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ゼネラルであるという個性

昔から、仕事となると、他の人よりあれこれ任され、「できなさそうな人には求めないよ。でも、ぴょん吉ちゃんならできると思うから」と言われることが多かった。

自己評価がとてつもなく低い私は「なぜ大人たちは、そんなに私ができると思っているんだ。まったくわからんし、そもそも私は仕事できないタイプだけど」と、いつも疑問でしかなかった。

昔の私は、何かひとつの仕事をめちゃくちゃ高いレベルでこなす人が「できる人」だと思っていたのだ。
そして、そういう人間になりたいと思いながら、なれない自分に嫌気がさしていた。

***

大学生の頃、ちょっと格式のある懐石料理店でアルバイトしていたことがある。
配膳(いわゆるウェイター)として入ったのだが、最初の配膳研修もほとんど受けられないまま、レセプションの人員に回された。

レセプションの仕事内容は、お客様のご案内、予約対応、お会計、そして回転のコントロールだ。力仕事が多い配膳に比べて、レセプションは頭を使う仕事が多く、全体の司令塔的な立場だった。

入ったばかりの学生アルバイトが指示するんだから、配膳のお局様たちには面白い顔をされなかった。実際、理不尽なことも多かった。

しかも、レセプションの仕事もまだ覚えきれていないのに、配膳が忙しくなると、店舗の支配人に「ぴょん吉ちゃん、配膳入って」と言われ、配膳も任された。

研修も最後までやっていないから、お料理の口上(説明)もうろ覚え。お盆にお料理をセットしてると、支配人が横で口上を教えてくれて、それをその場で無理やり暗記して乗り切っていた。

そんな状態でも、配膳のピークが過ぎると、支配人は「いや〜ぴょん吉ちゃん、助かった! ありがとう! レセプション戻っていいよ」と言う。

その度に、これで本当に助かったのか? こんなはたらきで役に立ったのか? とモヤモヤしていた(最終的には、配膳の仕事も積極的に覚えて動けるようになったから、多少役に立ったとは思うけど)。

レセプションには、レセプションのベテランって感じの頭の切れる先輩がいて、どんなにがんばっても彼女に敵わないことは早々にわかっていた。
かといって、配膳に回っても所詮はヘルプ。キレッキレのお局様たちには敵うはずもない。

あー、私って中途半端だなぁ……。

いつもそう思っていた。

次のアルバイト先は、電子書籍出版と英語コーチング事業をしている超ベンチャー企業だった。
私以外にも学生アルバイトが何人かいた。電子化の作業を任されている子、校正を任されている子、テープ起こしを任されている子など、みんななんとなく担当があって、月イチなどの定期的な作業も持っていたりして、役割がわかりやすかった。

一方、私はというと……

「この英語学校の体験レッスンに参加してきて、感想をブログに書いといて」

「英語ライティングの校正ツールを比較したいから、文科省の教育白書を英訳して、どのツールが一番正確かまとめといて」

「TOEIC練習用のリスニング教材作りたいから、TOEICのリスニングっぽい会話文作っといて」

「英会話の電子書籍に、外国人と実際に会話してる人の動画を載せたいんだけど、その役やって」

基本的に、英語関連の仕事をメインでやっていたことになるのだけど、その内容は幅広すぎた(あと、指示が雑すぎた)。
仕事はどれも楽しかったし、書いたブログがバズってお祝いになって、みんなで美味しいご飯を食べに行ったりもした。

ただ、自分が何者なのか、よくわからなかった。

ライターなのか? 翻訳者なのか? 教材制作者なのか? はたまた役者なのか!?

たかがアルバイトとはいえ、何かひとつを極めた手応えがない、ことに漠然とした不安を感じていたのだ。

***

そんな学生時代を終え、新卒で入った会社で配属が決まった。希望の配属先で、初めてもらった名刺を見て、「○○部 △△チーム」という肩書きが嬉しかった。
あぁ、私はこのチームで自分の仕事を極めればいいのね! この仕事のスペシャリストを目指すぞ! という思いだった。

がしかし、実際に仕事が始まってしばらくすると、仕事はいつも同じことの繰り返し、アイディアを必要とされることもないし、自分にまったく裁量がない、ということで、仕事の幅がとても狭く感じるようになった。

そしてストレートに感じた。

つまらない。

ずっと憧れていた「役割」が与えられ、仕事内容も「明確」になって、これを極めれば私はやっと何者かになれるんだ、と思っていた。

「何者か」ってなんだ、と思う人もいるかもしれない。私は、義務教育でひたすら「協調性」を刷り込まれ、就職活動で突然「個性」を求められた、ゆとり世代ど真ん中の人間で、この世代はみんな少なからず、自分の個性について焦った経験があるはずだ。

その結果、やりたいこと、なりたい自分もよくわからないまま、何かに秀でた「何者か」にならなくては、と思ってきた。

でも、就職してみて気づいたのだ。

私は、「何者か」になるより、「何でも屋」でいることのほうが性に合っているんだ、と。

というわけで、私の決断は早く、4ヶ月でその会社を辞めた(早すぎる、だからゆとりと言われる、ごめんなさい)。
そして色々あって、学生時代にアルバイトをしていた超ベンチャー企業に、今度は社員として入った。

***

今では、電子書籍だけでなく、紙の書籍も出す出版社になった。

小さな小さな出版社だから、企画・取材・ライティング・校正・DTP・書店営業・マーケティングと、全部やってきた。
最近は、いくつかアウトソーシングすることもあるけど、基本的には全部やる。

編集者であり、ライターであり、校正者であり、DTP担当者であり、営業担当者であり、マーケティング担当者だ。

正直、ひとつひとつを名乗れるほど、スキルも経験も全然足りないし、これから学ぶことのほうが多い。

でも今の私は、このどれかだけに特化した働き方は目指していない。

何かひとつを極めなければ、と焦っていた学生時代は、「何者か=何かのスペシャリスト」であることが「個性」だと思っていたのだ。

でも今、「何でも屋のゼネラル」だって、立派な個性だと思える。

懐石料理店の支配人が、私にレセプションも配膳もやらせたのは、私がどちらもこなせるタイプだったからだ。スペシャリストのレベルではなかったかもしれないけれど、合格圏内でどちらの仕事もできる能力があった。

超ベンチャー企業の社長が、いつもいつも幅広すぎる仕事を私に振ってきたのは、私がなんでも面白がってやるタイプだったからだ。他の人と比べて、私への指示が雑だったのは、言われたことを正確に迅速にこなす作業よりも、自分で考えて案を出したり仕上げたりすることが向いていたからだ。

そして、それらは立派な私の個性だったのだ。

だから、あれもこれも頼まれて、自分が何者かわからなくなったら、きっと、それこそが私だ。

これからは、「何でもやってやるぜ!」って、胸張って生きていきたい。

……なんて、大きな口を叩いてみました。

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