見出し画像

積極装置


 Sはこの世に嫌気がさしていた。確かにここ数年で世界は急に便利になった。コンビニに行っても、かつてはいた従業員の影はない。店舗も小さくなり、欲しいものをモニターに言えば、その通りの商品が出てくる。もちろん会計は自動引き落としで、今では現金を持ち歩いている人のほうが珍しい。そのお金はというと3年前から政府により国民にベーシックインカムとして生活を送るには十分な収入が与えられるようになり、仕事をする人もほとんどいなくなった。他にも昔の人から見れば考えられないかもしれないが、美容室にも美容師なんていない。コンビニと同じようにモニターでなりたい髪型を選択し、頭から装置を被れば、5分後にはその髪型になっている。切るも伸ばすも自在というわけだ。だが驚くかもしれないがこのようなものはすべて5年以内にできたもので、それ以前はいわゆる人々が普通と認識していた生活を送っていた。主婦は買い物をしたければスーパーに行くし、子供は学校に教育を受けに行く。しかし5年間の間にスーパーという建物は無くなり買い物はすべてオンライン、教育も家で仮想現実を投影するヘルメットをかぶって個性豊かな子供仕様のAIと一緒に、いわゆる理想的なAIの教師に様々なことを教わる。ここまで急に変われば異を唱えそうな人がいそうなものだが、そんな人は誰一人いなかった。5年間の間に人類も変化したのである。社会の便利度の向上に反比例するように人類の積極性は減少した。今ではブースと呼ばれる移動型の住居から出ようとする者はいない。ただ一人Sを除いて。
Sも最初は世界が便利になっていくのを見て喜ばしいと思っていたが人々が無気力になっていくのを目の当たりにするとそうも思えなくなっていた。だが人ひとりがどうしようが世界が変わることはないなんてことはSにもわかっていた。だからといって何もしないのも自分も無気力になっているようで嫌だったので、Sはせめて自分だけは最大限積極性を保つことにした。まず移動型のブースをでて空き家を自らの家とし、買い物はオンラインで最小限にとどめ野菜などは自分で栽培した。そんな生活を2か月続けていたある日、一人の男が乗ったブースが家に近づいてきた。その男はブースから降りてくるなり、Sに共同生活をさせてほしいと頼み込んだ。男が言うには1か月前にSの家の上をブースで通り掛かったときに少し気になり、それからSの生活を観察して自分の無気力さに嫌気がさしたというのだ。Sにとってこのことは予想だにしていなかったが嬉しい出来事であった。1人が2人になればできることは格段に増え、2人は様々なことに取り組んだ。そして2人生活に慣れた頃、またもや共同生活を申し込むものが訪れた。それから空き家に住む人数は3人、4人、5人と増えていき、最初に訪れた男はもう独立して生活できるようにまでなっていた。そうして2年が経った頃には結構な人数が無気力な生活から抜け出していた。Sは人々の変化の早さに対する驚きもあったが、それよりも達成感や満足感が勝っていた。俺は世界を変えたんだ、そう心の中で叫んだ瞬間Sの目の前は真っ暗になった。

~とある病院~
女「我が子ももう1歳になるのね。早く会いたいわ。私の顔覚えてるかしら?」
男「さあ、どうだろうね。なんにしても楽しみだよ。あっ俺たち呼ばれたみたいだぞ。」
医師「では新生児教育のおさらいをしますね。あなた方のお子さんは生まれから1歳になるまで仮想空間で約30年間相当の生活を送っていただきます。その中ではある時期に急に自分の周りのAIが無気力になりますが、お子さんにはそれを克服していただきます。そうすることによって積極性が本能的に身に付きます。」
女「その生活の記憶はどうなるのですか?」
医師「その記憶は自動的に消去されますが、積極性は本能として残るのでご安心ください。」
男「本当に積極性だけのこるのかねぇ?」
医師「大丈夫ですよ、その一例として出生率も導入前に比べて確実に増えましたよ。」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?