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2024東京都知事選 選挙漫遊の記録


 

はじめに

 とにかく東京都知事選を観に行き続けた日々だった。
フリーランスのライター・畠山理仁さんの提唱した「選挙漫遊」に精を出した。選挙を楽しく、おもしろがって観てみて回る、という民主主義に許された遊び。詳しくは畠山さんの御著書『コロナ時代の選挙漫遊記』をご参照ください。
選挙漫遊の心得、楽しみ方がよくわかります。とっても面白いので超おススメ!

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 ともかく4年に一度の都知事選。
統一地方選、京都市長選、東京15区補選と漫遊を続けてきて、漫遊して回れば回るほど、その魅力にしっかり取りつかれている自分がいる。

候補者の言葉、支援者の様子、通行人の反応、予期せぬ邂逅、戦略と戦術と情勢の分析、インターネットの論争、政見放送とポスター掲示場等々等々…様々な要素が怒涛の如く流れていく。

選挙はドラマであり、ドキュメンタリーであり、論説であり、芸術であり、コメディで悲劇で、怒りの声で歓喜の宴で、候補者の語る未来は社会批評で時にSFだ。

 

そんな総合芸術状態を巻き起こすのが、我々日本国民が現在拠って立つ社会の基盤である「選挙」なのだ。漫遊しない理由はない。

選挙とは最も高尚で、巨大で、卑近でミクロな総合芸術でありつつも欠かすことのできない民主主義に生きる人民の営みなのだ。

大変なことである。

選挙は民主主義実現の道具ではなく、民主主義は、そしてその参加者である我々は選挙という総合芸術を生み出すための道具なのかもしれない、とすら思う。
我々は選挙というこの世で最も刺激的な芸術を生み出すためにこの世に種として生を受け、文明を発展させ、民主主義にたどり着き、選挙という大芸術を構成するために存在しているのではないか。人間がいるから選挙があるのではなく、選挙のために人間が必要であるから、我々は存在しているのではないか。きっとそうに違いない。

というのは完全に暴論、言い過ぎであるが。

ともかくそういった倒錯を起こすくらいには大変楽しく刺激的なものなのだ選挙というものは。

 

で、あるから普段なら映画を観たり音楽を聴いたり本を読んだりお笑いを観たりする時間を選挙漫遊に全ベット。灼熱の東京都知事選を観て回った。様々な候補者の言葉を聴き、立ち居振る舞いに驚き、支持者の熱狂と目にして、街を歩いた。
その記録をここに記しておく。
が、とにかく趣味で漫遊をしているので、情報としての価値は皆無です。
一人の34歳男性が、選挙を漫遊して回った、いわば感想文。選挙感想文です。

※毎日の日記から抜粋、大幅に改訂、加筆して掲載。

 

 

・6月20日 昼 都庁前 NHKから国民を守る党の人々

 やはり告示日は都庁前である。春はあけぼの、告示日は都庁前。東京都の選挙管理委員会があるので、あらゆる候補者、関係者が集まりがちなのだ。出待ち的に待ち受けるミーハー的態度をとるもよし、ジャーナリスト精神を発揮して取材をするもよし。ともかくこの場所から都知事選が始まるという一つのスタート地点となっている。

都庁前に着いたのは昼頃だったか。ちょうどNHKから国民を守る党から都知事選に立候補した人々(定数1で同じ党から立候補した人々がいる、というのは不思議な状況だが)がリレーで演説を行っていくのに遭遇する。皆が大体3分ずつくらい演説をしていく。NHKから国民を守る党(この時の党名はこれであっていただろうか)党首の立花孝志のMCで進行していく。


ゆかいななかまたち感。

結構愛のないタイプのMCで、著名な候補者や、引きがある候補者(例えば若い女性とか)には丁寧に紹介してマイクを渡したり笑みを見せたりするが、こう、引きのない、といえば失礼かもしれないが、まあ、今の日本の状況がそうだからありていに書く。著名でない中年男性の候補者の紹介やその演説時の態度、表情には愛がなかった。

デパートとかの営業の良くない芸人MCが、素人をあしらうような。そういう態度だった。

しかし救いとしては候補者はそれぞれ楽しそうだった。特にNHKから国民を守る党から出馬している候補者たちは楽しそう。党の支持者と候補者の垣根が極限まで低いので、オフ会のようであった。話を聞いていると候補者は意外と経営者が多い印象だ。

二十数人の演説が2時間ほどかけて終了すると、続いて近くのポスター掲示場へ行ってみんなでポスターを張る。文化祭のように和気あいあいとしている。

選挙が文化祭でいいとは思わないが、大人になって参加できる文化祭があれば楽しいだろうな。と思うし、選挙でくらいしかその文化祭が実現できないとしたら寂しい社会だと思う。

掲示場に来てみるとNHK党の面々に先んじて河合悠祐候補が表現の自由、モザイクの撤廃を求めているヌードポスターが貼ってあり、候補者、記者、野次馬一党全員が「なんなんだこれは…」という気持ちになる。立花孝志ですら「これは…」と少し引いていた。河合候補も立花孝志をを驚かせたのだから本望ではないだろうか。

僕自身目の前に起こっているすべてにそれでいいのか!という気持ちが沸き上がりはした。


騒然とする都庁前ポスター掲示場。

 NHK党のポスター張りが終わって、新宿駅に向かって歩く。高架下にホームレス状態の方がお二人寝転んでおられる。「プロジェクションマッピングなんて無駄だ」と叫びたくなる人の気持ちもわかる。あまりにディストピア的ではないか。悪趣味なサイバーパンクのようだ。

サイバーパンクシティトーキョーのガバナー、百合子・コイケ。その宣託を伝えるAI百合子。中々それらしいではないか。いいのか、それで。

 

・6月20日 夕方 新宿 蓮舫候補

 夕方から蓮舫候補の演説を新宿駅前で観る。関係者が数多く、誘導などをする係の人が充実をしている。地方議員や秘書なのだろうか。国会議員も多数応援に来ており、なかなかの人員。観衆もなかなか多く盛り上がっていた。

蓮舫候補やたらと「怖い」「反対ばっかり」と言われているからか、現職小池知事の政策の良いところを継承し、発展させる、という話を笑顔で語る。なんでも反対しているわけではない、ということがよおく伝わってくる。

