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7月のこと(前編)

もう離婚した年を思い返してさめざめと泣くことはなくなったけれど、思い出すのは辛い。それでも最後まで書きたいと思っている、同じ間違いを繰り返したくはないから。

2020年の7月、私は本当に嫌な奴だった。

コロナウィルスが猛威を振るい始めた頃だった。その当時はウィルスがどの程度驚異的な物なのか情報が確立されておらず、またワクチンや治療薬も未だ世の中には存在せず、緊急事態宣言が発出される中で、日本を含む世界が戦々恐々としていたと思う。

企業や個人の反応は様々だった。

私は製薬企業に勤めていたこともあって、世の中の平均値よりは敏感に反応していた。会社は当たり前のように全社員がリモートワークに切り替わった。MRはクリニック・病院に出入りすることができなくなり、さて売り上げはどうなるのか?背筋がゾッとする気持ちを覚えた社員も多かったはず。

私は「かかったらどうしよう?」と本気で心配していた。健康の心配はもちろんあるけれど、企業のレピュテーションという意味でも心配していた。企業によっては社員に感染があれば情報を公開したり、対象のビルのクリーニング・除菌を行った旨を公開している企業もある中で、製薬企業の界隈では「あそこの会社で感染者出たらしーよ」的な会話を聞いていたので、自分が当事者になったらどうしようとびびっていたのだ。

夫は違った。少なくとも私よりはゆったり構えていたし、彼が務めるHR系の会社はもともと体育会系・イベント好きな社風であることもあり、飲み会なども比較的変わらずに開催されていた。夫も深夜1時まで続く飲み会に出かけたり、1次会が終わってもまた2次会へという盛り上がりも健在だった。

そんな夫に、私はひたすら正論を投げかけていた。

「さすがに一緒に暮らしていて心地よくはない」
「こんなに言っているのに、結局何も聞いていないんだね」
「気を付けるって言っておいて、また繰り返すなんて節操ないね」

「ずっと言われ続けるの嫌だろうから、どうしたらいいか考えてみて」
「何を言っても結局変わらないなら、一緒に暮らし続けるのは辛い」

これらはほんの一部。沢山の攻撃的なコメントを、私はLINEで書いたし、口頭でも言ったし、素っ気ない態度もとっていた。思い返すと、自分とは思えないくらい嫌な奴。とても一緒に寄り添って暮らしたいとは思えない。でも、その時の私は一番大好きな人である夫が思うような行動をしてくれないことで(別人だから当たり前なのに)ハリネズミ顔負けの鋭い刺攻撃をしていた。

先日ジェーン・スーさんのエッセイを読んでいたら、こんな言葉があった。

絶対に切れる刀は、使った方が負け
『生きるとか死ぬとか父親とか』by ジェーン・スー

当時の私はこの言葉の意味を知らない、正論攻撃パーソンだった。

妻に心ない言葉をかけられる日々が続いて、夫は心底私が嫌いになったようだった。少なくとも、私と一緒に暮らす家にはもう帰りたくない、そんな意思を本格的に示しはじめた。

「もう少し外で過ごしてからかえりますね」

夫はそんな言葉を残し、それからはオフィスへ出勤し、仕事が終わってもどこかで時間を潰し、夜中日付が変わる頃に帰ってくるという日々を繰り返し始めた。帰ってくるタイミングで「かえりますね」というLINEをくれる。それが夫が私にかけてくれる唯一の言葉だった。

緊急事態宣言下で空いているお店は少なかったと思う。「どこで過ごしているんだろう?」オフィスに一人座り、時間がすぎるのを待っているだけだったら何て可哀想だろう。誰かの家に居させてもらっているのなら、未だいいけれど。などと心配しては、私は悶々とした日々を過ごしていた。

そして7月中旬のある日、夫は私に宣言した。「明日から一人ビジネスホテルで過ごす。期間は2週間程度を想定しているけれど分からない。」

私は怒った。なぜそんなことをするのか?自分は至極当然のこと(コロナに注意して飲み会を減らしたり、行っても早めに帰ってきて欲しい)を要求しているだけなのに、なぜそれに合意せずに勝手な行動をばかりするのか?ホテルで暮らしたいなら暮らせばいい!

中身はただの小さなハリネズミなのに。
随分刺々しい、攻撃的な態度をとったものだ。

そして夫は出て行った。ここから状況が好転することはない。
私たちはその年中に離婚に至ることになる。

過去の辛い出来事を想い出すのより、過去の嫌な自分を想い返す方が辛い。でも、繰り返したくないから書く。昔の自分がどんなに傲慢で攻撃的な一面を持っていたか。

誰かを傷つけるなら、自分が傷ついた方がよっぽどいい。
少なくとも今の私はそう思う。

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今日はここまで!もし読んでくださった方がいたのなら、こんなに拙い雑文ですのに、本当にありがとうございました。

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