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「開示悟入」

※この記事は備忘録です。教員として忘れちゃいけないなと思ったので、将来の自分に向けて書いています。
※生徒指導は「この人の話、聞いてやってもいいかな」と思われてから。という話

僕が中学校教員として働き始めた、最初の学校でのお話。

ある日校長に
「あなたの授業は”開示悟入”ができているね」
と言われた。

本来「開示悟入」は仏教用語で、次のような意味がある。

世の人々に、仏の智見 (ちけん) を開示し、悟らせ、仏道に入らせること。法華経 (ほけきょう) に説く、仏がこの世に現れた目的要約した語。

goo辞書 開示悟入とは 

「何のことやら??」という僕の表情を察し、

「『開』は『開く』。子どもたちが学習に向かうために、授業を受け入れるために、心を開かせなくちゃいけない。」
「『示』は『示す』。これからどんなことを学習するのか、どんなことを身につけるのか、目指す道を示さなきゃいけない。」
「『悟』は『理解する』。学習内容がわかることもそうだし、学習内容を自分のものとする段階。」
「『入』は『その道に入れる』。子どもたちに『自分にとって授業の内容、教科がどんなふうに役立つのか』を考えさせること」

と語ってくださった。

当時は教員としての経験も浅く、毎日授業(っぽいもの)を成立させるだけで精一杯であったので、そんな大層な授業をやったつもりもなかった。
「何かいいこと教えてもらった!」ぐらい。
もちろん今でもそんな授業ができる気はしない。
(白状すると、その時の授業は「生徒と遊んでる」ぐらいの感覚でやった、やっつけの授業だった。校長が見ているのに気づいた時も「やっべ!校長に見られてる」と焦ったのを覚えている。)

まずは”開かせて”から

あれから10年ちょっと教員という仕事を経験するなかで、「開示悟入」を強く意識するようになった。

生徒指導は”心を開かせてから”

言い換えると「この人の話を聞いてもいいかな」と思われてから。


生徒指導の定義

生徒指導とは、社会の中で自分らしく生きることができる大人へと児童生徒が育つように、その成長・発達を促したり支えたりする意図でなされる働きかけの総称

国立教育政策研究所『生徒指導リーフ』「生徒指導って、何?

子どもたちと学校で出会う以上、「先生」対「生徒」という関係性が生まれる。この関係性が教員を勘違いさせてしまう。

指導に従うのが当たり前だ。
指導に従わないなんてありえない、間違っている。
自分には指導力がある。

どのような意図や思いをもって働きかけたとしても、子どもに受け取る・咀嚼する意思がなければ意味をなさない

だから、まずは”開かせて”から。

子どもに「この人の話を聞いてもいいかな。聞く価値がありそうだな。」と思われてからがスタートなのだ。

開かせるためには

では、開かせるためにはどうすればよいか。

様々な教育書や子育て本にいろいろ書いてあるはずなので、各自読んでもらって、自分が信じるものを実践してもらいたい。

と、ここで投げ出すのは無責任なので、これまでの僕の少ない経験から…

①こちらが先に心を開くこと
悩みや不安でも、好きなものでも、何でもいい。自分を開示しよう。
僕は、娘の習い事は何がいいか相談していたし、過去の失敗談も話していた。

②生徒の話を聴くこと
自分の話を聞いてもらいたかったら、まずは相手の話を聞こう。
相手の思いを受け止めよう。
生徒の話から知らない世界を知るのは楽しいよ。

おわりに

ある日知らない大人がやってきて、「今日からみなさんの先生です。言うこと聞いてね。」なんておかしな話。
目の前に「人」がいるなら、まずは関係を作らなきゃ。
教員は目の前の子どもをよりよく育てる・導くために働く人。
「先生」と呼ばれることで忘れないようにしましょう。

バーイ(o_o)ノ

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