言われて変えるのは大事だけれど、それは政策とか運営上の瑕疵とかであって、いままでと人格のようすを変えるというのは逆に信頼をなくすのではないか、と思う。昨日まで暗い顔をしたやつが急に明るいニコニコになったらなんか怖いもの。
話がそれるが、僕も師匠について修業している時代にまったく余裕がなく笑顔がなかった。師匠にそれをとがめられ「笑顔じゃないならついてくるな」と言われてしまったが、元来大変に暗く、笑顔の少ない男であるから困ったってしまった。
どうするか、笑顔でないと修業ができない。しかし笑顔でいるというのはむつかしい。と考えてだした結論が
「もし誰かを恨んで殺す、ということがあったとする。その時にいつも暗い顔をしているより、笑っていたほうが油断をさせられるだろう。人は一人なら殺しても死刑にはならないからな。その時のために、誰かを殺すときのために笑顔でいよう」
であった。
これ以降なんとか笑顔が増えて周りの先輩には「笑顔が増えたね」「いい感じだね」と言われるようになって事なきを得た、ということがあった。
師匠だけは後ろ暗い笑顔だと気付いていたようだが。
それを考えると、急に変わる、というのはやはり怖く、蓮舫候補は見事に変えることができているだけに逆にちょっと恐ろしさを感じる。

また、そういううわっつらの印象を変えただけで「案外笑う人や」「反対ばっかりやないねんな」と投票行動が変わる、と思っているというのは国民を舐めている気もする。

しかしプロが寄り集まって選挙を運営し、プロモーションも組み立てているのだろうし、それでいいのだろう、選挙は多数派を取る戦いで、蓮舫候補は現職の対抗馬なのだから、と思い直したり。


都知事選の古強者・宇都宮健児氏と蓮舫候補。あと自民党議員にしか見えない手塚仁雄氏。

 

・6月20日 夜 高円寺 アキノリ将軍未満候補 

 夜は高円寺でアキノリ将軍未満の演説。
懐かしい、京大吉田寮に居そうな人々が集まって候補を立てている、という感じ。
僕は大学時代京都に住んでいた。京都産業大学という右翼大学に通っていたわけだが、市中は左翼大学だらけである。

ああいう真面目な問題意識を、アホのふりして先鋭化させてアホぶって耳目を集めようとするものの、実際語る段になると難しい言葉を使うことによって「真実頭が悪いのではない、あえてふざけているのだ」とアピールする人。すごく京都…いや、左京区に多かった。僕はそういう人が案外嫌いではない。

そういう人がたどり着きがちなのが2007年都知事選の政見放送でその勇名を馳せた外山恒一氏を中心とした界隈であるが、どうもその界隈よりの立候補らしい。

外山恒一の政見放送、そして著書は真面目な問題意識をアホのふりして先鋭化させ笑わせるものの、最終的に我々一般人に現在立っている場所への揺らぎ、みたいなものを食らわせてくる。
食らわせられなかったら意味がない、という覚悟が外山氏にはあるんじゃなかろうか、と思う。
だから手段として面白くなければならない。滑ると伝わらないから滑ることができない。

 

 そういう界隈から出てきている割には本人の演説も応援演説も若干滑り気味であった。面白いことを言おうとはしている。が、観衆から笑いを引き出せていない、という印象。
観衆から笑いを引き出せないことに焦り、自陣営数人で笑い、そして「ナンセンス」などの掛け声ギャグを発しては無反応を買っていた。
「ナンセンス」古い左翼が言うフレーズで、確かに言葉としてはギャグ感がある。
しかしギャグとして捉えているのは彼らの身内だけだろう。大衆はそれをギャグとしてはとらえきれない。
若いのに「ナンセンス」ってヤジを飛ばしている、というコンテクストまであるから余計わかりにくい。
仮に観衆の中でその言葉のギャグ性に気づくものが居ても、その身内だけを向いている臭み、に耐え切れず笑うことはできない。

 身内ノリの厳しさ。
面白さによって身内の枠をぐっと広げ、広げた故に彼らすら立候補させるに至ったであろう外山恒一の面白力、は全く学べていない演説となっていて悲しい気持ちになった。

子供に興味をもたれる将軍未満。

 

・6月24日 昼 巣鴨 清水国明候補

 清水国明候補の演説を聴きに初めて巣鴨へ。
普段はいかない街へ行けるのも漫遊の魅力であろう。この巣鴨へんな街であった。おばあちゃんの原宿、と呼ばれるだけのことはある。本当に老人だらけで、老人が好きそうな干し柿や茶を商う店が並んでいる。老人になったらああいうものをみるのがやはり楽しくなっていくのだろうか僕たちも。それとも僕たちが老人になるころには巣鴨にはちいかわ屋とかタピオカミルクティ屋や10円パン屋がひしめくのであろうか。明日はどっちだ。そんなことを思いながら街並みを観てまわる。
 
 SNSで告知されていた場所で待っていたのだが、なかなか候補がやってこずにやきもき。清水国明カラーのポロシャツを身に着けた人も「おかしいなあ」という顔で同じ場所で待っている。しばらくすると、ずいぶん離れたところからマイクの音が聞こえてきた気がしたのでそっちに走っていくと、そこに清水候補がいるではないか。もう演説も始まっている。

 清水国明の演説は相方のアナウンサーと共に進めていくラジオ形式であった。防災に力を入れているという話。普段から災害があった際の避難先を決めておいて、その避難先に休みの日は時々遊びに来てキャンプをして遊びながら避難暮らしに備える、という話が面白かった。

ラジオ形式の演説。聴きやすい。

 

・6月24日 昼 高田馬場  内海聡候補

 青いカラー。結構たくさんの人が集まっていた。ワクチンの被害などについて訴える界隈、といえばわかってもらえるだろうか。そういう界隈からの出馬みたいだ。観衆も、手作りのラップにつつまれた玄米、だろうか、茶色っぽいおにぎりを食べている人や、ペットボトルの飲み物ではなく、どうやら自家製の見たことない色のドリンクを飲んでいる人などがいた。

これは僕がバイアスをかけてみて、目についてしまっているのだろうか。外資の脅威などについて語っていた。



チームカラーは青。

・6月24日 夕方 秋葉原  田母神俊雄候補

 田母神さんという人のことを僕はどうしても嫌いになれない。排外主義的なところがあって、主張には賛同できなことも多いんだけれど多分タレント力があるんだろう。

 元航空幕僚長であるから、自衛隊の超絶エリート、顔も若干怖いのだがなぜか雰囲気が柔らかいのだ。背があまり高くないのも良い。演説もおじいちゃんみたいなギャグを結構言ったりして、長閑で笑える。不思議な魅力を持った人だ。桜井誠や百田尚樹にはない、不思議な魅力がある。田母神候補が持つ魅力、みたいなものが保守の人々が本来持っていなければならないタレントなのかもしれない。

