出る前の坂道を急いで下っていると、

「かかー!! かーかぁぁーーーーー!!!!ああああああーー!」

と叫ぶ息子の声が、聞こえる。毎朝。

その声から逃げるようにして、ダッシュで駅に向かい
電車に飛び乗って、満員電車の中で、
毎日、ボロボロ泣いた。

周りの人は情緒不安定な女がいると思ってビビっただろうか。
人からの視線を気にすることもできなくなっていたくらい私も病んでいた。

罪悪感と自己嫌悪と、
こんなに小さい時からお母さんがそばにいてあげてなくて
取り返しがつかないことになったらどうしよう、という不安と
もういっそ仕事をやめようかという思いと、
やめてどうなるんだ、という思いと、
色々がもうごちゃ混ぜになって、
悲しいのかなんなのか、わからないけれど、涙が垂れた。

***

息子とのこういうやりとりは、息子が5歳ごろまで
結構長く続いた。
だけど、自分の言葉で色々話せるようになるやいなや
息子は断固として保育園に通うことを拒み、長期で休んだり、
小学生になって入った学童を早々に自主退所したりして、
自由でいる権利を掴むことになる。

今から思えば立派なことだ。
そして息子は、今ちゃんと自分の意見をしっかり持って
相手の気持ちもわかるような人になってくれている。

いつか、「保育園の時、お母さんいつも焦ってバタバタしてて、怒ったりもして、ごめんね」と突然謝ったら、
「そんなの、別に。それが悪いことだったと思ってないし」
とも言ってくれた。(涙)(涙)(涙)

それでも、当時の私は、毎朝ため息をつきながら
働くことと子どものそばにいることの間で
ずっと揺れ動きながら、仕事をし続けていた。

いや、つい最近まで、いや、今でも、
子どものそばにできるだけスタンバイして、
必要な時にアシスタント的に動ける母親じゃないことに
落第点を自分でつけて、
仕事であちこち出掛けて人に会ったり、静かに考えたり、
取材の経験や感覚を言葉にする仕事とのバランスに四苦八苦している。

いつも母親として足りてないかも、とも思う。
いつも仕事が中途半端じゃないか、とも思う。

今朝もそうやって、
皿を洗って洗濯物を干している間に
「ああ、今日何を書こうか」
「あのことをうまくまとめるにはどうすりゃいいんだ」
「いや、その前にテープ起こしせねば」
「いや、その前に、ページ構成表を作らねば」

などと考えて歯を磨いていたのだ。

***

でも、気がついたら、もうそこに止まっているのは
私だけだった。

ドアがきーっとなる音がしたときに。

私が、私たちは13年前から
ずっと同じ毎日を過ごしているよねと思い込んでいる間に。

息子は自分でドアを開け、
気がついた時には、
リュックサックしか見えないところに、
行ってしまっていた。

「いってらっしゃい」が、
届くか届かないかわからないうちに、
あの子の背中はもう
私の見えないところに、行ってしまっていた。

「うぃー」という声は
軽々として伸びやかで、
守ってくれる「かか」を
清々しいほど求めていなかった。

そのことに気づいてしまって、
私は、どこか嬉しくて、
でも、ただただ寂しくて、
息子がいなくなって1時間も立っているのに、
一人ソファに座って、あの泣き虫の赤ちゃんを抱いてもいないのに、
あの赤ちゃんを恋しく思って、途方にくれている。


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