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病気の人にかける言葉

病気の人にどんな声掛けをしたらいいか迷う場合がある。

サクっと検索してみても、たくさんのサイトでこんな言葉は言っちゃいけない、こういう言葉を言うと良いリストが出てきます。

よくあるのは、辛い人に『頑張って』と言っちゃいけない。

ところが、ガンサバイバーのウェブサイトでは、言われて嬉しかった言葉に『頑張って』が上がっていました。

私が嬉しかった言葉は何だろうかと振り返ってみると、『信じてるよ。絶対良くなるから。』これは心がじんわりと暖かくなり、支えとなり、とても嬉しかったので心に残っています。


そこで立ち止まって考えてみた。
それじゃぁ、これは誰から言われても嬉しい言葉なのか。

そうでもない。

相手によっては、いったい何の根拠を持ってあんたが私の何を信じてるというのか!と腹を立てるかもしれない。

この差はいったいなんだろうと考えてみる。

それは言葉そのものではなく。


人、思い。



家族だから、職場の同僚だから、友人だから、知り合いだから、ここまでの声掛け。

そういうことじゃない、

相手に対してその人が持つ心と精神性なのだと思います。


昨今、取締が厳しいセクハラ、パワハラ、ありとあらゆるハラスメント。

相手側が不快に思った時点でアウト!どんな言葉でもハラスメントになってしまいます。

実はこちらも、言葉そのものよりも相手との関係性や、その人の心・精神性によるものが多い。
Aさんが言うならいいけど、Bさんならハラスメント!的な。

確かに厳しくなったことにより、無用なハラスメント、境界線が曖昧な会話が少なくなり、職場が安心な場所に変わったと感じている方も多いかと思います。

ですがそうなってくると、上司は注意しすぎて仕事以外の声掛けができない、また受ける側も敏感になりすぎて、何でもかんでもパワハラ、セクハラ。
杓子定規な会話しかできなくなってしまいます。


オーストラリアで長年生活して帰って来て、日本で働いた時の、少し人間味にかけた会話に衝撃を受けたことを覚えています。


例えば、週末どうだった?どっかいった?みたいな会話がない。
どうやら個人情報保護法とかで、個人的なことを聞いてはいけないらしい。

上司がアフター5の一杯に誘ってはいけない。などなど。。

一見自由な世の中になりましたが、それと同時にルールがたくさん出来て、なんとも窮屈な世の中になったものだと感じます。


いけない、話がそれました。


病人を励ましてあげたい、でも何て声をかけてあげたらいいかわからない。。。

と悩んでいる方がいたら、言いたい。

何が正解なんてわからないんです。

だから、

ルール通りの言葉じゃなくていい、
かっこいい言葉じゃなくていい、

肝心なのは、

相手のことを心から思った時に出る思いを
あなたらしい言葉で表現する。


言葉が思い浮かばないときは、
『あなたのことを想っています。』と優しく肩に触れるなど。(触れられる相手なら)

言葉以上に、手から伝わるぬくもりも大きいものです。

また、独りよがりな声掛けは相手に伝わってしまうので、言う前によく考えましょう。

『困ったことがあったら、何でも言ってね。』

相手を思いやった素敵な声掛けだと思います。
が、本当にやる気持ちがあるのか、言葉にする前に自分に聞いてみる。
無理はいけません。
何故かというと、実際に頼まれた時に自分が困ったことになるからです。

やれないなら言わない。
やるつもりがないなら言わない。

もちろん、本当に相手を思って、やれる範囲でやる!という気持ちがあるならば是非、言ってあげてください。

自分の言葉に責任を持つということです。


こういう時にもやっぱり、自分自身のことをよく知っていると助かります。

助けたい!って思うんだけど、すぐいっぱいいっぱいになっちゃうんだよな〜とか。
やりすぎちゃうんだよな〜とか。

人を助けるにも、自分を助けるにも、まずは自分をよく知ることから。


病人を家族に持つ人の間などで話題にあがる病人への声掛け。

私が感じたことを書いてみました。


愛をこめて

たまひろ




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