エモイ文章って本当に求められているのかな?

最近、星野源にはまっている。といっても、音楽や俳優としてではなくエッセイにだ。もしかしたら、2年くらい遅いのかもしれないけどそれはしょうがない。

エッセイを読んでみると、どれも平易な文章で書かれており、びっくりするような語彙などは出てこない。また、ありふれた(といっても芸能界の人ではあるが)日常を淡々と綴っている。とっておきのできごとを「おもしろおかしく」書きました! といったものではないのが素敵だ。

読んでいるうちになんとなく星野源のことを知った。ぼくとあまり年は変わらないということ。大きな病気をしていたこと。バンドをやっていたこと。全然知らなかった。なんせ、ぼくが知っている星野源は『恋』だけだったのだから。

1冊を読み終わる前から次のエッセイを購入してしまった。時系列がズレているのかもしれないけれども、エッセイ集だから大きな問題はないだろう。

星野源のような文章を書こうとか、こういう生き方をしようとかそういったことは思わない。でも、なんだかいいなぁと思ってしまうのはなぜだろうか。少し前にも書いたけれども、文章が平易だからだと思う。こねくり回したり、気取ったりエモかったりしない。

感情に訴えるようなとか、エモイ文章とかを多分ぼくは求めていない。たまにならいいけれども、毎日はいらない。疲れてしまうからだ。

さて、今後もエモイ文章はこのまま流行り続けるのだろうか。それをほんとうに読者は求めているんどあろうか。

ただでさえ、活字離れが進んでいると言われているのに、疲れる文章が読まれ続けるとはどうしても思えない。

ぽくはずっと疑問に思っている。

こちらサポートにコメントをつけられるようになっていたのですね。サポートを頂いた暁には歌集なりエッセイを購入しレビューさせて頂きます。