将来の夢は?
「将来の夢」「将来なりたいもの」なんて言葉を大学3年生にもなってもまだ聞くことがある。
そのたび正気なのか?と思う。
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小さい頃、それも自我を持ち始めたころから何度も問われ続けている問題だった。
その度に私は「私は何かにならなければいけないのか?」「夢が無いのは変なことなのか?」と思っていた。
少しませた子供だったと今では思う。
幼稚園の発表会の後、ビデオで「園児一人ひとりの夢を発表する」というものがあった。
まだ6歳の私はこれを「地獄だ」と思った記憶がある。
パン屋も花屋もセーラームーンも興味がない。身の回りに溢れた職業に対して憧れたことがないのだ。
そんな私にも当然のように問われる質問が苦痛でしかなかった。
当時ピアノを習っていたため、最終手段として「ピアニストになりたい」と言ってその場を逃れた。
しかし、後で「ピアニストになりたいのね」と友人や先生、ついには親からも言われた時はなんともいえない恥ずかしさを覚えた。
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私は今も自信を持って言えるやりたいこと、目標がない。
そのためか自分のやりたいことや本心を正直に伝えることがいつのまにか苦手になっていた。
そのとに対して拒絶反応があるのだ。
今インターンについて考えているが、本当にやりたい職業をまだ見つけられずにいる。
でも今はそれでもいいと思っている。
最初に就職する企業だけが私の人生ではないと考えているからだ
これは甘え、というものなのだろうか?
これは私がまだ社会を知らない学生だからなのかもしれない。
それでもいい。これから知っていけば良いだけである。
「将来なりたいもの」はないが、私には将来の目標がある。
そんな私は今「結婚したい。」と思っている。
結婚の先にある幸せを手に入れたいのだ。
将来の夢を見つける偉大な友人には「将来の夢はお嫁さんかな〜??」なんておちょけて言ってみるけどそれは本心だった。
将来に正面から悩み、先を見据える偉大な友人たちにはとても本音では話せない。
近年叫ばれている、「結婚だけが女性の幸せではない」という考えは私も賛成だ。
しかし、私は令和時代の今、それを手にしたいのだ。
「将来の夢」というものとは形が違うかもしれないが、私は愛した素敵な人と結婚し、子供を産んで家庭を築き上げたい。
もしかしたら結婚生活や子育てに問題が生じることがあるかもしれない。そんなことは百も承知だ。
それでもその幸せと人間としての営みを味わってみたいと感じてしまうのだ。
こんな恥ずかしいこと友人には話せないのでこの日記に書き留めておく。
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