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⑨色んな角度から真善美を考察する

 私の100日チャレンジの《きっかけ》はある阿久津さんと言う細胞と話している女性がきっかけなのだが。

何やら《真善美》なるものを根幹にされてるとか。という事で、Google先生に辞書を引く様に聞いてみたのだった。

殆どクォートです。先ず客観視してみよう。うん。
URLの貼り付け方法よくわかりません🙇‍♂️💦

https://motivation-up.com/whats/shinzenbi.html
原宿に住むコーチ、社長、
ブロガーさんの《モチラボ》中から、

「真善美(しんぜんび)」という言葉があります。

「真」とは、嘘偽りのないまことのこと。
「善」とは、道徳的に正しいこと。 
「美」とは、美しいさまのこと。

これら三つは、人間が理想とすべき基本的な価値概念であり、行動規範だとされています。つまり、「真善美」を体現することが人間の理想的なあり方である、と言うわけです。

更に柳井さんの一言。

「私の生き方のモットーは、正しいことをする、行動しながら修正していくということです。毎日の生活では、「真善美」を実践するように最善を尽くしています。
英語では「Truth」「Goodness」「Beauty」と訳されるそれらの価値観を持ち続けることで、人生を信頼できる方法で生きていくことができると信じています」 
(柳井正:ユニクロ創業者)

中略

最後に

何かに迷った時、自分を見失いそうな時、「真善美」という価値観を思い出すことはきっと役に立つはずです。困難な場面でも、きっと道を踏み外さずに済むはずです。 
個人でも組織でも、行動規範として常にこれを意識しておくことをおすすめします。

常に真善美を意識して行動していれば、それが自然と体現できるようになっていくでしょう。そうなれば、その人は人生のマスターともいうべき存在となっているでしょう。

人生をしなやかに生きている人たちは、本人が意識しているかどうかに関わらず、結果的にこの「真善美」を体現しています。
https://biz.trans-suite.jp/54175
ビジネス系のブログからの目次です。

目次

1 「真善美」の意味とは?
1.1 「真善美」の意味は「理想を具現した最高の状態」
1.2 学問の目的でもある「真善美」
2 「真善美」の使い方と例文
2.1 生きる上での究極の理想を「真善美」と表現する
2.2 高い美意識を示す言葉として「真善美」を使う
3 「真善美」の語源とは?
3.1 「プラトン」のイデア論が出発点
3.2 「カント」の哲学が「真善美」の語源
4 仏教における「真善美」とは?
4.1 仏教では「真善美」を「真我」と表現する
5 まとめ
https://ja.ichacha.net/english/%E7%9C%9F%E5%96%84%E7%BE%8E.html
英語に訳すと、、、

真善美
しんぜんび
the true, the good, and the beautiful

善美:    善美ぜんびthe good and the beautiful

善美を尽くした:    as perfect as wealth and art can make

善美を尽くした宮殿:    sumptuously-furnished palace
http://rin2014.blog.fc2.com/blog-entry-179.html
凛とした人生というブログから
本のまとめ的な観点で。

塩野七生 : ローマ人への20の質問

「美への愛の結晶は芸術、心理への愛の結晶は哲学。この面となるとローマ人は逆立ちしたってギリシア人にはかなわなかったのでした」

「美に真とくれば、善はどこに?」

「美も真も、極まれば、人間に対して善をもたらすこになるのでは?」

👆のブロガーさんの主観👇

「真善美」という訳は適訳です。しかし、「真」は日常生活では使いづらい。そこで私は「正善美」という言葉で考えるようにしています。

・正か誤か
・善か悪か
・美か醜か

日常における選択のほとんどは、この基準で判断できるはずです。これを続ければ私の人格も磨かれるはず。。。なんですけれど、実際には煩悩が先走り、

・快か不快か
・損か得か

に戻ってしまいますね。
https://www.helio5.com/entry/2018/12/15/160000
スピ系の方のブログより。

弓道の最終目標「真善美」とは

 
「真」
 弓における「真」とは「真の弓は偽らない」ことであって、矢は正しく狙った的に真っ直ぐに飛ぶ から的中にも偽りはない。偽りのない射はどのようにあるべきか、という思いを持つ事も弓における 真実の探求の一面であり、現在弓を射ているその大部分は「真実の探求」であるともいえる。弓に おける真とは、弓の冴え・弦音・的中により立証されている。すなわち、一射ごとにこの「真」を 求めてゆくのが弓道(求道)の「みち」である。

