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涙の理由

友人がハグリードという取り組みをしているのを知って
なんかふと話してみたいなぁと
新しい本の扉を開けるのもいいかもしれない
とお願いした。

ハグリードってこんなの

えーみぃとは、実はそんなしっかりしゃべったことはなくって、
asobi基地の関西キャスト仲間で何度か顔を合わせてて、オンラインで投稿を追ってる感じだった。

さてオンラインでのお話と本のセレクト。

私にとって、とっても大きかったのは、
なんの本を選んでくれたかというよりむしろ
私が、何かする時に道具集めから入るような、
表現する時にはなるべく今の私にできる完璧に近いものを
なんて気負いから、かなり自分の中での表現することへのハードルをあげていたことに対して
「たまちゃんの頭の中どうなってるんか見てみたいなぁ」
「こんなくだらんことも考えてるとか、そのギャップがあるって面白いよね」
と言ってくれたこと、
そして表現方法として noteあってるんじゃないと勧めてくれたこと。

それまでnoteは知ってたけど、
何か有益な情報を記事にしないといけないんじゃないか。
私にそんなの書けるかなぁ...
なんて思いから手を出していなかったのだ。

それが始めてみると、書くわ書くわ
あっという間に3000字超えたりして、
あぁ、私は伝えたいことがこんなにあったんだな
そしてとても文章の長い人だったな、と
小学校の時に原稿用紙何枚使えるか、なんて競っていたのを思い出したりした。


えーみぃから薦めてもらった本はいくつかあったのだけど、
ここのところずっと家にいて、
7日間チャレンジも流行ったりで
実用書しか買わなかった私にしては珍しく本をポチポチしていて、
しばらく消化にかかるかな、と思って
少しずつ読もうととりあえず一番読みたいのから注文。
「タマネギのひみつ」
黒柳徹子さんと糸井重里さんの対談

そこにいてしゃべったはるのがありありと見えるようで、
もっと徹子さんワールドに浸りたくなって
YouTubeで動画を検索したりしていた。
その中でLGBTQ+の方に向けて話したスピーチがあった。

「いっしょだよ、いっしょにやるんだよ」
を生きる指針とされていると。
親や周りの大人が気をつけて、その思想を小さい頃から植え付けること
大事なのは「他人と比べないこと」
「比べる、差別する心は暮らしにくくなる」と自覚すること。
「人を愛する、やさしい心を持つこと」という生きていくのに大事なことを伝えること。
そして「好奇心を持つこと」が楽しく行きていくのに一番で、「全然違う世界を見ることで、心が広くなり、自由になる」と。

差別はいけないよ、
ではなくてそれがあることで暮らしにくく、生きにくくなるよね
というのはきっとそれだけ世界を見てきたからこその言葉だなぁと。


そこからしばらく経って、
おうちでの若隠居生活の中でなんだか落ち着かない気持ちがここ数日続いていた。
来週の勤務が2日前にならないとわからないストレスなのか
もうすぐ始まってしまう仕事への何かなのか
何かわからないくさくさしたものを抱えていた。

薦めてくれた本の一つに「私を最後にするために」
という本があった。

中東の複雑な宗教の絡まりあいで村全体を潰されて男は殺され、若い女は性奴隷として連れ去られるというISISの犠牲者になった私と同い年の女の子の壮絶な聞き書き。

私は小さい時から刺激が苦手だった。
特に映像では、3歳以降は家にテレビもなかったし、小学校で年度末に見るお楽しみのビデオくらい。
でもそれがすごく怖かった。
本なら怖いと思ったらそこでやめられる。
しかしビデオや映画などはより引きつけるために音や光を駆使しており、その世界からすぐに逃げ出すことが難しい。
もちろん目と耳を塞いだり、退出したりするんだけど。
これは今でもそうで、ストーリーのわかっているものだったら頑張れば見れる。
だけども映画館ならその予告が怖い。
急に予想しない音や衝撃的な映像に晒されるのが恐怖でしかない。

