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かっこいい傷跡

息子の膝小僧には、少し大きめの傷がある。長さは4センチほど。ちょっと表現はグロテスクだけれど、雨上がりのミミズみたいにぷっくりと盛り上がり、つるつるしている。

わたしのお腹にも、少し前まで似たような傷があった。帝王切開の傷だ。ミミズどころか色も形も大きなソーセージがくっついたみたいな様子で、いわゆるケロイドというやつである。そもそもの体質に加えて、横ではなく縦に切ったことも原因かもしれないし(わたしの世代では珍しいと聞くがどうなのだろう)、産後もっと手立てを施せばよかったのかもしれない。ちなみに、手術を担当してくれた先生は術後の傷跡ケア研究に力を入れていたそうで、ケロイド防止になるからと浮腫みを取る漢方をしばらく飲んでいたけれど、わたしにはまったく効果がなかった。やがて初めての子育てに手も目も意識も取られているうちに、傷はどんどん太く膨らみを増し、赤黒いぷりぷりのソーセージが完成した。

ぶよんとふくらんだ産後のお腹に張りついたソーセージ。風呂に入るたび、なぜわたしのからだにソーセージがくっついているのだろうと思うと同時に、子どものころ読んだ「三つの願い」という童話がよみがえる。

あるとき貧しい夫婦のもとに、三つの願いを叶える妖精が現れる。しかし旦那さんが「あぁ腹一杯ソーセージが食えたらなあ」と口走ったがために、ひとつめの願いはそれに消え、それに怒ったおかみさんが「こんなソーセージ、おまえさんの鼻にくっついてしまえ!」と叫んでしまう。お話のなかでは、見事に鼻にぶら下がったソーセージは、三つ目の願いごとで無事取れるけれど、わたしのお腹にはくっついたままだ。

皮膚科の先生にも「これは……」と絶句される立派なソーセージを見るたびに、三つの願いがもしも叶うなら……と想像したが、妖精はやってこない。
帝王切開の傷は、母親としての勲章だというひとがいるのは知っている。それを否定はしないけれど、まあ一度わたしの傷を見てから言ってごらんよ、とはいつも思っていた。

結局、外科治療しか手立てがないと知り、もしも子どもをもうひとり産むならそのときに考えましょうと言われ数年が経ち、そのうちわたしもそんなに気にしないようになった。そのときが来たのは、5年後、ソーセージにもすっかり慣れたころだ。息子の出産時に合わせ、切り取り縫い縮めてもらったのだ。その後はせっせとケロイド防止テープを1年以上貼り続け、2本目のソーセージを免れた。

あるとき、息子の膝に、わたしのお腹にあったような傷を見つけた。そういえば、少し前に公園で転んだといって大きめの絆創膏を貼ってもらっていた。結構血が出たと聞いたけれど、お迎えのときにはもうすっかり元気だったし、気にも留めていなかった。しかしどうやら彼もケロイド体質だったようだ。

ああこれは一生残る傷になってしまったなあと、胸がちくりとした。ぷっくり膨らんだ傷跡は、自分のお腹を思い出すようで、なんとなく心苦しい。なにより、わたしがもう少し気にかけていれば、いくらかは目立たずきれいに治せていたはずだ。

当時、わたしはいっぱいいっぱいだった。ホルモンバランスが乱れ、寝不足も続いていた。体調が悪いと不安や心配も増えていく。上の子どもは思春期に、わたしは更年期に片足を突っ込み、うまく進めずあがいていたころだ。仕事もうまくいっていなかった。息子の膝の傷跡は、子どもをきちんと見てやれていない印に見えた。

あるとき風呂に浸かりながら、息子に言った。
「この傷さ、前に転んだときのだよね? こんなふうにケロイドになって、跡がしっかり残っちゃったね。もう少し保湿とかテープとかすればよかったのかな。ごめんね、こんなにひどくなるなんて思っていなくて」

すると息子は、ひどく驚いたみたいな顔をした。
「えっ、この傷、めっちゃかっこよくてお気に入りなんだけど」
「かっこいい?」
「そうだよ、かっこいいよ。めっちゃかっこいい。強そうに見える」

傷がかっこいいだなんて、考えたこともなかった。彼にとっては「ワンピース」のルフィやゾロと同じなのだろうか。傷が海賊やチンピラのアイコンとなるように、息子の膝にはかっこいい印として刻まれているというのか。

子どもは、こうしてときどき自分ではたどり着けないような景色を見せてくれる。わたしはつい、自分が経験してきたことをものさしにして相手の考えを測ってしまうけれど、たいてい、子どもの発想は自由でのびやかで、とっぴょうしもないものだ。こちらのコチコチのこころを、ひょいと飛び越えたり、いい意味で裏切ったり。

そもそも、傷はただの傷なのだ。わたしの不注意ではなく偶然起こったケガの結果だし、ましてやダメ親の象徴などではない。

わたしはお腹の傷を疎んでいたけれど、息子は誇りに思っている。どちらも事実で、どちらもただ、それだけのことなのだ。

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