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刺激的とは少し違う光の中を
ここ数日、仕事がばたばたとしていて、本を読む時間がぜんぜんなかった。
行きは仕事の段取りやらを考えているし、帰りはタクシーしか交通手段がない時間になるので、移動中も読めない。
タクシーの後部座席にはライトがなくて、ああライトがあれば読めるのに…と夜中、仕事のアドレナリンの名残りでふわふわとした気持ちで考える。
仕方がないのでたまには夜の街を車窓から眺めてみるも、タクシードライバーの映画をぼんやり思い出すくらいしか心は動かなかった。
タクシーのおじさんがやさしくて、泣きそうになる。
大阪でがむしゃらに働いていたときは、どんなに遅く帰っても誰かが歩いていたものだけど、京都の夜は人っ子ひとりいない。
ただ街頭だけが煌々と明るくて、世界にひとりきりみたいだな。
めだってなんぼ!みたいなものを求められる商業デザインをしている時期は、心がすり減る。それでも、嫌々つくったものなど誰も見たくも買いたくもないはずだし、物をつくり、その先に誰かがいる以上は誠意を持ってつくりたい。
そんなことを思い、あれやこれやと試行錯誤すると時間がかかる。予算以上の時間をかけてはいけないと注意されることがよくあるけれど、やるからには納得したものがつくりたいし、もちろん相手先にもよろこばれたい。そんなわけで、とぼとぼひとり帰ることになる。
こんな機会は久しぶりなので、堪能しておこうとか、たまには街に目をやって感受性でも高めてやろうとか、無理にプラス思考になるのがわたしの心の防御策で、いつも不満を感じないように無駄な抵抗をしている。それが癖になってしまっている。
落ち込む時はとことん落ち込めばいいし、つかれた!もういやだ!と、考えているくらいの方が、正直でよっぽど魅力的なのにな。
そう思う一方で、強がってなにがわるい!と言いたくて、でも誰にわるいと言われたわけでもなく、いつも自分が自分を責めているだけだ。
カネコアヤノの「とがる」が滲みる。
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