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箱の中身

体はいわゆる箱みたいなものでまるで入れ物。

心はその入れ物の中に1人につき1つずつ入っている。

箱は見えるけど、心は見えない。

同じシーンを見ていても、あ~こんなにも感じるものが違うのか…。

と、不思議に思うことがあった。

それを見てハラハラと涙を流すひと。

それを見てもまるで何事も無かったかのように別時間の自分の身に起こったことを考えるひと。

その間にいながらにして2人を見比べる。2人に挟まれてみる。

そして、心の自由さに感心するひと。
それが、その場にいたわたし。

心が見えないから、言葉があって伝える術がある。

その肝心な意思疎通をはかる言葉について、今日読んだ木内鶴彦さんの本に面白い内容が書かれていた。

元々、人類は会話を介してのコミニケーション手段を取っていなかった。

では、どうやって互いの意思の疎通を測っていたか?

それは“テレパシー”

なんだかSFめいた内容になってきたけどあくまでも鶴彦さんが書かれている内容なので、信じるか信じないかは…のやつでおおらかな気持ちで読み進めてください。

テレパシーを介してのコミニケーションはダイレクトに思いが脳に届くので、誤解を生むことはない。

争いごとなく、そこにあるのはいつも平和。

まるで未来の話みたいだけど、人類はるか昔に高度な文明を享受していたようなのだ。

ちなみに鶴彦さんいわく、未来ではまたそのようにコミニケーションをとる時代が訪れるらしい。

未来を見てきた事実を元にそう公言されている。

ここで再び、信じるか信じないかは…。


テレパシー交流時代に天変地異と呼べる大洪水がおこり陸地は減り、そのた云々があって…。

大きく地球の環境は変わった。

かつて平和を保っていた人類は少なくなった食料をめぐって争いを起こすようになる。

生きたい!

悲しきかな生きる第1主義
正を欲するのは人類の本能だから仕方のないことなのかもしれない。

そこで、人類はテレパシー回路を
閉じるようになったのだ。

何もかも筒抜けであったなら貴重な食料は 簡単にぶんどられてしまう。

自分だけ、我先に、という我欲が
強くなり自我が生まれました

結果として、

敵対心、猜疑心、競争心、比較、差別など
当たり前になっていきました。

テレパシーの回路を閉じたことで、
意思疎通が必要な場合のために「言葉」が必要になったのもこの頃からです。

本書から

言葉のルーツを知るとちょっぴり心が痛むけど、
それでも意思の疎通を図ろうと我々の先祖は争いながらも、言葉を使って気持ちを運びあってきたのだ。


てんでバラバラだったわたしたち3人があの時、思っていることを言葉にして伝え合えてたら、心の足並みが少しは揃ったのだろうか。


3つの箱が並んでいても、誰にも中身は見えない。

並んでいるただそれだけで、仲良さそうにも見える。

中身を知った時、壊れかけの箱に見えた。

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