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おばんざい〜リサーチと解釈〜

おばんざいとそれを取り巻くものに惹かれはじめ、おばんざいについて勉強している日々。
まずはこれまで提唱されてきたおばんざいの概念をまとめ、それを踏まえながら自分なりにおばんざいを解釈して述べてみます。

●introduction・おばんざいとは
「おばんざい」で検索してみた。

京都でいうおかずのこと。町屋の食卓で日々食べられるおかずのことでお飯菜(嘉永二年(1894)四季の献立を記した本「年中番菜録」では番菜。)昔の料理は上層階級のもので、宮中の有職料理やお寺の精進料理、お茶の懐石料理が一般庶民にも広まって、今日のおばんざいに繋がったよう。
番菜は、”ある語に関して、常用または粗末の意を表す語”とあり日常のおかずのことを言う。

”京都の家庭で受け継がれている日常的なおかず。味付けは出汁を基本に,旬の野菜など、季節の食材を無駄なく使いきるよう工夫された料理。”

”京都で日常的に食べられている惣菜のこと。かつて京都で贅沢品だった魚などの高価なものでなく、手頃な野菜や乾物、それでいてその時旬なものを中心につくられている。だしの旨味を生かした味付けで、野菜の葉や皮などもむだにしない、庶民の知恵が巡らされた料理。”

他、調べている中で京都大学に「おばんざい研究会」があることを知った。おばんざいという曖昧な概念について研究し、定義しようと試みられている。


・おばんざいの意味を説明する言葉

(第一章 「おばんざい」の説明 p.2)

ここからおばんざいとは、京都の文化がルーツの日常的な和食の家庭料理なのだろう。旬の食材をうまく料理することや、その地域の食材、文化、行事などに根付いていることもわかる。

資料のページ数も多いので、ここはまた取り上げられたらなと。
今回、資料を読んでおばんざいを構成する要素をいくつかピックアップした。これまでのおばんざいの概念となる要素を振り返りながら、こんな解釈に広げられるのでは?と思うことを書いてみる。

●特徴:日常のおかず

おばんざいは年中番菜録(1849)にレシピ集として出版されたいたのだが、ここでお番菜の番は”日常の”、菜は”おかず、副食、料理”を意味する。中間層の庶民に向けて書かれた本であったことから、年中番菜録を今風に言うと「1年間の庶民に向けた日常のおかず集」と言える。

●特徴:行事
おばんざいにも、この日にはこれを食べるという風習がある。料理を考える手間が省ける(作る料理のインスピレーション)。例えば、おついたち(毎月1日に神社に行く風習がある)ににしんこぼや、いもぼう、八のつく日にはあらめを、節分には恵方巻きを食べるなど。
行事や風習と食の関係性を見直したり、新たに繋がりを深めるきっかけになるのではないか。

●特徴:家庭の味
京都の家庭料理を意味するおばんざい。味付けは家や個人の好みごとに変わる。日本のどこにいても同じ味で均一的であるのではなく、人や家庭、ひいては地域や社会ごとに多様な味があることを肯定してくれるのではないか。”味は三代”と言うが、味覚は特に幼少期の家庭で形作られるため、家庭料理であるおばんざいから食育をすることは有用なのではないか。

●特徴:京都の文化が土台にある
京野菜のおいしさは京都の地質と資源と関係してる。盆地であることから冬は寒気がたまることで品質の良い野菜ができること、質の良い水があること、昔湖であったことから野菜栽培に適した土壌がある。そのほか、仏教の戒律に従って精進料理が普及したり、政治文化の中心であることで多様な料理様式が発展したりした。地産地消すること、そして精進料理のように肉食や脂の代わりに出汁を使うことは現代の食文化にも有益では。

●特徴:器
大小いくつもの器を使う。
様々な色や感触の器に出会い、職人の作る器に触れる機会となるはず。

●特徴:旬の食材 四季や自然観
季節ごとに食べる食材がある。4月には桜餅、とろろ、鯛。5月にはわかたけ、鯖寿司、山椒。6月は鮎、梅干し、らっきょう、などが書かれていた。
食材の旬に着目することで、食事を通して四季の移ろいを感じたり、食べたくなるものと食べ物の関係を感じたりする。自然との調和や、身体と心を調えることになるのではないか。

●特徴:社交場としての空間性
食卓は家族や身近な人と食事を共にする共食の場所。コミュニケーションを取る役割がある。京都のおばんざい屋さんは、マスターや女将が料理を作ってもてなす、家庭の延長線上のような雰囲気がある。割烹料理屋のような、家では体験できない食体験でありながらも、どこかほっとするおかずの味。バーやスナックのような、新しい人と出会う刺激的な場所でありながらも、何度も通いたくなるような寄りどころとなる場所。刺激と安心感の両方を兼ね備えたサードプレイス的空間なのでは。

●仮説:内と外の間「中間領域」
建築の世界に「中間領域」という、内と外との敷居が曖昧な空間という概念がある。屋内の居心地よさと、屋外の開放感の居心地の良さが両立した空間で、縁側やバルコニーなどがある。都市と山間の間に位置する里山のように。ハレ(特別な日、非日常)とケ(普段の生活、日常)。家庭料理を外で食べること、また外にいながら馴染みある人と食べることから、おばんざいは内と外の間のような曖昧な空間にあるものと言えるのではないか。(曖昧さを肯定していきたい。)

●仮説:ライフスタイルとしてのおばんざい
これまでのおばんざいは、おかずに焦点が当たっていたと思うが、これからはよりおかずそのものだけではなく、その周りにあるもの全体を、おばんざいのようなものとして言えるのではないか?と思っている。

●仮説:ローカルガストロノミー
おばんざいはローカルガストロノミーではないか。「ローカルガストロノミー:地域の風土や歴史、文化、さらに農林漁業の営みを「料理」に表現すること」。今のローカルガストロノミーは、高貴な美食のイメージが色濃いかもしれないが、
料亭のような特別な食事と、家庭のような日常の食事の中間地点に位置付けできるのがおばんざいと言えるのではないか。

●仮説:これまでとこれからのおばんざいは
今まで定義されているおばんざいの解釈の余地は広げられると思う。これから未来のおばんざいってどんなのだろう?
おばんざいを「その地域の旬の食材を使った家庭料理」と捉えると、イタリア料理やベトナム料理もおばんざいとして解釈できるのではないだろうか?食文化が発達し食べるものや作れるものが多様になっている中で、カレーライスやロールキャベツ、ラーメンなど、一昔前では家庭料理ではなかった料理も、現代ではおばんざいと言えるはず。

おばんざいという概念は曖昧でふわっとしているけれど、その分色んな領域に接続できそうで面白そう。


5/31追記)
●おばんざいは概念なのか?
wikipediaによると、「惣菜・言葉・料理」と書かれていて概念とは言われてないものの、最近発酵やテロワールといった言葉が概念として捉えられてる。そんなイメージはあり、おばんざいをメタファーとして、人間の社会、文化、精神などを捉えることができるのでは?

●豊かなライフスタイルとして
一度に数種類のおかずを食べること、出汁の効いた濃すぎないヘルシーな味、野菜をたくさん使うこと、新しい出会いや発見がある食体験をすること、など、一つの目指したい「食べる」形ではないかな。

6/6追記)
●自然と文化の接続領域
自然と文化は対立するものではない。おばんざいでは、四季や旬という自然の移ろいに美を見出しながら、桜の花びらや紅葉の葉といった人工的な自然も取り入れている。


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