演説は秋葉原駅前で。支持者は70人くらいだろうか、集まっていた。界隈で著名なユーチューバー?配信者?が来ていたようで、聴衆から握手を求められるなどしていた。


いつだって思っていたより小柄。

この後、市ヶ谷で石丸候補の演説を聴こうと思っていたものの、直前で演説中止の報。自宅へと帰る。

 

・6月25日 昼 日本橋  小野寺こうき候補

 忠臣蔵義士新党という党ができて、そこから小野寺氏が出馬をするというこは聞いていた。
講談師は「冬は義士、夏はお化けで飯を食い」なんて言われる職業である。講談師と義士は切っても切れない関係性だ。そういう職業についているからには是非とも演説を聴きに行きたい、と思い、忠臣蔵義士新党のホームページを検索する。が、ホームページに連絡先がない。SNSも見つけられず、どこで演説をやっているのかがわからない。これは会えずに終わるかな、と思ったものの、もう少し調べてみる。
すると小野寺候補はいくつも肩書がある面白い方だった。財界二世学院理事長、日本ミャンマー協会、そして義士行列の仕切りもしている。という話。そしてこの義士行列のプレスリリースをネットの海から発掘。ここに演説日程を聴くと返信があり、なんとか観に行くことができたのであった。

 小野寺候補の演説。既存政党の支援を受けない独立系候補ではあるが、しっかりと手伝ってくれるメンバーが幾人もいる感じで、選挙カーもしっかりと櫓付きのものを仕立ててそこに上って演説が行われる。義士のこころを伝えていきたい、という話、防災の話など。とにかくスピーカーが弱い。そして小野寺候補も大変上品で、絶叫調に演説をすることもないので、少し聞こえづらい。まあ、もうお年も80歳近くである。猛暑。さらに義士装束まで着込んでの演説であるから声なんて多分暑くてたまらんのだと思う。

まなつの真夏の義士装束。討ち入りは冬だったからその格好だったのでは。

 

・6月27日 昼 練馬 石丸伸二候補


 練馬なんて漫遊じゃなかったら来なかったかもしれない。練馬大根しか知らない。でも駅前に劇場があって素敵な街。住みやすそうだった。

 石丸候補の演説、人は相当に集まっていた。若い世代が中心、というわけでもなくほかの陣営と同じような年齢層には見えた。年寄りが多く、若いものもいる。
ただ、男子高校生が下校中か、通りかかって「うわ、石丸や」と急いで選挙カー近くまで駆け寄っていったのが印象的だった。そこにいる候補が小池候補でも蓮舫候補でも駆け寄ったきもするが。

 スピーカーの方向が悪いのだろうか、とにかく声が聞こえにくい。何を言っているかが聞き取れない。しかし皆が位置を変えることなく、その姿を注視し続ける。一目みよう感が大変強い。有名人って感じがする。
『つぶやき市長と議会のオキテ』という映画でしか僕は石丸候補のことを知らない。

憎んだ相手を困らせるために正しいことを言う、という理屈の使い方をする人だな、という印象だった。演説はあくまでソフトで、聴衆には柔らかい物腰だった。怖い人が自分に対しては怖くないのって、なんだか気持ちいいものだよな、というようなことを考えたりする。


人が多い。
少し高い場所に立ってでも。


 

・6月27日 夜 石神井公園  蓮舫候補

 終わって移動して石神井公園駅。練馬駅からごくごく近い。蓮舫議員の街頭演説だ。駅前はすごい人だった。愛と信頼の共産党員。って感じのボランティアも散見される。日本の選挙の古き良き風景って感じ。このまま都知事が任期満了で選挙になり続けたら、東京の夏の季語に共産党ボランティア、が入るのも遠いことではないだろう。

観衆は石丸さんのそれよりも年齢層は若干高めか。若者、って感じの人はあまりいない。

枝野幸男がきていて、この演説が大変にうまかった。意味とか内容とかじゃなくて、群衆が盛り上がる波、みたいなのを修練によって体得している感じである。

右派的なことを言おうが左派的なことを言おうが新自由主義だろうが独裁賛美だろうが排外主義的な論旨だろうが、目の前で聞いている人は高揚感に包まれるであろう、という語り口。基本的に穏当と思える内容や主張ばかりなのでなんだかよかった。

蓮舫氏の演説はそんな枝野メソッドを踏襲していた。いわゆる立憲民主党の演説メソッドなのかもしれない この日は歌をうたう人も踊る人もいなかった。

位置が悪い。

 

・6月29日 夕方 北千住  小池百合子候補

 小池候補が演説を行う、ということで北千住へ向かう。あの、伝説の足立区である。

ビートたけしと西新井大師。気まぐれに「足立区の名所ってどこがあるんだろう、観光はどこにいくものなのだろう」と調べたら、一位が西新井大師で二位がアリオ西新井というショッピングモール的なところで、そういう場所が二位になる、東京の区、と震えたのは春のことだったか。「まあ、行くこともあるまい」と思っていたらまさか選挙漫遊で来ることになるとは。

いざ、小池候補の演説。ものすごい警備だった。ぼくも持ち物検査などをされる。他陣営のチラシなどが入っていて「こいつ、敵陣のスパイか」というような顔を警備担当にされながらもニコニコしてやりすごす。

相当の人の集まりだった。北千住駅前の陸橋通路を立錐の余地なく人が埋めている。

演説を聴きに来ている人たちは、特に女性の聴衆が小池百合子のことを「ゆりちゃん」と呼んで親しみを持っている様子だった。


にぎわいの北千住。

高齢のご婦人方が安倍晋三銃撃事件やつばさの党のことを引き合いに出して「怖いわね」「厳重だけれど仕方ないわね」というような話をしていた。

 普段見ているSNSには居ない人たちが見に来ている感じだった。SNSの世界の狭さみたいなものは感じる。そっちの世界は完全に蓮舫、石丸、ひまそらあかね、続いて内海、田母神、安野、ちょっと離れて桜井誠、という感じか。小池さんはSNSの外に軸足を置いている。だからたぶん強い。

