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暗転でスイッチ

12歳で演劇に出会った。はじめて見た芝居は、中学に入学したてのとき、先輩たちがやっていたもの。半地下の狭い教室で、机といすをうまく並べて舞台を作り、小型のピンスポットで照明、カセットデッキで音響をやっていた。そしてキャストの先輩たちがとにかくカッコよかった。心を鷲掴みにされた私は演劇部に入って、中学高校は演劇中心の生活になった。

あれからもう21年も経っている。演劇を実際にやるのは高校までで終わって、そのあとは見る専門になった。はじめて自分でお金を払って観に行ったのは中2の冬で、たしか本多劇場だったと思う。学生時代はお金がなくて、たまにしか劇場に観に行けなかった。でも、バイトしたお金で観に行く芝居はいつでも魅力に溢れていた。

外国に住んでいるときは日本の劇場に観に行けなくて、じりじりしていた。一時帰国のときは必ず何かしらを観に行き、本帰国後は、観に行けなかった期間を取り戻すかのようにばんばん観に行っていた。ここ数年は月1は必ず観に行っていた。

コロナ禍で3月から5月にかけて、多くの、いや、ほぼすべての公演がキャンセル・延期になった。心が痛かった。ただでさえ、さまざまなコンテンツのある世の中で、演劇が生き残っていくのはきびしいのに、公演自体ができないなんて。関係者の方の無力感を気の毒に思い、経営面が心配になった。今もその思いがある。

今週、本多劇場制作?のDistanceという興行があった。(今日の夕方の回が千秋楽) 興行と言っても、実際に劇場に行ってみるのではなく、配信を家で観るというかたちだけれど、ひさびさの芝居だ!と思い、チケットを買って(=配信料を払って)、観劇した。

あらためて演劇の魅力を考えるきっかけになった。おおぜいが一堂に会して、一体感を味わうこと。舞台上の役者と私が一対一でじかにコミュニケーションをとること。役者の熱量に触れること。拍手の波にうもれること。

あと、何が好きって、暗転のあの瞬間がたまらないのだ。自然と深呼吸になる。けれど緊張感もある。何とも言えないワクワク感・高揚感も。そして何か、自分の中で切り替わる感じ。中高時代にやった公演の、本番前の舞台袖のあの感じを思い出す。(舞台のにおいも) あの感じは、今、芝居を見るときにも毎回感じる。今は見る側なのに、やる側の気持ちになるのだ。(余談だけど、いまだによく、自分が演者として出る公演の夢を見る。)

観劇は、3月後半にぎりぎり興行した公演を見て以来の観劇だった。演劇のたのしさを思い出した。でもやっぱり劇場で観なきゃ、と思った。あの空気は劇場じゃなきゃ、味わえないのだから。

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