33年の月日が流れた

聞き慣れない言葉を聞いた。いや、正確には画面で見た。その言葉とは『低温注意報』。ふむ、なんとなくわかる。低温注意報というのは温度が低いから気をつけましょう。ということだろう、字面から判断すると。この低温注意報が東京23区に発表されたのは33年ぶりのこと1985年1月末以来らしい。

まぁ、たしかに寒かった。手は赤くなり、息は白い。それでも、ぼくは10万人くらいいる(であろう)ファン(だと思われる)のために外から音声の配信を行ったのだ。褒めてください。

さて、33年前の1985年はなんの年か。野球ファンならピンとくる年のひとつだろう。プロ野球では阪神が球団史上初の日本一となり、高校野球では夏の甲子園で『KKコンビ』こと桑田真澄、清原和博らが所属したPL学園が全国優勝を果たした。そんな年だ。その年のドラフトでは……とキリがないのでこの辺で野球の話は止めておく。

ぼくにとっても1985年というのは、ひとつのきっかけもしくは転機となった年でもある。今現在、ぼくの頭にあるリアルな野球の記憶はこの年が最古のものだ。もちろん、本や映像、先輩方から聞いた話などでそれ以前のことも知識としては知っていることも多い。だけれども、自分で見た記憶は、この年以前がどこを掘り下げても出てこないのだ。野球に関するぼくのルーツと言えるのかもしれない。

はじめて野球を知ってから33年が経ち時代は変わった。PL学園の野球部はなくなり清原・桑田はすでに現役を引退している。桑田に至っては息子が成人しており、独立リーグで選手としてプレーしているほどだ。そりゃ、ぼくも変わる。

夢や希望に満ち溢れていたはずの33年前から様々な分岐点があったはずだ。そのときどきで枝分けれを繰り返し、歩んできた結果が今の自分だ。これから先の人生がいつまで続くかわからないが、これからも同じように歩んでいくことになる。33年後にぼくは何を思っているのだろうか。まずは生きていることを願いたい。

こちらサポートにコメントをつけられるようになっていたのですね。サポートを頂いた暁には歌集なりエッセイを購入しレビューさせて頂きます。