 ほかの候補の演説は、同じ支持者がついてまわる、というようなことが起こりがちだと思うが、小池候補の演説は聴衆全体における地元選挙民の割合が高そう。
演説終わって北千住の駅で春菊天そばを食べて、なぜか上野で途中下車して、作業をして。多分酒でも飲みたい気分だったんだろうけれど疲れてしまって帰宅。


ちょうど小池候補をかくすカメラマン。
奥にいる。

 

・7月1日 夜 万世橋  しんどう伸夫候補

 夜20時30分より万世橋でしんどう伸夫候補の個人演説会に足を運ぶ。ぼくの中では今回の選挙漫遊のハイライトであった。90分じっくり話を聞く。


ぼくの講談会の会場案内看板に酷似。


都政の世界観がちゃんとしんどう候補の中で破綻なく成立していて、それが素晴らしかった。とつとつと語りだされるその東京像から、東京のある未来、を感じることができた。

 しんどう候補は真面目である。真剣に政策を、未来の東京の姿を描いている。根本的な改革が必要だと思っているので、政策は荒唐無稽に見えるほどの積極財政だ。

政治家にとって未来のことを考える力がどれくらい重要なのかはわからない。
行政の運営能力や、責任感、人に好かれる力のほうが重要かもしれない

でも僕は未来を語ってくれる政治家が好きだ。この人に任せたら、この世界色を変え、形を変え、未来が我々に近づいてくるのではないか、と思わせてくれる政治家が好きだ。

そういう意味で今回東京のでっかい未来、新しいわくわくする世界観をを見せてくれたのはエンジニアで経営者でSF作家の安野候補と、このしんどう候補だけだった。

 実現可能かどうかはわからないが、世界観として成立している、というのが丁寧だ。都知事選で表現の自由や一夫多妻、NHKを壊すとか公職選挙法の改正とか、そういう国政レベルのことを言ったりする人が多い中で、都政で完結する。それでいて大きな未来を見せてくれる。そういう丁寧さをうっちゃってしまっている候補者も多い中でなんとさわやかなことか。

 講演会の最後に「ポスター貼りに協力してほしい」という要請があり、3枚ほど引き受けた。選挙漫遊の心得として、あんまり一人の候補に肩入れするもんじゃない。ということが言われているけれど、まあ、ポスターをたくさん貼る力がない候補のポスターを貼るのは民主主義への肩入れともいえるしな、と思いながら帰宅をする。まあ仕方ないよね感動しちゃったからという気持ち。


・7月1日 昼 立川  安野貴博候補

 立川で安野候補の演説があると知り、前日もらったしんどうさんのポスターを一枚持って南武線をひたすら遡上して立川。
案の定ポスターは貼られていなかったので、貼る。貼るとき結構注目されるもので、恥ずかしい思いをした。安野さんの演説が始まるまでしばらくあったので、近くで演説の開始を待っているとさっき貼ったポスターを人が眺めていたり「あ、新しいの増えてる」などとリアクションをしてくれていたりして、なんだか妙に嬉しい気持ちになる。僕が貼った為にあの人たちはあのポスターを見ることになったのだ。民主主義に貢献できたような気がする。


なかなか充実の立川駅前。

安野候補はITと技術で弱者を救う、というような話だった。公共交通機関の減少と高齢化が進む多摩地区で、自動運転を許可する、という政策が僕は一番面白かった

 僕の周りは人達は安野さんをかなり評価しているんだけれど、僕はそんなに都知事として評価できなかった。
もちろん、政治は世界をよくするもの、という考え方に立てば安野さんは素晴らしい。

でも政治家は僕たちが対応できない危機や災厄に見舞われたときにあきらめて犠牲を払う際の責任の所在でもあるわけだ。
すべてに責任を取る立場である。
安野さんはおそらくすごく能力が高い。替えの効かない人材である。しかしながら政治家になってしまえば任期があり選挙があり、替えられてしまうのだ。政治家は替えが効く。
そしてこの社会においては、政治家はちょっとした失敗でも大いにたたかれることになる。それに耐えうる鈍感さ、を安野さんが持っているのか、と考えると疑問である。
政治には携わってほしい、是非に携わってほしい。それこそが東京を、日本をよくするとは思うが、政治家に向いているとは思えないのだ。
安野候補に政争ができるとは思えないし、そんなことをやらせていては東京の、わが国の損失であろうと思う

 安野候補には権限はあるけれど責任は上長に任せて自由に仕事のできる立場、知事ではなく副知事や参与、技官なんかが向いているんではないだろうか、と思ってしまう。

安野候補は夫妻で活動。

 

・7月2日 昼 中野 小林弘候補

 

中野で小林弘候補の演説を聴く。自らのうつ病体験を語る姿は他人とは思えない。

今回の都知事選はうつ病経験を公言する候補者が結構多い気がする。

演説は結構魅力的。看護や保育、教育の従事者の給料をアップする、ごみ箱をもっと設置し、公衆トイレを新しく、きれいにする。なんてのは大いに首肯できる政策。なんだけれど聴衆はあんまりいなかった。おっちゃんが一人へろへろになりながら時折拍手を挟んでいた。

僕もいつもより大きくうなずく等でなんとか盛り上げようと頑張る。


このあとさすがに少し近づく。

 

・7月2日 夜 高田馬場  蓮舫候補(本人は来ず)

 小学校の体育館での演説会。海江田万里、福島瑞穂、山添拓、石川大我とそうそうたる面々による演説。
やはり福島瑞穂は出色の面白さ。あの社民党にしかないイントネーションでしゃべられるだけで笑ってしまう。元秘書の石川大我現立憲民主党議員との、党と党で袂はわかったけれども決して仲が悪くない感じも素敵だった。年齢層がとにかく高い演説会だった。神宮外苑の木を切るな界隈、みたいな界隈があってそこからずいぶん来ていたようである。


ペイズリーのスーツ。

 

・7月3日 昼 新宿 さわしげみ候補 

 

 この日は暑い。体力の問題もあるので漫遊はよそうと思っていたのに、街頭演説の情報をTwitterで見てしまうと自然と体が駅に向かう。正直体調もそんなによくない。気温は34度。新宿三丁目で三輪陽一候補が演説をするとの情報で新宿三丁目につく。少し早めについて喫茶で作業を行い、13時30分を待って新宿三丁目の交差点へ。

