なんとなくの判断
台風じゃないけどコロッケを食べた、昼ご飯に。スーパーで購入した揚げたてのそれは1個140円くらいで大きさもまぁまぁ大きい。どれくらいかというと、容量的にはタバコの箱1.5箱分くらいだろうか。吸わないけれどもそれくらいの大きさだった。
コロッケにはマヨネーズをかけて食べるのだけれども、特売品の250円で5個みたいな薄っぺらいものとちがい美味しかった、気がする。コロッケを食べる素人からしても味の違いはわかる。今後は特売品ではなく、揚げたてで買った方がいい。いや、買わねばならない。と思わせてくれたことはまちがいない。
このように量的にお得な特売品とそうじゃないものの違いは、思いのほか大きい。片方だけ鹿食べていないと違いを比べてみることはできない。今回は何の偶然かわからないけれども、しっかりしたものを購入したから違いに気づいたのだ。
こういったことはコロッケに限らず日常生活で起こっている。ライターという仕事でいうと、2社と取引することで違いが初めてわかる。1社だけだとそれ以外を知らないから比べられないのだ。他の人に聞いたり、本で読んだり、webで見たり、どうぶつの森をやったりすれば違いはわかるかもしれないが、経験(体験)に勝ものはない。
人間関係においてもそうだ。恋愛関係、夫婦関係、友達関係、親子関係、グループの交友関係、どうぶつの森のフレンド、SNS上の関係とさまざまな関係があるが、それぞれひとり(ひとつ)だけでは比べられない。なんとなく聞いたりして、「ぼくはマシなのかな?」「わたしはこの関係よくないのかな?」なんとなく判断してしまう。なんとなくのそれが、やがて自分の頭の中では正解になってしまい「こういうものだ」に変わってしまう。
果たしてそれが本当に正解なのだろうか?なんとなくの判断じゃないだろか?とぼくは自問自答している。
こちらサポートにコメントをつけられるようになっていたのですね。サポートを頂いた暁には歌集なりエッセイを購入しレビューさせて頂きます。