「善」
 ここで「善」というのは、主として弓道の倫理性を指す。弓道の倫理、すなわち礼とか「不浄」 とかは静かな心境のことであり、心的態度が「平常心」を失わないことが重要である。
 弓によって互いに親しみ、弓によって協同し、和平であること。心的にも平静を失わない境地が 必要な条件であり現代の弓道の特性である。

「美」
 弓における美とは何かといえば、前に言った「真なるもの」は美しく、「善なるもの」も 美しい。これを具体的に表現しようとする射礼もその一つである。日本の弓は弓自体が最も 美しい弓だといえるが、その荘厳性と人間の進退周還、それに静かな心的態度がリズミカルに 動くことは、われわれの美的感覚を刺激することが大きい。

参考:http://ritsu-zen.blogspot.com/2010/08/blog-post_8749.html
https://information-station.xyz/6909.html
TANTANの雑学と哲学の小部屋
哲学系のブロガーさんより

真善美の三つのイデアとは何か?プラトンからカントの哲学へと至る真善美の概念と学問体系の区分
2017年6月17日 [哲学の概念, プラトン]


真善美とは、認識上の真理と、倫理上の善、そして、審美上の美という人間の精神が究極的に求める普遍的な価値のあり方を示す三つの概念であり、

こうした真善美という三つの概念は、古代ギリシアの哲学者であるプラトンの思想やその哲学の中心となる理論であるイデア論との関係から語られることが多い概念でもあります。

そして、プラトンの対話篇の中では、こうした人間の精神が探究する普遍的な価値のあり方について、「普遍的真理」や「善のイデア」、あるいは「善美なるもの」といった様々な呼び名で語られているのですが、

その一方で、プラトン自身の言葉で真と善と美という三つのイデアのあり方が並列される形で語られている箇所は実際にはほとんど存在せず、

そうした概念の明確な区分は、プラトン以降のその後のヨーロッパ哲学の流れの中で徐々に形づくられ定着していった区分でもあると考えられることになります。

中略

カントの哲学においては、

第一批判である『純粋理性批判』において真理が、第二批判である『実践理性批判』において善が、そして、第三批判である『判断力批判』において美についての探究が行われることによって、

プラトンの哲学における真善美の三つのイデアのすべてが包括される形で哲学探究が進められていると考えられることになるのです。

https://aeneis.jp/?p=855
《山下太郎のラテン語入門》
ラテン語の独習を支援する
1000を超える名言名句の解説
2011年5月15日より

《Pulchre, bene, recte.》

「プルクレー・ベネ・レクテー」と読みます。
pulchre は「美しく」を意味する副詞です。
bene は「善く」を意味する副詞です。
recte は「正しく」を意味する副詞です。
「美しく、善く、正しく」と訳せます。
ホラーティウスの『詩論』に見られる表現です。
http://thinkweb.co.jp/blog/
儲けの秘訣を伝授しますというブログより

心純見真 その4
水曜日, 7月 29th, 2020
機関誌『盛和塾』129号(2014年10月)の記事に稲盛和夫北京管理顧問有限公司董事長の曹岫云さんによる「稲盛哲学はどこから生まれたのか」という記事の中に、本日のタイトル「心純見真」という中国語の成語がありました。曹さんはこの意味を「純粋な心を持っていれば本質を見ることができる」と説明しています。

ここまで「宇宙の本質」について仏であり、真善美といえるのではないかと書いていました。
真善美について語ると長くなりますが、以前台北で映画「サウンド・オブ・ミュージック」のタイトルに「真善美」とあり、なるほどと思った記憶があります。

宇宙は仏であり、真善美であり、そこには純粋というイメージも重なります。

話が回りくどくなりましたが、純粋な心を持っていれば、宇宙つまり本質と共鳴、つながることができるということが、「心純見真」ということなのだと思います。

作業終了。
後でゆっくり読んでみよう🎵

コピペという作業で、さまざまな情報に触れてみたのだった。

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