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映画『さよならテレビ』『大名古屋狂詩曲』を観た


 大阪十三にて東海テレビ制作のドキュメンタリー映画の一挙上映企画「押売り」が開催されていたので観に行ってきた。
何作か観たいのがあるので行くつもりだったが、今日は『さよならテレビ』を。

 東海テレビ内部にドキュメンタリーのカメラを持ち込んで「テレビの今」を撮影していく。ドキュメンタリーで映したら面白そうな人が3人居て、その3人を主役として映画は進んでいく。一人は数年前の局の不祥事で心に傷を負った花形アナウンサー、一人は契約社員で局内では冷や飯を食わされながらも真面目にメディアの役割を考え取材にまい進するベテラン記者、一人はどうにも不器用で仕事のできないアイドルオタクの新人派遣社員。
彼らの仕事の成功や失敗、葛藤や悩みをドラマチックにカメラが映し続けていく。
彼らの吐く言葉や態度は本当に面白いし飽きることなく観ていられるし、また彼らを取り巻く局員たち、とくに報道部の人たちのキャラクターもいい感じで立っている。
個人的には調整室のリーダーっぽい眼鏡の人に好感を持った。

 まあ、しかし、もうこれ以上は書きたくない。とにかく見てほしいな、と思う。あと何度か上映があるはず。帰宅してすぐに友人に「観に行くとよい」と連絡を送らせる力がある映画だった。絶対に上に書いてある以上の面白さがありますから。
今回の十三での押売りが終わったら詳細な感想を書きたいな、と思っている。

 あまりに『さよならテレビ』が面白かったので、続いて『大名古屋狂詩曲』も見た。河村たかし市長の2021年の選挙戦を中心に追ったドキュメンタリー。もともと河村たかし市長のことは「目立ちたがり屋の困った人」だと思っていた。
が、河村市長も元々困った人ではなかったわけで、徐々に困った人になっていったのだ、というのが良く分かった。
偉そうにしたいからと言って検察官を目指すも司法試験を何度受けても落ちて、新党ブームで議員になり、テレビに出て知名度で選挙に勝つようになり、テレビに出られるようなパフォーマンスに注力するようになり、名古屋弁を濃くし、政策すらもパフォーマンス化していくという。完全に手段と目的が逆転ないしは混然一体となってしまっていて、まさに妖怪とでもいうべき現在の河村市長の姿を形作っている。
言語不明瞭ながらも怒ってみせる、喜んでみせる、おどけて見せることによって市長で居続けようとするその姿には哀愁すら感じたのだった。
ポピュリズムの妖怪。怪物ほど強くはない。お化けほど圧倒的ではない。ポピュリズムに囚われた困ったお爺さんだ。

 選挙戦は奇しくも映画『香川一区』で観た小川淳也衆議院議員の選挙と酷似していた。手作りで、なぜか自転車に乗る。組織に頼らない。小川議員も全然河村化する。妖怪化する可能性ある、素質のある人だと思う。そう考えるとどうにもこうにも味わい深い映画体験となったのだった。

 次は『ホームレス理事長』を観たいと思っている。楽しみ。

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