しかし三輪候補がいない。新宿三丁目駅は出口が多い。いくつかの出口をぐるぐると回るが見つけることができない。おかしい、と思って三輪候補のSNSを見ると「14時からに変更します」と13時30分に投稿がある。く。と思う。時間は13時45分。喫茶に入るほどではない。しばらく炎天下の中待つ。14時が近づき、そろそろやってくるかな、と思い再び各出口のあたりをうろつく。しかしなかなか見つからない。もう一回三輪候補のSNSを見ると「15分から30分になります」と書いてある。これが「14時より演説を開始し15分間から30分間の間しゃべり続ける」なのか「14時15分から30分くらいに到着し、演説を始める」なのかがわからず、結句14時45分くらいまで三輪候補を探す。が見つけることはかなわなかった。ヘロヘロである。

 続いて新宿アルタ前でさわしげみ候補の演説。三段くらいの脚立の上に立って高さを出して目立っている。
足元を見ると、低いとは言え脚立の天板に両足を載せてその両足でさわしげみと大書した旗竿を挟み、トラメガ片手に演説をするというものすごい体幹。この人が当選したら歴代都知事の中で最強の体幹を持つ都知事の誕生になるに違いない、と思わせる。

演説を聴くと自衛隊で二佐まで勤め上げたとか。和装で椎名林檎ばりにトラメガで自身の主張をはじけるように語っていく。


体幹の男。

漫遊するたびにお見掛けして、なんだかお見掛けするたびにうれしい気持ちになるライターの畠山理仁さんがこの日もおられた。少し話をし、とある局の記者の方ともたくさんおしゃべりをする。記者の方によると僕がついに発見できなかった三輪候補は新宿五丁目にいたそうで、話を聞けたそうである。裏をかかれた形である。口惜しい!

 

・7月3日 夕方 池袋  内野愛里候補

 池袋に移動して政見放送で着衣を脱いで話題になった内野候補の演説を聴く。これもやはり迷う。池袋駅で演説、という告知だったのだが池袋駅も広いのだ。うろうろうろうろした末、内野候補のSNSにアップされた写真で場所を特定しなんとか到着。都民であるなら問い合わせをすることもやぶさかではないのだがこっちは漫遊中の神奈川県民。なかなか手間のかかるような問い合わせはできない。

やはり、というべきかカメラを構えた中年男性が何人かいる。若い出方の女性あるところにカメラをもった中年男性あり。である。絶対にいる。必ずいる。カメラやはもうかっている。「どこにでもあらわれるではないか」といつも驚く。

内野候補の隣に立つ男性がマイクを握ってよくしゃべる。「内野愛里一肌脱いで、かわいいを武器に立ち上がりました」などと令和の女性候補の応援演説とは思えない、昭和の残滓みたいなことを語る。まだ若い男性だったのだが。

選挙というものは人のマインドを昭和に逆行させる何かがあるのかもしれぬ。

池袋は広い。

 

・7月4日 昼 麻布十番  桜井誠候補

 小雨が降ったり降らなかったりの高温多湿。最悪の量の汗が噴き出す。最悪の気持ちになりながら麻布十番へ。韓国大使館前で待機する。排外主義の主張を隠そうともしない桜井誠候補の演説であろうから、おそらく公安であろう、もちろん制服ではないのだが、公安にしか見えないワイシャツにスラックスの男たちが大量に待機している。もちろん警官もいる。

選挙活動だとこういうハレーション必死の、凸、というような行為も許されるから大変な警備である。民主主義と言論の自由のためには必要なコストであろう。が、言論の自由。排外主義演説をわざわざ韓国大使館前でやらない自由もあるのだけれど。むつかしい話である。

また韓国大使館前は道幅が狭いので通行にも大変支障をきたしていた。

日の丸、日章旗の類を持った桜井候補の支持者たちが沿道に集まり、選挙カーが韓国大使館に横付けをする。前座の方がしばらく演説をし、桜井候補が登場、選挙カーの櫓の上に上って演説を始める。…自由な選挙活動は許されるべきだし、どんな大使館の前で何を言ったっていい、それは許され続けるべきだとは思うが、それを実際やるのはよくないというか。じゃあ、自由な選挙活動は実際的には許してはならないってことか、と言われると、いやそうではくて、できる自由を持ちつつしないという選択を取り続けるという…みたいな歯切れの悪いことしか書けない。むつかしい。

ぼくたちは表現の自由を持ちつつ、誇り高く堂々と黙る、ニコニコする、感じよく振舞う。ということをしていくべきなんじゃないかなあ。

演説は排外主義、あしざまにののしる、という感じでちょっと聴くに堪えられるものではなかった。つらいものであった。

 演説を全部聞く精神力は僕にはなかった。ライターの畠山さんならば最後まで聴き取材をするだろう。しかし僕には無理であった。深く傷つき、すごすごと撤退する。あくまで漫遊であるからな。無理な演説を聴くことはあるまい。


きびしい。

 

・7月4日 夜 高田馬場  蓮舫候補

 高田馬場に移動して蓮舫候補の街頭演説。すごい人出であった。これまでに観てきた蓮舫候補の演説会より若者のボランティアの数がぐんと増えていた。聴衆も20代とおぼしき人が数多く。何かのムーブメントが起こっている感じはした。フェス感がある。

街頭演説会が始まる、野田佳彦の顔が、20日の本人の演説でも言っていたが、蓮舫候補と並ぶと本当に大きい。並ぶどころか蓮舫候補の後ろにいる野田佳彦の顔が大きすぎて何かトリック写真みたいな写真まで撮れた。


ルッキズムではあるが、本人公言なので。

安住淳、野田佳彦の順番でしゃべり、間を辻本清美がつなぐという感じ。見事だった。

応援の3人はみな早稲田出身だそうで、それを楽しそうにしゃべる。

僕の心の中の低学歴弱者男性が顔を出し

「こんな、私立大学の名門早稲田の卒業生みたいな、そして国会議員をやっているような、上流階級が並んで楽しそうにしゃべっていやがる。それを未来ある若者が楽しそうに聞いている。ここは高田馬場、聴いている若者も早稲田生かもしれぬ。皆いい企業に就職して幸せな人生を送る。輝かしい未来が待っている。しゃべるのも早稲田聴くのも早稲田。かーっ!けっ。俺のような太った低学歴低収入根暗デブ、人生の敗残者未来の犯罪者が来る場所ではないふざけやがってぶちこわしてやる右翼大学京都産業大学の意地を見せてやる俺は剣道もやっていたのだ…」などと暴れだしそうになったがそこんとこぐっとこらえて。
多分朝の桜井候補の演説のストレスが僕の中の弱者男性を呼び覚ましてしまったのだろう。くわばらくわばら、である。なんとか最後まで冷静に演説を聴き、帰宅する。

