引き出しをたくさん持つこと

 こう見えてぼくは書くことを仕事にしている。もしかしたらtwitterやnoteではわからないかもしれない。でも、充分とは言えないまでも、今のところ書くことだけで暮らすことはできている。ちなみに豪遊はできないし、無駄使いなどできやしないし、慎ましい生活を送っている、はずだ。念のために補足するとレモンサワーやうまい棒なっとう味は無駄遣いではない。

 お仕事で書く際は至ってマジメな文章だ。媒体によっては自虐ネタや笑いをいれることはある。が、あくまで常識の範囲内のこと。何でもありに書けるかというとそうでもない。そういったことを書けるのは、やはりtwitterでありnoteである。

 人間とは勝手なもので自由に書いていいとなると書くことがなくなったり、書けなくなったりすることが多い。twitterの投稿などでもライターさんがそう呟いているのを見かける。いわゆるネタ切れと言うやつだ。幸いにも、ぼくは書けなくなったことはない。書くことがないなぁと思う日はあっても何かしら文章にはできる。それは今日のできごとであったり、過去の記憶から引っ張り出したり様々だ。

 こういった引き出しを持っているか持っていないか、もしくは使おうとするか諦めるかで書ける幅は違ってくる。お題を与えられ、それに沿って書く書き方をしているうちは、なかなかその能力が身につかないのではないだろうか。ぼくはそうだった。今の仕事は全て企画(お題)は自分で出しそれで文章(記事)を作る。いつの日からかそうなった。

 このnoteもそうだ。お題などないし自分でなにを書くか決めて1000字以内くらいで毎日書く。ただそれだけのことだけれども引き出しは増えていると思う。やっぱりこういったコツコツが大事なのだろう。そして、宣言すること。毎日書くと決めたら書く。自分で決めたことが続かないようではむつかしい、なにをやるにしても。

 あ、そうそう野球のサイト作ります。情報とかニュースとかではない企画もの。年明けをメドに公開できればと。

こちらサポートにコメントをつけられるようになっていたのですね。サポートを頂いた暁には歌集なりエッセイを購入しレビューさせて頂きます。