なにごとも加減が必要、別腹だとしても

昨日は雪の話題が多く食傷気味だからぼくは書かなかった。でも、今日は書く。なぜなら、ぼくが書くのは雪ではあるけれども雪解けについてだからだ。これを世間一般では別腹という(はず)。

さて、関東地方というよりぼくの住んでいる東京は昨日と打って変わって青空が広がっていた。昨日降り積もった雪は解け始め、道路(歩道含む)はびちゃびちゃという表現がピッタリの状況だ。マンションから外を眺めると雪かきをしている人も見える。家から街へ歩いて行く途中でも数人ではあるが、同じように雪かきをしていた。

『東京において』という前置きが必要かもしれないが、雪は幻想的でもあり暴力的でもある。少しだけ降る、いわば粉雪のようなものは美しさやロマンチックを演出してくれたりもする。しかしある一定以上の雪となると、電車は止まり交通機関は麻痺。帰宅難民者が溢れるような非常事態だ。翌日には慣れない雪かきを行う必要も出てくる。

この雪を見てるとふと思う。なにごとも加減が必要なんではないだろうか。たとえば、ご飯でもそう。お寿司やステーキなどご馳走と呼ばれるものも量が多すぎたり、毎日食べるとなると暴力的になる。(胃にも財布にも)

なにごとも、日常のちょっとした延長線上で楽しめるくらいのものがちょうどいい。たとえ別腹だったとしても。なんて考えるのは現実主義者だからなのだろうか。


こちらサポートにコメントをつけられるようになっていたのですね。サポートを頂いた暁には歌集なりエッセイを購入しレビューさせて頂きます。