語彙力とはお金である

 ここ最近、「語彙力が欲しい」とか「語彙力がない」といったワードが目立っている。もちろん世間一般ではなく、ぼくのtwitteにおけるタイムライン上の話だ。こういった呟きが多いのも、ライターや創作家が溢れているからこそだろう。

 仕事であれ、趣味であれ物を書く人にとって語彙力はあるにこしたことない。ないよりあった方がいいのはたしかだ。とはいうものの、なくてはいけないものかというとそれも少し違う。これはお金に凄く似ている。お金はあるにこしたことない。だからといって、たくさんなくてはならないものかというと違うのと同じように。もちろん、必要最低限はいるだろう。これは語彙力、お金双方とも同じだ。

 語彙力を得るためには様々な方法があるだろう。たとえば、本を読むであったり、勉強してみるなりといったことだ。ビジネスをするなり、投資をするなりとお金を得るのにもたくさんの方法がある。努力次第で手に入るという部分も似通っている。

 だから、軽々しく語彙力が欲しいなんてぼくは言わないし、そうも思っていない。語彙は無限にあるわけだから、全部を網羅するのは不可能。自分の手持ちでどれだけ勝負できるかが大事なのではないだろうか。小学校の教科書に載っているような小説(お話)に、突飛な語彙があるかというとそうではないだろう。そういうコトなんだと思う。

 だからといって語彙力が不要かというともちろんそうではない。自分の語彙力にあった文章を書き、少しずつでも増やしていければいいのではないのだろうか。いきなり、大金が手に入らないのと同じように。


こちらサポートにコメントをつけられるようになっていたのですね。サポートを頂いた暁には歌集なりエッセイを購入しレビューさせて頂きます。