すごい人。

 

・7月5日 朝 都立大学  後藤輝樹候補

 後藤輝樹候補の演説会。珍なる政見放送によって意外とネット人気が高い人である。僕は彼の政見放送は前回のものも今回のものも大変苦手である。前回は性的なフレーズをたくさん発する一人コント風のもの。今回はラップのようなもの。前回の政見放送は、政見放送で性的なことを言う、以外の勝算がまったく見えず、構成力もフレーズ力もないからまったく笑えず、下品なことをわざわざ言って滑っているだけ。観て、なんだか恥ずかしさと怒り、みたいなものを覚えるだけであった。

今回のラップは、政見放送でそれをやる、以上の勝算がやはり、ない。

内容、まあラップとしてとらえるとリリックか。リリックが全然よくない。面白味もなければ怒りもない、人間的魅力すら出ていない。お為ごかしの誰でも知っている道徳と、それに対するありがちすぎるほどありがちな主観での哀しみを早口で並べ立てただけの代物である。稽古はしている感じはしたが、それでも政見放送では言葉に詰まって出てこない場面もあり、それがさらにこちらの気持ちを恥ずかしさと怒りの鍋に放り込む、という感じだった。

 そんな後藤候補の個人演説会。都立大学駅の近く、パーシモンホール、セーラー服で出てきて「新しい東京のリーダーズです」と後藤候補が言う
これもよくわからない。そのあと何かのフリになっているわけでもない。受けるどころか失笑すらおこらない。忘年会レベル以下のおふざけ、である。そのあとくだんの政見放送のラップをやり、質疑応答。


新しい東京のリーダーズ。


質疑応答で真面目な人なんだな、ということはよくわかった。
真面目な人が無理をして面白いことをしようと考えて、こんなことをしてしまっている。むなしいことである、
よく名前が出てくるけど、外山恒一は面白さの先に目的があったけど、彼にはそれを感じられない。

 面白くない人が面白いことを考えて、やってみて、滑っている。それが地下お笑いではなく、選挙なので、白日の下にさらされている。いったい何の意味があるのか。

もちろん彼が自由な表現活動をできることには価値がある。そういう選挙制度、彼が選挙で表現でき続ける制度であり続けてほしい。
が、それ自体、彼の選挙、そして選挙を使った表現には何の意味もないだろうと思う。
僕がこのように12000文字を超えて誰が読むかわからない長大なnoteを記しているのと同じことである。

意味はない。

 しかし後藤輝樹の政見放送や選挙活動のように僕のnoteも誰かの心に届くかもしれない。だから彼も僕もやめられない。やめられない僕たちを、法律によって阻害する社会にはなってほしくないのだ。
僕は僕と違って300万円の供託金と諸々の選挙資金を使って立候補して表現をした彼にリスペクトを示し、彼の政見放送と個人演説会を観て、彼のやっていることは僕にとっては面白くない、とちゃんと書き残しておこうと思う。
彼がやりたいのならばずっとずっとやれる社会であれと切に願うし、彼のやりたさを社会が阻害するならば、僕は彼のことを面白いと思ってはいないが、彼のために戦うのはまったくやぶさかではない。とも思うのだ。

そんなことまで思わせるのだから、やっぱ彼の活動は僕にとって大いに意味があったのかもしれない。

 

・7月5日 夜 お台場  河合悠祐主催の合同演説会

 初めてのお台場が漫遊になるとは。フジテレビに収録で、がよかったぜ。と思いながらお台場にある区民センターへ。冷房が効かないホールで大変に暑い。集まった報道陣もしきりに暑がっている。

 この演説会はジョーカー議員こと河合候補が主催で、ネオ幕府アキノリ党のアキノリ将軍未満候補、NHKから国民を守る党のふくはらしるび候補、AIメイヤー候補、さわしげみ候補、河合悠佑候補、遅れて田母神俊雄候補とその応援で小林興起元衆議院銀という座組で行われた会。

まずは田母神小林の御両人とAIメイヤー候補が遅刻する中で演説会が始まる。
ジョーカー河合候補ががっつりと仕切っていく。河合候補によると「投票率を上げるという志を同じにする方」を集めたそうである。
正直声をかけやすそうな候補を選んだ感じが否めない。
全員がなんだか軽薄な感じで、あんまり好きになれる候補がいない。
安野候補や石丸伸二石丸幸人の両石丸候補、政見放送を観ていく中で気になった古田真候補や福本繁幸候補、大和行男候補、NHKから国民を守る党の三輪陽一候補。あるいは忠臣蔵義士新党の小野寺こうき候補、お金をみんなへ シン独立党のしんどう伸夫候補などにも出席してほしかった。
それぞれがキャラクターを演じるような感じで、見ていて空々しさを感じざるを得ない。そのうちにAIメイヤーが登場するも空気は変わらないが、一変したのは小林興起氏が田母神候補に先んじて登場した瞬間であった。

 登場したなり仕切りの白塗りの河合候補に臆することなく舞台上で「何を喋ればいいの?ああん?」と聞いて「ああ、小池百合子のことな、はいはい」というとやおら部隊の真ん中で小池百合子を「あのバカ女」呼ばわり。そこから速射砲のように、小泉政権時代に自らが郵政民営化に反対し、自民党をやめさせられ、選挙区に小池百合子を刺客として差し向けられて負けるはずないのに負けた話などを語り続ける。

 今までのしまらないキャラ頼みの議論から打って変わっての政治家らしい掌握力。言っていることはひどすぎるがその掌握力に迫力を感じて「すげー」と思わせてしまう力が小林氏にはあった。
河合候補もほかの候補たちとは違った対応で小林氏を迎え、丁寧に昔の政治のこと、出馬の経緯などをインタビューしていく。
最後には本の宣伝まで促す進行ぶりで、何がジョーカーだ!と思っていると田母神俊雄登場で、いち早く河合候補が立ち上がって深々とお辞儀。権威というか、空気に負けている感じがして、売れてない芸人ムーブで悲しかった。

 さわしげみ候補のほうが、田母神候補の演説の後に別に誰も聴きたくないであろう自説をとうとうと述べたりして空気が読めず、よほどジョーカー度は高かった。
その時当のジョーカー河合議員は時計とさわ候補を見比べて時間を気にしているのだからいよいよジョーカーではない。腕があればタイムキープをしながらタイムキープをしていると悟られないということもできるのだが、そういう腕はなく「俺は時間を気にしているんだが、こいつがしゃべりすぎている」という司会上の責任転嫁を行うにとどまっていた。

