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母を亡くして2度目の母の日。人を想う心の尊さを感じる

今日は母の日。

昨年の3月に母親を亡くしてから、母なしで迎えるこの日は2回目になる。

今年はどんなもんかと思ったけれど、やっぱり、なんとなくしんみりしてまう。

わたしの母親はもういないんだもんなぁと。この日のことを考えるたびに、どうしてもそう思ってしまう。

去年はカーネーションをお供えしたけれど、今年はなぜかそういう気分にもなれず。外で母の日ムードに触れるのはちょっと辛いかもしれないな、なんて思っていた。

でも、いざこの日を迎えてみると、そんなことはなかった。

外に出ると、思い思いの形の母の日があった。

カーネーションを手に持って、心なしかちょっと張り切っているみたいに、しゃんとして歩いていくおじいちゃん。

花屋でプレゼント用の花を見ているピアスのおにいちゃんとおねえちゃん。

自転車のかごにカーネーションをさして走り去っていく親子。

そんな、母の日の雰囲気をまとった人たちが目にとまっても、不思議と全く辛くなかった。

誰かが誰かを想う。その気持ちが垣間見える気がして、なんだかくすぐったいような、心がじーんと温まるような、そんな心地がした。

誰かを想う心が自分のまわりにあふれているのだと思うと、こちらまで幸せになる。そんな気さえした。


振り返ってみると、母がいなくなってからも、なんやかんや普通に生活を送っている。意外となんとかなるものだなと思う。

でも、なんというのか、「最低限」という感じが否めない。最低限必要なこと、食事とか掃除はまわっているけど、それだけというか。

だから今になって、母と過ごしていた何気ない時間の大きさをひしひしと感じる。

なんでもない話をするとか。仕事のちょっとした愚痴を言うとか。一緒にだらだらテレビを見るとか。

そんな、ほんのちょっとした時間が、とてつもなく大事だったのだ。


当たり前のようにそばにいて、当たり前のように一緒に時間を過ごす人。月並みな言い方になるけれど、その存在は決して当たり前のものじゃない。

それを身にしみて感じたからこそ、身近な人を想う心に、ひとしお尊さを感じるのかもしれない。

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