見出し画像

バツイチアラフォー将来を思う。そしてフリーターに。

離婚届を出してから、私は考えるようになった。
だいぶ薬の効果が現れてきて、考えることができるようになってきたというのもあるかもしれない。

これから私はきっと一人で生きていくんだろう、と。
意外にも寂しくはなかった。
うまれてはじめてのようなこの、一人で、自分で決定できるという自由が、とても心地よかったのだ。
それは結婚してから制限されていたものではなく、生まれたときから神様を悲しませないようにと自然に自分で制限していたものだったのだろう。

それでも、これから老いていく中、生活していけるのだろうかという経済的な不安はあった。
このままこの会社で働かせてもらえても、よくて定年、65歳まであと25年。
その間にどれだけの貯蓄ができるだろうか。
定年後、80まで生きるとしたら、15年間、独り身で寂しいに違いない。

そう思った私は、おばあちゃんになっても働いていたい!と思った。
早期退職、FIREがブームの中、私はこれまでまともに働いてこなかった反動もあるのか、自分の居場所として自分のペースで自分の生活費だけを稼げるような仕事を、おばあちゃんになってもしていたい!と思ったのだ。

もし、カウンターのみ8席くらいのちいさなごはん屋さんを持てたら、大好きな猫を飼い、昼間は病院に行って買い物に行って猫と遊んで、夜はゆっくりお店を開けて近所のおじいちゃんたちとお酒を飲みながら世間話をする、そんな80歳になりたい!と鮮明にイメージが浮かんだ。

そうなっているためには、常連さんがいなければいけない。できるだけ早くお店をもたなければ、と思った。

当時40歳。

私は、45歳までに小さな自分のお店を持つ!という目標を立てた。

そのために今始められることとして、貯金ももちろんだが、飲食店での仕事の経験がほしいと思った。

今までホール業務のアルバイトはたくさんしてきたが、キッチン業務はしたことがない。

料理は好きだが、家庭レベル。

この年から料亭のような料理を学ぶのは無理だとしても、飲食店の流れや動き、そういったものを学びたいと思ったのだ。

転職を考え始め、2021年9月、お世話になった会社の正社員をちょうど1年で退職し、飲食業へ飛び込んだ。

ある人のアドバイスで「どんな会社も入ってみなければ内情はわからない、希望通りの仕事ができるとは限らない」という言葉が気になった私は、一度内定を頂いた飲食業界の正社員の仕事を辞退し、いくつかの飲食店でアルバイトを始めた。
思った通り、キッチン希望で入ったにも関わらず、ホール業務ばかりに回される、という職場がいくつもあった。

それもそうだと思う。40歳のキッチン未経験のおばさん、ホールは慣れているということなら、一からキッチンを教えるよりホールで即戦力になってもらった方がいいと考えるのは当然だ。
やはりそれは実際に入社してみないとわからないことだった。

結局、希望の仕事をさせてもらえないバイト先はシフトを減らしていき、キッチンで働かせてくれる新しいバイト先を探すというようなことをしている内、かけもち先は6,7社になった😂

平日10時から14時までのバイト先、17時から22時までのバイト先
土日はまた別のバイト先などなど、毎日翌日はどこに仕事に行くかスマホを確認しなければわからないという笑
でもこの働き方はとても私にあっていた。精神的には健康とも言えなかったが、体力だけはあったのだ。

この働き方だと、一つの職場での責任というのはとても軽くなる。
期待されていない、お手伝いさんのような立場だからだ。簡単な業務をこなすだけで、「今日スタッフ少なかったから助かったわー」と言ってもらえる。
それにいろんな飲食店の内部を見ることができたので、メニューや価格設定、仕入れや食材の管理の仕方など、いろんなタイプのやり方を観察することができた。

後に単発バイトのタイミーも加えたので、体調に不安があるときはレギュラーバイトのシフトはあまり入れずにおき、当日意外と元気だったらタイミーで単発バイトをするなんてこともした。

なんて便利な時代、フリーターに優しい時代なのだろう。

夫婦ともにずっと正社員で働かず、ボーナスや社会保障を経験してこなかった私には、安定に対する執着がない。
正社員だろうと困るときは困るだろうし、、くらいに思っていた。

タイで本物の貧困を目にしたことや、半ば一度終わったような人生、今ターンはおまけだからいつ終わっても悔いもないしな・・というような、開き直りもあったかもしれない。
養うべき子供もいない。

そう、私には失うものがなにもないのだ

将来のことを考えて思い悩むことも殆どない。

将来の計画が変わるかもしれないことは身をもって体験したから、どんなに悩んでも、どんなに準備していても、予想通りには行かないのだから。

風まかせに生きる、小さい頃から母が口にしていた冗談が、ここへきてそのまま私の生き方になった。

つづく・・


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?