【釣りシリーズ②】矢倉緑地で初めての海釣りをしようと思った

何かと落ち込みがちな気持ちは趣味で晴らそう、と最近新しく始めた趣味、釣りに出かけることとした。
と言っても、まだ一回しか釣りに出かけたことはなく、その一回も釣り糸が上手く結べない間に日が暮れてしまい諦めて帰宅しており、まだ水面に仕掛けを投じてすらいないのだ。

今回は前回の轍は踏むまい、と投げ釣りのセットを用意した。
ちょい投げ、という初心者向けの仕掛けである。キスやハゼが釣れるという触れ込みだ。キスもハゼも非常に美味しい白身魚。釣果への期待が高まる。
前回釣り場に行って、釣り糸を結べずに帰宅したので今回は自宅でちゃんと仕掛けを竿に結んで、あとは餌をつけて海と相対するだけ、という状態にして家を出ることに決めていた。

釣り前日の深夜、釣りの初心者入門本や、ユーチューブの動画を参照しながら悪戦苦闘、なんとか仕掛けとリールの釣り糸、ミチイト、と言うらしいが。これを結びつけることに成功し、眠りにつく。
翌朝、妻が仕事に出かけてから釣りの準備に入る。
妻は仕事なのに、夫が釣りに行くというのはちょっと格好が悪い、と自分は思っているのだろう。これがガンガン稼ぎのたまの休みというなら堂々なんだろうけれど、全然そんなことないから。妻のほうがよく働いているから。
もう竿を仕掛けはリュックに詰め込んでいる。
クーラーボックスの内側にビニール袋をかぶせて、魚が釣れた時にクーラーボックス自体が臭くならないように工夫をする。また、冷凍庫から保冷剤、氷などを取り出してこのクーラーボックスに入れる。これもビニールに包む。狭い家の中に魚臭いクーラーボックス、という事態を避けるための仕掛けは万全だ。
エサはかねてから用意していたパワーイソメ、というルアーと生き餌の中間みたいな人工餌。魚が好きなにおいもするらしい。見た目は完全にゴカイの類だが、実際に生きていない分なんだか安心。

リュックに竿、自転車のカゴにクーラーボックスを載せて釣り場へと向かっていく。

この日は夕方の整骨院まで予定がないので、少し遠い釣り場を目指す。
淀川沿いをずーっと下って海と淀川がぶつかる矢倉緑地へ。
自宅から大体8キロ程度離れているが、アジやハゼ、キビレというクロダイの亜種も釣れるというなかなかの釣り場だ。

自転車をひたすら漕ぐ。
淀川と町を隔たる土手の町側をずーっと川下方向へと下っていく。こうしていれば迷うことなく矢倉緑地に着けるはず。
途中のコンビニで氷の追加と緑茶を購入。この日はなんといっても夕方まで釣りをする予定だから、2リットルの大きいお茶を購入、リュックに入れてさらに自転車を進める。

土手の向こう、淀川からの潮の匂いがどんどんと強くなっていく。
釣りへの期待は高まっていく。
土手の上へ出る道を見つけてついに辛抱たまらず自転車を駆って土手の上に出る。
もう随分海に近いのだろう。吹いてくる風は完全に潮風。広がる景色。淀川の最河口。
川幅は限界まで広がって、滋賀から大阪までの水利を担保し続けてきた大河の迫力を感じる。
ところどころに釣りをしている人もいる。
このあたりではハゼやセイゴが釣れる、と聞いている。
しかしこの日の僕の目的地は海。もう少し先だ。

土手の上をのらりくらりと自転車で走っているうちに、秋の涼しい風は吹くものの、やはり体力は使う。だんだんと汗をかいてくる。
もちろんそのあたりで妥協をして、竿を出してもよいのだが、やはり一度海に行くと決めたのだから海まで出たい。
そんな気持ちでひたすらに漕いでいく。

しばらくすると土手の上舗装道路の上に車止め。
矢倉緑地は自動車進入禁止だ。あ、そろそろか、と思いながら自転車を進めていくと果たして緑地があった。
自転車でさらに先に進んでいく。横手を見るともうそこはほとんど海の風情だ。
この矢倉緑地の突端が海である。

途中自転車を降り、押しながら進んでいく。
緑地の背の高い木々の間に土の道。さらに進んでいくとあばら家があり、老人方がたむろをして煙草を吸っている。おそらく散歩の折り返し地点になっているのだろう。
そこをさらに抜けると。

海だ。
海が広がっている。
淀川が大河だと言っても海にはやはりかなわない。大きい。規格外だ。
そして緑地の突端では、釣り人たちが海に向かって竿を突き出し釣りを楽しんでいる。
割と長めの竿が多い。サビキ釣りをしている人が多いように見受けられたが、投げ釣りの人もいるようだ。

僕の心臓はいやがうえにも高鳴っていく。
前回うまく釣りをできなかった分、釣りをしたい欲が心中に渦巻いている。
「やっと釣りができる。今日こそ釣りができる。しかも海だ。沢山釣って、沢山食べるぞ」