こんな私にとって、
きっと何度も読むものじゃないと思うから送るね、と貸してくれた本は
実はかなりハードルの高いものだった。

まだ小学校に入る前だったと思う。
近くの図書館でたまたま子供向けにたしか「ライオンキング」が上映されていた。
どういうきっかけだったのかは全く覚えていないのだけど、
私は怖かったという記憶が残っているのだ。
それはどうも主人公が何か困難にぶち当たった時、大変なシーンになると耐えられなくなって退出したから、
そこで「怖かった」という意識のみが残ってしまうのだ。
これは小学校になっても変わらず、「サウンドオブミュージック」でもそんな記憶があるし、ジブリでもそうだった。

その受難を越えれば、
例えばハッピーエンドが待っているのかもしれない。
例えば生き残るのかもしれない。
でも私は「その受難、なくていいよ...」と思っていた。

そしてやっと本に戻ると
せっかく借りたしな、という思いで
しばらく置いていた本をとりあえず読んでみることにした。

ナディアという少女が自分の村や家族の仲睦まじい様子や信仰が村を形作っている様子なんかを描写している時点で、
私はその後の展開を想像して胃がギュッと掴まれたようになっていた。
だんだんとISISの手が及んでくる状況に入った時点で、ついに私は「いつくるんだろう、何が起こるんだろう」という恐怖に耐えきれず2/5ほどで本を閉じた。

そしてしばらく、日常生活では頭にのぼってこなくなるくらいまでになったとき、例のなんかこう気分が上がらんなと思ったのだ。
もはやあがらんのなら、いったんズドンと落ちるのも手かもしれない、と再び続きを読む決意をしたのが昨日夜のことだった。

読み進めるとだいたい私が想像していたこと、時にそれ以上のことが描写されていたのだけども、思っていたよりも淡々と
もちろん細かな描写なのだけど
きっと壮絶すぎてナディア自身の心を殺していたこともあって、どこか他人事のような書き方でもあったことで、
今回は途中で止めない方がいいなと最後まで読み切ることにした。

半分を少し越した時、
あ、ここであとこのくらいの残りなら、これ以上ひどいことは起こらないだろうという見通しが出てきてからは
早く囚われの身から解放されてほしい
という思いに突き動かされて読み進んだ。

これは私にとってはけっこう新しいステージだった。

もちろんそのあと寝付くのはかなりかかったんだけども。

小学校の修学旅行で広島の原爆ドームとその資料館に行った時、
これも最後耐えられなかったので後半見れなかったのだけど、
帰ってからしばらく飛行機の音が怖かったし、
しばらくは寝る前に思い出しては怖くなっていたことを考えると、

最後まで読み切ってからの眠りは少し落ち着いたものだった。

もちろんこの本はとりあえず彼女は脱出できたという結果があって、
戦争の結末とは安易に比較できないんだけど。


内容に関して思ったことは
宗教対立の根深さとその複雑さが思っているよりもっともっと複雑で、
ただ宗教が違うという理由だけでここまで破壊できるエネルギーを生み出せるということ
そして恐怖に支配された時の人々の行動の変化
これはコロナでもそうかなと思うけど
そんなことがただその場所にその宗教に生まれたというだけで起こるということ

でも私にとってその事実よりも、
とりあえず最後まで読もうと思った。
そして読めたことが一つのステップアップだった。

えーみぃありがとう。

追伸: この記事を書いている途中に、来週からの勤務が決定した。その電話をとったあと、手帳にシフトを書き留めつつ涙がこぼれてきた。コロナのおかげで守られていた自分に正直な若隠居生活についに終わりを告げること、どうも保育園に週五8時間勤務が私にとって負担なことに気付いてしまったのに、まだ続けることにしていたこと。この電話がナディアの本の仕上げとなって涙にして流してくれたように思う。


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