埋め合わせ
首を突っ込んで泥沼にハマる、そんな経験がある。
何年も前のこと。同僚が取引先との間で何やらもめていた。見積もりの内訳について、解釈の違いがあり対応に追われているという。受注前の段階ということもあり、この時点で気づいているのであれば大事故にはならないだろう。そう考えていた。
しかし、翌日だか翌々日。その取引先から電話がかかってきた。たまたま同僚は会議で不在。要件だけ聞いて、あとで折り返すという対応をとった。いや、とろうとした。
もう、止まらない。取引先の要望という名の無茶ぶり。こんなん聞いてられるか、と思うような内容ばかり。とはいえ、ぼくは事情を知らないので相槌をいれながら要件だけ聞いて、受話器をおいた。
何時間か後、同僚にその内容を話し、対策を考えた上で先方へ電話を入れるように言付けをする。いくつかのアドバイスを添えて。
それがいけなかった。
翌日、ぼくあてに件の取引先から一本の電話。担当を君(ぼく)に変えてほしいとのこと。電話対応時の相槌からアドバイスの内容が同僚ではなく、ぼくのものだとわかったからだという。
(余計な)アドバイスをしたばかりに厄介な案件の担当となったのである。大きなトラブルはなかったものの、たくさんの要求を突きつけられた。もちろん、飲めるもの、飲めないものがある。うまくさばきながら数ヶ月くらいはきっつい生活を送っていた。
首を突っ込まなければ、苦労はしていなかったはずである。この経験が四方(ぼくと同僚と勤め先と取引先)にとってよかったのかはわからない。でも、ぼく自身は苦労した分だけなんらかの成長にはなった気がする。
その時の経験があるから、なんだかちょっとした問題解決に協力したくなるのである。結果として苦しむのはぼく、そんなことが多い。この埋め合わせは人生のどこでやってくるのだろうか。
金麦を飲みながら考えていた。
こちらサポートにコメントをつけられるようになっていたのですね。サポートを頂いた暁には歌集なりエッセイを購入しレビューさせて頂きます。