 河合候補が「ジョーカーの真似をしている、ジョーカーになりきれない狂気をなぞるジョーカーのフォロアー」を高度にパロディしているという可能性に賭けて見損なわないようにしようか、とも思ったが、それをやっても滑るしなあ。と思うと逃げ場がない。

何やら少し悲しい気持ちで台場の風に吹かれながら帰路についた。


何故か最後は田母神候補に全員でエールを送る。
アキノリ候補のみ民主主義に反対の見地からエールを拒否。

 

・7月6日 昼 銀座  小池百合子候補

 銀座四丁目で小池候補の演説。演説会場は歩行者天国になっている大通り、フェンスによって仕切りが作られ、荷物検査にパスしたものだけがフェンスの中へ入れる仕組み。

小池応援側がフェンスの内側に入り、抗議をする人たちはフェンスの外になっていた。

 前日の新宿バスタ前の小池候補へのヤジが話題になったためか、小池候補支持、というより反小池派のヤジつぶし、みたいな日の丸のセンスを振り回す男性なども出動していた。

新宿区長の応援から演説会が始まるが、序盤から柵の内側で「築地返せー!」と怒鳴り続ける男性がいて、それをスタッフの人が必死に「静かに聞いてください」と止めていた。しかしなかなか止めることもできずにいると、今度は体の大きい聴衆が一人よってきて「築地返せ」の男性に顔を近づけて「うるさいねん帰れ」などと挑発。もみ合いに発展する。

築地を返せニキ。

それでもこの男性ははあきらめずに「築地返せ、嘘つき」と怒鳴り続けていた。が、残念なことに炎天下。小池候補本人登場のころには声がかれて小さくなってしまっていた。

小池候補の演説は今までの実績を並べる北千住で見たのと同じような内容だったが、反小池の人々がプラカードをを掲げ、嘘つき、やめろ、とコールをかける。ただいかんせん組織をされていないので、大きな波にはならない。僕に任せてくれれば大きな波にできるけど、そういう愉快犯的なことはしたくないし、と傍観を決め込んでしまう。

そして最後。小池候補が演説を終えたタイミングで大きめの「やめろコール」が巻き起こるが、司会の女性が「百合子コールお願いします」と百合子コール。支持者もそれに加勢して、やめろコールと百合子コールの大合唱であたりは騒然。反小池側の何人かが百合子コールの裏拍でやめろコールを入れて「百合子やめろ」になりはしないか、と画策したものの、指揮者の不在ではそのようなややこしいことはできるはずもなく。結局なにごとも怒らずに演説は終わっていった。

 

・7月6日 昼 神保町  内藤久遠候補

 しゃべり方が麻生太郎に似ていて、口が悪くない内藤候補。これだけだと麻生氏よりも政治家に向いていそうである。演説の時間をSNSで発見し、神保町で待機するが、時間になっても候補が現れない。あきらめようとするとまたまた登場、ライターの畠山理仁さん。車で登場。同じ情報をつかんでやってきた、とのことだけれど、内藤候補は現れない。「これは会えないかな」と思っていると車に乗って内藤候補が登場し、演説を始める。

 小泉構造改革の批判、小さな政府批判、民営化批判を行っていく。そして今回のキラーフレーズは「民主主義を取り戻す」だ。演説にも熱があり、台本なしで25分間しっかり訴えた。正直主張がぶっ飛んでいることはなく、語るだけの知力も体力も弁舌もある。しかし党派の仲間に入っていない、という一点でなかなかテレビには取り上げてもらえない。おかしなことである。内藤さんの政策内容なら、ほかの候補と同じ報道量なら結構投票する人も多いと思うのだけれど、どうなんだろうか。党派にできないという一点で失うものがあまりにも多すぎる。

なぜか車道に向かって。

 

7月6日 夜 泉岳寺  小野寺こうき候補

 高輪ゲートウェイ駅に到着するとものすごい雷雨。恐ろしすぎる。小野寺候補がマイク納めを行う財界二世学院ビルへ。雨宿りするカフェなどがなく、マイク納めの1時間半くらいまえに到着してしまったにもかかわらず、会場に入れてもらうことができた。本当に助かった。さすが義士新党。ありがたいことである。しかし早めに会場入りしたからか、目の前でマイク納めのリハーサルが行われていく。

 会場を観ていると、小野寺候補が様々な要人と握手をしている写真のパネルが貼ってある。中曽根総理、福田総理、森総理とそうそうたるメンバー。その中に小野寺五典元防衛大臣との写真も貼ってあったのだが、なんとそこに「甥っ子」と書いてあるではないか。なんと小野寺こうき候補、小野寺五典のおじさんであったのだ。そんなことをおくびにも出さずに選挙運動をしていて、大変立派だと思った。自民党としては小池百合子候補をステルスで推している状況で、支持をばらけさせるわけにはいかなったのであろう。だから小野寺候補も五典氏との親戚関係を隠してあえて厳しい戦いに挑んだのだ。くー。義士である。静かに感動をした。

 しばらくしてマイク納めが始まる。今回の選挙のために作られたオリジナルソングと、今回の選挙の映像を編集した小野寺候補のPVが流れる。後援会長や候補者の姉のお礼の言葉があり、ご本人の演説。この演説の中、衝撃の事実が発覚する。なんと今回の都知事戦にも出馬したドクター中松候補が最初に都知事選に出馬した際、この小野寺候補が選対委員長を務めていたというのだ。まさかのつながり。今回の選挙は師弟対決。いや、あるいはドクターが吉良で、小野寺候補が大石だったのか。妙な因縁に心が震える。

60分ほどのマイク納め和気あいあいと終わった。


いい笑顔。戦いは最終盤。

 

・7月6日 夜 万世橋  しんどう伸夫候補

 小野寺候補のマイク納めで一緒になった選挙漫遊仲間と秋葉原へ向かう。わけのわからないヤキトン居酒屋でご飯を食べる。漫遊仲間だけあって、話はつきない。ありがたい。そうこうしているうちにしんどう伸夫候補の個人演説会の時間になる。都知事選のラストを飾るのはここしかない、という気持ちだ。

