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コスパの悪い人生に幸あれ

お昼どきのカフェ。友達と2人、シェアしようと言って、マッシュルームとくるみのサラダを頼んだ。まさか本当に、マッシュルームとくるみしか入っていないとは思わずに――。

私たちが思い描いていたのは、いろんな緑の野菜(たとえばサニーレタスとか、ルッコラとかそういうの)に、なんなら厚切りベーコンが乗ってたりして、そのうえでのマッシュルームとくるみだった。

でも、出てきたのは、マッシュルームとくるみ。ただそれだけだった。味はとっても美味しかったのだけど、これはサラダなのだろうか? メニューにサラダって書いていいのだろうか? という疑問がぬぐえなかった。

(「サラダ」でググると、ウィキペディアさんは「野菜などの具材に調味料をふりかけるか、和えて盛りつけた料理の総称」といったことを言っているので、これはサラダで間違っていないのだけれど)

「すごく美味しいけど、このお店コスパはあんまりよくないね」

私たちはそう言って笑った。

***

2年ぶりに会った友人Pちゃんは、最近彼氏と別れたらしく、絶賛おひとりさまを満喫中だった。

「下北沢のスポーツバーで……」
「渋谷のクラブで……」

Pちゃんの話を聞いていると、少し気だるい夜の匂いが鼻をかすめ、自由の孤独と快感や、誰も知らない自分でいられる心地よさが、私の中にもよみがえってきた。

別に、誘われたわけでもないし、そこに行かなきゃいけない理由もない。でも、「私は自分の意志でここにいるんだ」っていう、あの感覚が気持ちいい。

ゆらゆらと動く、見ず知らずの人たちの影。
なにもかも忘れて無心になれる、心臓に響く音とリズム。
「ひとり?」と声をかけてきた、その人影をふっと見上げる瞬間。
カウンター前でドリンクを待つ間の、手持ち無沙汰な感覚。
帰り際に見下ろす、246号線のブレーキライトのきらめき。

そういうものたちと一緒に、下北沢や渋谷は特別な場所になる。

婚約したことを報告しようと思っていた私は、あまりにも楽しそうなPちゃんを前に、結婚の話なんてどうでもいっか、という気分になった。

「今さらだよねぇ。周りのみんながそろそろ落ち着き始めてるのにさ、私は今さら遊んでるの」

「いいじゃん、まだ20代なんだし。それに今のPちゃん出会い多そう」

「でもね、そういう場所で出会う男の子は、年下ばっかりなの。これじゃあ婚期も逃すよね。遠回りしてる感じだもん」

うーん、そう言われればそれもそうだ。「20代であることが価値なんだよ!」と言って、結婚相談所にまじめに通ってる人たちがいる一方で、Pちゃんは貴重な20代後半戦を年下の男の子との刹那的な時間に費やしているのだ。

遠回りか……。

たしかに、今すぐ結婚相談所に行って、未来ある男性を見つけるために休日を費やせば、そのほうが断然効率的だし、結婚だってぐっと現実に近づく気がする。

でも私は、そうやっていつも人生の最短距離を行く生き方にはまったく憧れない。恋愛に限らず、仕事や趣味、友人関係だって、「役に立つか」とか「有意義か」とか、そんなんで自分の人生をかたどりたくはない。

だから、私はPちゃんの話にとてもわくわくして、Pちゃんの他のどの友達よりもPちゃんの話を楽しんで聞いた自信があった。

今日現在(いま)が確かなら万事快調よ
明日には全く憶えていなくたっていいの

で始まる、東京事変の「閃光少女」が大好きだった。渋谷の帰り、下北沢の帰り、私はいつもこれを聞いていたっけ。

今日現在(いま)がどんな昨日よりも好調よ
明日からそうは思えなくなったっていいの

昨日でも明日でもなく、現在(いま)この瞬間に、全てのエネルギーを注いで生きていたいと思っていた。Pちゃんと話したことで、最近は忘れていたこの感覚を思い出して、私の中の細胞たちがちょっとダンスしたような感じがした。

長い目で見たら全然満たされなかったとしても、その一瞬だけの美味しさを噛みしめることは、人生のスパイスになって、その人の旨味になったりするんじゃないだろうか——私は、この腹持ちのしないマッシュルームを食べながら、そんなことを思った。

美味しいけれどコスパの悪いお店で、人生の寄り道のようなコスパの悪い話をして盛り上がった私たち。その時間は何も生み出さなかったけれど、店を出るときの私の心はなんだかちょっと浮かれていて、その帰り道は久々に東京事変の「閃光少女」を聞いた。

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