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オルフェオとエウリディーチェ


「エウリディーチェ」

幕開きと同時にオルフェオが悲痛な声を上げた。
この一声で、たった4音節で、オルフェオの地獄行きが見て取れる。そんな声だった。

美しい立ち姿

これは良いモノなのか?素晴らしいモノなのか?評価されているのだから良いモノなのだろう。

1つの作品と向き合うとき、私たちは自らの審美眼を研ぎ澄まし対峙する。考察し、ふと大きな気づきを得た時の喜びは代え難いものがあるのは確かだ。しかし時に、そんな思考をバサリと吹き飛ばし「これは良いモノだ」と確信する作品に出会うことがある。
(便宜上「良いモノ」という言い方をしているが、その内面は人によってさまざまだ。)

それが、今回のオペラ《オルフェオとエウリディーチェ》だった。

 世のほとんどが、美しさのなんたるかを追い求めるだろう。造形、骨格、瞳の輝き、流れる髪のうねり、それらも角度によって七変化する。しかして、哀しいかな、立ち姿そのものに美しさを見出すことは稀である。如何なる舞台人であってもだ。これは体型や造形の如何によるものではない。
一挙手一投足が、シンプルに存在する役者は少ない。
オルフェオを演じる男声歌手の立ち姿は、彼の本名など記憶からかき消してしまうほど、オルフェオその人だった。
リアリティや自然な感情があるとか、そういう評価が及ぶ次元ではとうに無い。
あまりにも「そこに在る」のだ。

グルックが五線に綴った音符の通りに言葉を紡ぎ、歌い、黙す。

ただそれだけ。ただそれだけだった。

ただそれだけの、美しさ。

作曲家に伏す殉教者のようでいて、彼でなければ決して成り得ない存在。

百合が敷き詰められ、闇と光を交錯させる舞台美術が、彼らの世界をさらに洗練されたものへと押し上げ聴衆の五感を独占する。
ぜひリンク先で舞台写真をご覧いただきたい。
オペラ《オルフェオとエウリディーチェ》舞台写真

最愛の妻・エウリディーチェを失い、悲嘆に暮れるオルフェオは彼女を甦らせるべく冥界へと降り行く。
冥界はエウリディーチェを甦らせる為に1つの条件を出した。
それは「地上に出るまで、決して彼女の方を振り向かないこと」。
オルフェオは地上までの道すがら、エウリディーチェの懇願に耐えられず振り向いてしまう。

たった一瞬。ほんの一瞬。

「あ」という間に訪れた、静寂。

そこに生まれたのは、ふたりの喜びだったのか、絶望だったのか、それとも喜びが絶望に変わる境界だったのか。

涙に暮れ、渇望した、愛した人の生き姿。

あらゆる辛抱から解き放たれた

その時、

喜びと共に死がやってきた。

その時の為の、生であったかのように。



人生百年時代にもなると、生きる意味を考えてしまう時間が大量にあり途方に暮れる。けれど、皆、ある“一瞬”の為に生きているのかもしれない、と思った。

その一瞬は、脳内麻薬のように百年の徒労を報いてくれるのだろう。これは単なる妄想。

そんな幻覚を与えてくれた《オルフェオとエウリディーチェ》。遠い春の夢。

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