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可愛がられる人(1/3)『“可愛がられる”ということ』

 日々、キャリア支援の観点でいろいろな人を見ていると、真面目で頭の良い人であっても、どこか「あやうさ」を感じてしまうことがあります。

 言われたことはちゃんとやる。
 勉強熱心で知識も豊富。
 マナーもちきんとしている。

 立派な人ではあります。
 ただ、「立派な人=社会で上手くやっていける人」でしょうか。

 たとえば、大学で学生たちに課題を指示することがあります。

 学生のAさんは、いつも一番最初に課題を提出します。おかげで私もゆっくりと内容を確認することができます。内容も無難に仕上がっており、特に文句のつけようもありません。

 別の学生Bさんは、いつも期限ギリギリ。「ごめんなさい!」と駆け込みで研究室に持ち込んできます。枚数が不足していたり学籍番号の記入漏れがあったりして、その場で椅子に座らせて書かせます。そのうえで、「しょうがないなぁ」と呆れながら受けとります。

 大学での成績では、文句なしにAさんが高評価を得ることになるでしょう。
 教員と学生・・・・・・という観点で割り切るのであれば、ここで話は終了になります。

 しかし、今後の長いキャリアを考えたとき、私はBさんの方に「力強さ」を感じることがあるのです。

「しょうがいないなぁ」と呆れながらも、「次は頑張りなさい」と応援したくなってしまうのです。

 期限を守らない、というのは、社会人として問題です。この点はBさんの「あやうさ」といえます。ただ、Bさんの、どんなときでも「ごめんなさい!」を上手に言えるスキルと、「しょうがないなぁ」「次は頑張りなさい」を相手に言わせるスキルには、「力強さ」を感じてしまいます。これらの力を、ここでは「リカバリー力(失敗できる力、リカバリーできる力)」とでも名付けておきましょう。

 もちろん、だからといって教員としてBさんの評価を高く付けることはしません。Aさんの方が成績上は高評価です。

 ただ、Bさんに感じた「力強さ」に対して、Aさんに感じた「あやうさ」。Aさんのリカバリー力は、日頃の行いが完璧であるがゆえに、失敗をしない。だから、リカバリーする機会がない。そのため、Aさんのリカバリー力は、私の目に映っていないだけなのかもしれません。そうであるなら何の心配もいりません。
 また、Aさんは課題を最優先に対応してくれます。いわゆる「良い子」です。教員にとって都合の良い子ともいえます。課題なんて初日に提出する必要はないのです。無理しているのではないかと心配になってしまいます。自分のことを後回しにして、他人の評価ばかりを気にしているのではないか、と。これでは、他人の人生を生きているようなものです。もっとも、「面倒な課題なんてさっさと終わらせて自由な時間を満喫したい」ということであれば心配はいりませんが・・・・・・。

 一方、Bさんはリカバリーの機会が豊富です。そのリカバリー力を私はいつも確認することができます。特に「ごめんなさい!」は一流です。反省をしっかりと示すので、こちらも安心して「叱る」ことができます。他の学生には「叱る」を躊躇することがある昨今、Bさんほど躊躇なく「叱る」ことを許してくれる(叱らせてくれる)学生も貴重です。多少なりとも胸を痛めて「叱る」私に対し、本気で反省している様子を見せ続けてくれることで、救われる気持ちになります。また、Bさんは自分のことを優先することも得意のようです。これは間違いありません。その結果、課題に取り掛かるのが後回しになり、提出期日の間際に大慌てしているのですから。

 教員としては複雑ですが、Bさんが備えている力は、周囲に可愛がられる人が有している、どこか放っておけない、そんな魅力のように思えてなりません。

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