そんなことを思いながら、自分の釣りをするスペースを探す。
既に竿を出している釣り人の近くはなんとなく嫌だ。僕は人見知りだ。あまり話しかけられたくないし、まだ初心者であるから、釣り人からすると当たり前のことができなかったりするかもしれない。そういった時に「なにをしておるんだこいつは」という目を向けられるほど恥ずかしいことはない。ともかく一人で釣りがしたい。

自転車を押しながら自分の場所を物色していると、釣り人と釣り人との間隔が大きく空いている一角があった。
よし、ここだ。と。ちょうどその感覚の真ん中あたりに自転車を止めて大きな間隔を二つに割った。
家から一時間ほど移動をして、たどり着いた僕の釣り場だった。

「今日はここで、夕方くらいまで釣りをするのだ」

そう思って周りを見る。
海鳥が飛んでいる。後ろには緑地の低木。
そして目の前には海。
趣味の釣りを楽しむぞ。落ち込みがちな心を浮揚させるぞ。そんなことを思いながらリュックから短くしまった竿を取り出し組み立てる。
もう仕掛けは結びつけてあるのだから安心だ。あとは餌のパワーイソメをつけるだけでよい。
クーラーボックスの中に入れていたパワーイソメを取り出して、仕掛けに着ける。
針は二つついている。二つパワーイソメをつける。
見るとパワーイソメは40個入りだそうだ。果たして夕方まで足りるかな。そんなことをおもいながら。

さあ、これで準備ができた。
手に握っている餌と仕掛けが付いた竿。全長210センチ。
ベールを上げて(下げて?)投げる準備をして海に向かって第一投。

ビュッと一振りすると、シュー、という音を立てながら仕掛けが空を飛んで海中にズポリと音を立てて沈む。そのままリールから釣り糸が引き出されていく。
海中に仕掛けが沈んでいっているのだろう。どんどんと引き出されていき、その動きが止まった。

僕の釣りが始まった。
興奮をしながら少しだけリールを巻いてみる。海底に仕掛けが着床しているのだろう。
おもりの重さを感じる。
もう少しリールを巻く。
海底を仕掛けが移動しているのがわかる。
「ははん、こうやって海底を感じたりしながら釣りと言うのは行うものなのか」
と嬉しい気持ちになる。なんといっても前回糸を結べずに撤退しているのだ、嬉しさもひとしお。
嬉しさのあまりリールをどんどんと巻いてしまい、仕掛けが海上に姿を現す。もう少しリールを巻くと仕掛けは手元に戻ってくる。
まだ餌のパワーイソメはなくなっていない。
「焦りすぎ焦りすぎ。もう少しじっくり取り組まないと」
思いつつ再び投げる体制に入って、海に向かって竿を振る。
ビュッと一振りすると、シューっと言いながら仕掛けは飛んでいき、海にズポリ、と落ちて行ったが、先ほどとは感触が違う。
リールの釣り糸も引き出されて行かない。
妙に手ごたえも軽い。

おかしい、と思ってリールを巻くと空気を巻いているよう。
仕掛けの感触がない。どうなっておるのだ、と思って巻いていくとなんと釣り糸と仕掛けをつないだはずのその部分の先、つまり仕掛け部分が無くなっていたのである。

さきほど竿を振った際、仕掛けが取れたようである。
昨晩あれほど一生懸命に結んだ仕掛けが。
一生懸命なんて物理法則には関係ないのだ。一生懸命でなかろうがあろうが、ちゃんと結べていないものはとれるのだ。
むしろ一生懸命にならなければ結べないような結びの腕のものの結んだ糸というのは解けやすいだろう。
社会の多くのことがそんなことのような気がする。
一生懸命にならなきゃいけない時点で負けなのだ。
今まで一生懸命にやったことでうまくいったことなんてないのだ。一生懸命じゃなくてもうまくいかないし、人生すべてうまくいっていないので、比較はできないのだが、ともかく一生懸命やってもうまくいかないことは確かなのだ。

ともかく仕掛けは海に沈み、僕の手の届かないところへ消えてしまった。

僕もあの仕掛けのように吹き飛んで海に沈んで消えてしまいたい。
そんなことを一瞬思った。

スペアの仕掛けはない。

釣りを開始してから2分ほどの出来事であった。
釣りを続行できないか、少しの間考えたが、スペアの仕掛けはないのだ。
諦めて家に帰ることにした。

川下から川上へと帰っていくので、行きよりもペダルを踏む足が少し重いが、その原因は高低差だけではないだろう。夕方まで釣りをする、と思って購入した緑茶もリュックで「いい味」を出している。出していやがる。

帰宅すると時刻は12時を過ぎていた。
日差しも強くなってきていて、帰宅した時には汗だくだった。
喉が渇く。リュックにお茶がある。
太陽光と僕の体温でお茶はぬるくなっていた。
僕は思い出した。
クーラーボックスには追加で買った氷がまだ融けずに残っていた。
その氷をグラスに入れて、そのグラスにお茶を注いで飲んだ。
非常に美味しかった。

2時間の長丁場を経ても氷を融かさないクーラーボックスの保冷性能をよく確認できた。
落ち込む気持ちは晴れなかったが。

果たして僕に「釣りができる日」はやってくるのだろうか。
僕はもう一度釣りに出かけることができるのだろうか。
こうやって何も満足にできずに死んでいくのだろうか。

冷えたお茶を飲みながらそんなことを考えていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?