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06 ヤマアラシのジレンマ

適切な距離感ってなんだろうか

 学生時代、就活時期に韓国の企業の役員の方が「ヤマアラシのジレンマ」についてレポートを書いてくださいという課題があったのを思い出してつらつらと書き出してみます。


 「ヤマアラシのジレンマ」とはショーペンハウアーというドイツの哲学者の寓話に由来するもので、心理的距離感についての表現しています。

寒い日にヤマアラシがお互いに近づこうとするも、近過ぎて互いに自らが持つトゲにより傷つけ合ってしまう。心理的に近づこうとするが、近づき過ぎてしまうゆえにお互い傷つけ合ってしまうという葛藤、そこから何度も試行錯誤を経て適切な妥協点を見出す過程を表します(ですが実際のヤマアラシの暖の取り方は異なる様です)

2年前、当時の自分は「何故、傷付くのが前提なのか。傷付かないように適切な距離感を保ち続けるのがベストな距離。お互い傷付けるのは避けたいものではないのだろうか」と。

 改めて考え、肯定的にも否定的にも捉えられる妥当な命題同士ではないのだろうかとも。二律背反である心理学とも捉えられるゆえ、人とのコミュニケーション間で双方が認識違いであると心のキャッチボールが成り立たなくなってしまう。

今を考えると、当時の私と今の私は変わっていなく「他人が傷付いてしまう距離であれば自分を抑えよう、また、離れてしまおう」と距離の取り方を履き違えてしまっていたと思う。それは傷付けていないようで、相手を傷付け、程よい距離感と自分に言い聞かせ気付かないフリをしていたのではないか、と。

 そこで私が気付けたのは人との距離感とは、「傷付けあうというよりお互いの努力で成り立つコミュニケーション」であるのかもしれない、と。当たり前のような事にこんな遠回しで気付く大人になってしまったようです。

ですがそれほどコミュニケーションというのは難しいものでないでしょうか。そもそもコミュニケーションって定義が広過ぎますよ…言語、非言語を人間は使いこなし日常の営み、基本として生きているのだから凄いですよね。

 実際、社会にでて思うのが当たり前の事が出来ているようで出来てない大人が大半です。ここで気付けたのも日頃素敵な人たちに囲まれているからですね。

そんな素敵な人たちへ「ありがとう」が沢山のたまちゃんです、また一つ大人になりました:)




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