SNSでリセマラを繰り返す

簡単にリセットできる時代となった。

子供のころは「リセットはゲームの中だけ」「人生はリセットできないから」と教えられてきた人も多いのではないだろうか。それが、である。

たしかに、ゲームでいうところの残機、すなわち現実世界においての命に関してはリセットできない。人生のアウトカウントはひとつという部分は不変だ。今後何百年か経てば変わるかもしれないが、ぼくが生きている時代に変わることはないだろう。

さて、冒頭の『簡単にリセットできる』ということについて触れてみたい。

今の時代は就職や受験に失敗しても多くの道がある。その多くが家にいてもできることである。たとえば、You Tuberになってもいいし、ブロガーになってもいい。プログラムを勉強して新しいサービスを作ってもいい。

30年前には考えられなかっただろう。学校を出て働くということは勤務地があって、そこで形あるモノを作るであったり、サービスを提供するのがあたりまえだったからだ。今はこのように多くの道があるから『なにか』がうまくいかなくても他のことをはじめればいい。もちろん、外に出て働くことだってできる。

その是非はさておき、かんたんに他の道へと進むことが可能になった。これは『人生がリセット』できるようになったと言っても差し支えないだろう。

もうひとつ思い浮かぶのは『インターネット上での自分』だ。SNSの多くは匿名でも利用できるようになっており、かんたんに人格を作り上げることができる。男性が女性になりすますこともできるし、その逆も可能だ。大金持ちのフリをすることだってできる。うまくいかなかったら、アカウントを消して新しい自分を再び作ればいいのだ。

このように『インターネット上の自分』をいつでもリセットできるのはよい、と思う反面、なんだかなぁと思う部分もある。よく、辛かったら逃げればいいと言うけれども、それと同じで不都合なことがあると逃げる(リセットする)。これの繰り返しをするだけでは、なにひとつ自分に積み重なっていかない、とぼくは思う。

積み重ねることを放棄しているのであれば、それでもいいのだろうが、なにかが違う気がする。SNS上の人間関係をリセットするなら、いいのかもしれないけれども。

こちらサポートにコメントをつけられるようになっていたのですね。サポートを頂いた暁には歌集なりエッセイを購入しレビューさせて頂きます。