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責任を奪うな。ガキになる。

※この記事は教員、教員を目指す人に向けて書いています。
「相手のやるべきことを奪いすぎると相手はダメになる」
「任せるところは任せないと成長しない」
というお話。

助ける

困っているから助ける。
困りそうだから助ける。
困るかもしれないから助ける。
後始末が大変だから助ける。
助けたいから助ける。
感謝されたいから助ける。

「助ける」判断は難しい。

僕は、求められたら助ける。
もしくは、後始末が大変だから助ける。


ある投稿

先日、X (旧Twitter  ←この書き方バカらしいよね)である投稿を見かけた。
投稿主は小学生の保護者であるらしかった。

トイレとおぼしきドアに
「朝起きたら尿検査」(ふりがなつき)
という文字がデカデカと書かれたA4の紙が貼られた画像。
その画像とともに、この用紙が学校から配布されたこと、それについて感謝していることが綴られていた。

この投稿に対し、
学校の対応に感謝するコメントや賞賛するコメント、
大人の健診でも配布してほしいといったコメントが投稿されていた。

マジでやめてくれよ。


エゴエゴのエゴ

ではこの投稿の何が気に入らないのか。
投稿主やそのコメントが気に入らないのではない。
A4用紙を用意した人物、その学校が気に入らないのだ。

「保護者想いの良い先生ではないか。」
「家庭の苦労をわかってくれている。」
「尿検査を忘れないように対策してくれているではないか」

と賞賛されるべき行動であると感じるだろう。

とんでもない。
学校の「よく思われたい」「感謝されたい」というエゴだ。

この対応は児童、家庭から責任(主体性)を奪っている
家庭のお客様化」に拍車をかける最悪の行動だ。

もちろん、この時期(4月〜6月)の養護教諭は学校検診の調整・実施に追われ、恐ろしく忙しいということは承知している。未提出だった場合には仕事が増え、さらに面倒になることもだ。


提出物を出さないのは誰の責任か

提出物を出さないのは誰の責任か。
言うまでもなく本人(児童生徒)の責任である。
さらに、責任を伴うということは「その行為によって起こった利益不利益を引き受ける」ということだ。
そして「まだ自分のことが十分にできない子ども」は身近な大人(多くは親や保護者)がその責任を負う。

「尿を提出すれば病気の有無がわかる。」
「尿を提出しなければ病気の有無がわからない。加えて、各家庭で医療機関に出向き、検査を受け、検査結果を学校に報告しなければならない。」

このどちらかである。他にはない。


学校の何が悪いのか

この学校の行動は児童・家庭の主体性を奪っている

「自分自身の健康に気をつける。」
これは児童(子ども)が身につけなければならないこと(子の責任)

「子の健康を保ち、育てる」
これは家庭(保護者)が負う責任

つまり尿検査を「自身の(子の)問題」として捉え、主体として取り組まなければいけないのだ。

学校は検査キットを配布する以前から検査の日程等を児童・家庭へと周知し、検査キットと併せて注意事項等も周知しているはずである。
これだけで学校としての責任は十分だ。

自分に病気が無いか知るために尿を提出する。
自身の子に病気が無いか知るために尿を提出する。
自身の子が自分の体を大切にする態度を身につけさせる
これらは児童が成長していく過程で、親(保護者)として成長していく過程に必要なものだ。

成長のためには負荷が必要と言われている。
この場合の負荷とは「朝起きた時に、忘れずに尿を採る。忘れた場合は後日再検査、もしくは自身で病院で検査を受ける」という”プレッシャー”だ。

それを過剰サービスともいえる用紙の配布を行い、「自分の(子の)体を大切にする」という主体的な態度を身につけるために必要な負荷を軽減しているのである。
端的にいえば、”甘やかしている”のだ。


人は甘やかされるとどうなるか

人は甘やかされるとどうなるか。
自己中心的な考え方になる
問題の原因を他者に押し付ける。(これを他責思考という。)

朝、親に起こされた子どもが慌てながら「なんでもっと早く起こしてくれなかったんだよ」なんて言っている場面を想像してほしい。

これである。

問題が発生した原因は「もっと早い時間に起きなかったこと」
では、その責任は誰にあるのか。
言わずもがな、本人だ。
しかし他責思考の場合は「起こしてくれなかった親のせいだ」と考える。

この他責思考は幼稚性でもある。
親に起こされて「もっと早く起こせよ」なんて言っている大人がいたらそれは「ヤバい奴」認定待ったなしだろう。


幼稚性を取り除くには

「幼稚性を取り除く」つまり「成長」するためには
すでに述べたが、負荷をかけることだ。
肉体的・精神的プレッシャーを自力で乗り越えることだ。
この時、過度な負荷ではなく取り返しのつく状態にするということも忘れてはならない。
失敗してもやり直そうと思えばやり直せる」状態だ。

先の尿検査の場合であれば、
「提出できる状態にするために準備する」というのは過度ではないし、
万が一提出を忘れてしまったとしても、「学校での再検査」「病院で検査をする」という方法が残っているため、取り返しがつく。

しかし学校の対応は、この負荷を弱めている
子どもの、親(保護者)の成長を助長してしまっている
だから最悪なのだ。


家庭に幼稚性が残るとどうなるか

では「家庭に幼稚性が残るとどうなるか」ということを書こうと思ったが、長くなったのでまたの機会に。

バーイ(o_o)ノ


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