会場は前回来た時よりも人数は倍以上、しんどう候補の訴えが着実に浸透してきている、あるいはその人間の魅力に人々が気づき始めている、というところか。


最後の演説会。

やっぱりライターの畠山さんも来ておられた。憧れの人の割には顔を合わせすぎている。恐ろしい街だぜ東京は。

さらになんとこの日は畠山さんに選挙漫遊の扉を開いた大川興業の大川豊総裁も演説会に来ておられた。大川総裁の著書『日本インディーズ候補列伝』は畠山さんの『黙殺』『コロナ時代の選挙漫遊記』と並んで我が座右の書である。

要するにこれらの本に対して僕が感じる魅力とは何なのか、ということを考えると

「話をしたくて話をしているのに、話を聞いてもらえない人に話を聞いてみたら面白かった、と面白い人が書いている」ということなのかもしれない。

話をしたくて話をして聴いてもらえないことが多かった人生だった。それを聴いてくれる人がいるというのはやはり救いである。面白く思ってもらえる、おもしろがってもらえるのならなお救いである。

講談を修行していくことによって少しづつ話を聞いてもらえるようになった。こうなると、僕が面白い人になって、なかなか話を聴いてもらえない人の話を聴いてみると面白いものだ、ということを伝えたくなる。

そういう希望と夢が横溢した3冊だ。大事な大事な人生の3冊。

 

 目の前でしんどう候補が最後の訴えをしていく。大川総裁がトリックスター的に講演会を盛り上げていく。最後にはしんどう候補も「歌でも」と言って名曲『我が君』を歌唱してくれた。

二週間の選挙戦。毎日街頭に立ち、講演会をし、一人で重たい荷物をもって、ボランティアの協力もなく戦い続けたしんどう候補。

御年は70代も半ば。決して若いわけではない。それでも政策と世界観を練りに練って、それだけでは伝わらないと歌まで作って、東京に乗り込んで最後の個人演説会での熱唱は、熱戦の疲れを感じさせない高校球児のような朗々としたまっすぐなものだった。

この日まで見てきた候補たちの顔と演説姿が頭の中に思い起こされる、楽しい選挙漫遊だった。愉快な選挙漫遊だった。人の話を聴くというのは面白いことだ。刺激的なことだ。演説自体が面白くなくても、面白味というのはあふれ出ている。しんどう候補の歌声は、選挙漫遊賛歌のように、僕の耳には響いてきたのだった。

 しんどう候補が歌い終わると会場から万雷の拍手。それはしんどう候補への拍手だったが、戦い抜いたほかの全候補者、そしてこの自由な戦いを、ドラマを、ドキュメンタリーを悲劇を喜劇をこの世に生み出した民主主義への、十数人からの、万雷の拍手だったのかもしれない。


うれしい。

参加者全員で会場の片づけをして、秋葉原駅頭で最後の挨拶を行うしんどう候補を見送って、三々五々解散をする。畠山さんは「もしかしたら高円寺に候補者がいるかも」とさらに取材を続けるようすであった。本当に好きでなければ超えられない体力気力の一線を越えている畠山さんは大変に輝いて見えた。


さいごまで挨拶をするしんどう候補。

 

まとめ

 以上が今回の選挙漫遊の記録である。あまりに長大。今のところ18000文字。原稿用紙換算(そういうものを換算できるウェブサイトがある)で54枚。あまりに長い感想文になった。今回の選挙は一体何だったのか。2週間廻ったが、やはりそこは趣味で回っているだけのこと、気持ちのいい総括なんてのはできない。

しかしいくつものきらめく場面を目撃することができた。

僕は選挙漫遊をこれからも趣味としたい。きらめく場面を見続けたい。

そのために、今回の都知事選では幾度も言及してきたが、きらめかない、おもしろくない、いかさない場面も多かった。しかしそれらをそういう理由で法的に規制したりする動きが出れば、僕は粛々と抵抗しようと思う。たとえ許せないくらい面白くなくても。だ。

小池候補への罵詈雑言、蓮舫候補への罵詈雑言、韓国大使館への罵詈雑言、ほかにも僕の知らないところでさまざまあったろう。とても聴いていて耐えられることではない。しかしそれを規制するというのならば、反対せねばならないと思う。

そして、規制に反対したうえで「そのような言葉使いで罵詈雑言をするのはよくないと思う」と言い続けなければならないとも思う。

彼ら彼女らの罵詈雑言を規制するということはすなわち「罵詈雑言はよくない」という言葉すら規制する道への第一歩に他ならないのだから。

今回は言論の自由について考えさせられる羽目になってしまった。

つまり河合候補のポスター戦略にまんまとやられてしまっているのである。

あのポスターを肯定するか否定するか。選挙戦の結果なんかよりも、そのテーマに射抜かれた選挙戦だった。なんだかちょっと悔しいが、やはりあのポスターも僕にとってはこの選挙戦における大事な輝きであったのかもしれない。

 

 選挙後、様々な報道が走っている。SNSも大騒ぎ。安野氏が持ち上げられ、石丸伸二氏はひたすら露出を増やしている。当選した小池百合子知事は話題になることなく、蓮舫氏はどうやら少し落ち込んでおられる様子で、ここぞとばかりに叩くもの、守るもの、見当違いに叫びだすもの…当選した小池百合子界隈の静けさとは対照的な大騒ぎが続いている。

河合氏と小林氏は今回の選挙は不当だったと裁判を起こし、アキノリ将軍未満氏、さわ氏なんかは祭りの余韻をまだ楽しんでいる感じ、三輪陽一氏はアルバイトに戻り、ドクター中松氏は筋トレを再開し、内野氏はこの知名度上昇を利用して活発にSNSで発信を続けている。そしてしんどう候補は自らの得票を嘆く投稿をSNSにしたものの、選挙後5日、はや二曲の新曲を発表し、独自の発信を続けている。

 次の大きな選挙がいつになるかはわからない、しかしこの座組の選挙はこれがおそらく最初で最後。振り返ってみると実に面白い選挙だった。民主主義これからどうなるのかはわからない。例えば20年後「2024年の都知事選、あの頃はまだましだった」と言っているのか、それとも「2024年の都知事選、あれは本当にひどかった、民主主義が終わるかと思った」と言っているのか。それはまだわからない。

 

しかし一つだけわかっていることは、未来の民主主義の形を決めるのは、我々有権者だということだ。すべては有権者の手にゆだねられている。

だってそれが民主主義なんだから。

 

尊敬する、何回この記事に登場するんだ、という畠山さんの言葉をお借りして、このやけに長大な文章を締めくくろうと思います。

「がんばろう有権者!」


 

 

 

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