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ぼくはビードル

ビードル
 むし・どくタイプ
 高さ 0.3m
 重さ 3.2㎏
 特性 りんぷん

まいにち じぶんと おなじ おもさの はっぱを たべる。あたまの はりで おそってきた てきを げきたい。




まだスクールに通う前の、秋のとある日。

仲の良かった友達とケンカして、部屋に引きこもって泣いていた日のことだった。

 あっちがわるいのに。
 ぼくまでおこられた。

拗ねて拗ねて、たくさん泣いた。
あの頃は泣き虫だったから。

「彼」に出会ったのは、そんな日のことだった。

階下から母が呼んでいる声がする。その声はしっかりと聞こえていたけれど、意地を張って返事をしなかった。
ぷいとそっぽを向いて、頬を膨らませていた。
涙で腫れぼったくなった視界の隅で、ふと何かが動いた。

「ひ、」
 体がこわばる。

 銀色の小さなツノ。
 黄色とオレンジの中間みたいなくすんだ色味。
 もぞもぞと動く足。

「なんだ、ビードルか…」
そこにいたのは小さな虫ポケモンだった。わりと弱っちいやつ。
ぼくでもかてる。

ビードルの頭上で、カーテンがひらひら揺れていた。きっと、あそこの窓から入ってきたのだろう。
ビードルはうごうごと足を動かしてこちらに近寄ってきた。
それにしても、動きが遅い。
待っているのがじれったくなって、こちらから近寄った。
窓の外に逃がそうと、両手で掬い上げる。
すると、それまでの鈍臭さが嘘のようにビードルが飛び上がった。そのままぼくの胸ポケットに収まる。

「おい、ちょっと…」

取り出そうとしてもするすると逃げられる。しまいにはポケットを糸だらけにされて、諦めてしまった。

父さん曰く、「寒くなってきたから暖かい場所を求めてるんじゃないか?」だそうだ。そんなこんなでビードルは我が家に来た。
そして、いつもぼくの胸ポケットに我が物顔で居座って、好き勝手に糸を吐くようになったのだった。

周りの同級生たちは綺麗な見た目のバタフリーに憧れて、たいてい初めにキャタピーを捕まえる。
そんな中で、おれだけがビードルを捕まえていた。ちょっとだけ、優越感があった。
スピアー、かっこいいじゃないか。

ビードルが来てから、長い時間が経った。
俺はそろそろスクールを卒業する時期に来ていた。いろんなことがあったな、と思い出す。

スクールに入りたてのころは楽しかった。
何も考えず、無邪気に友達とカードゲームをして遊んでいた。女の子にモテていた時期もあったし、年上の人からは可愛がられていたし、人の中心になるようなタイプではなかったけれど、人間関係に悩んだことはなかった。
あの頃は素直にビードルを可愛がれていた。ただ生きているだけ、が当たり前のように楽しかった。

そんな日々が終わってしまったのは、いつだったのだろう。
いつの間にか、人に気を遣いながら生きるようになった。
自分自身を、肯定することができなくなった。

 歯車が、いつのまにか狂い始めて。

中等生のころ、生徒会に立候補したことがあった。

そのときは成績も良い方だったし、級長なんかもやっていて自信があった。一番輝いていたときだったと思う。まあ一応真面目な生徒だったので、頑張り屋として評価されていたという自覚もあった。調子に乗っていたといえるかもしれない。
だから、生徒会も、いけるんじゃないかって思ってた。

 結果は、落選だった。

別に、相手の方が優れていたとか、そういうわけじゃないと思う。たかが子ども同士の立候補だ、運によるところも大きい。
でも、負けた時、ふとまわりを見た。見てしまった。
そうして、今まで気にならなかったことが、気になりはじめた。

「おまえのポケモン、まだビードルのままなの?」
「弱いポケモン持ってんなあ」

今までも、軽めにいじられることはよくあった。そういうキャラクターだったから。
それが嫌だったわけじゃない。そういう「いじられること」は人間関係の潤滑剤になったし、優しさを感じるときもある。
だけど、時折、言葉の奥に悪意を感じるようになった。馬鹿にされているな、と思うことがあった。
表面上は笑ってやり過ごしながら、ちくりちくりと胸を刺されるような心地がした。

 この発言はどうだろうか
 あの行為は正しかったのだろうか
 どの反応をするのが正解なんだろうか

 どうしてあんなことを言われたんだろう
 あの素振りの意図は何だろう
 もしかして、嫌われてやしないだろうか

小さなことを、ぐるぐると考える。
他人から見たらくだらないと思うようなことが、気になってしかたがない。

糸が。
関係性という名の糸が、張り巡らされている。
それに雁字搦めに捉われながら、
見えぬ糸を切ってしまわぬように気を遣いながら、
俺は生きている。
まるで、アリアドスの罠にかかってしまった、ビードルかのように。

執着レベルの愛が欲しいと思った。
すべてを投げ打ってでも、大切にしたいと思える人を見つけたい。面倒な人間関係を断ち切って、その人だけのために生きるくらいの、そんな生き方がしたいと思った。
 
 

 
 
「これから、どうすんの?」
「俺はやっぱりポケモンリーグに挑戦するかな」
「あー、隣町のやつはもう出発したってよ」
「僕たちも早く準備しなきゃ」
がやがやと、声が聞こえてくる。
進路を決める時期が近づいてきていた。

 俺も、ポケモンリーグかな。

なんとなく、そう決めた。大層な理由があったわけじゃない。
みんながその道を行くから。
だから、俺もそうしようと思っただけだ。

初めての旅は、人並みに楽しいことも苦しいこともあった。
ポケモンを持っていない子は初めの一匹をもらっていたけれど、俺にはビードルがいたからもらうことができなかった。生まれた家を初めて出て、一人と一匹、旅をした。
出発地となったトキワの森は薄暗くて、たくさんのポケモンが潜んでいた。キャタピーやトランセル、マダツボミなんかもいた。もちろん、ビードルやコクーンもたくさん見かけた。
「野生のビードルは、強いな…」
胸ポケットのビードルを見下ろす。
俺の唯一の手持ちのビードルは、のんきな顔をして眠っていた。どうしてこうも違うのだろう。
こいつも、そろそろ進化してもいいはずだ。虫ポケモンは、進化が早いのが取柄なのだから。
「違うポケモンを捕まえないといけないな」
 ビードルは、弱いから。
 早く強いポケモンをゲットして、育てないと。

トキワの森では、運がいいとフシギダネが姿を見せるらしい。ポケモンリーグを最速で上り詰めた隣町の少年は、ここでフシギダネをゲットしたと聞いた。
 まさに主人公。
 運の良さも、実力も、天に与えられた少年。

俺は一日トキワの森をうろついたけれど、フシギダネを見つけることはできなかった。

旅の途中で、なんとかワンリキーとイーブイをゲットした。ワンリキーは進化したら強いから。イーブイは、たとえ強くならなかったとしても、石で進化させることができるから。
打算で選んだポケモンたち。
その気持ちが伝わったのだろうか、ワンリキーもイーブイもなかなか懐かなかった。
ちゃんと、可愛がっていたつもりだったけど。

レベルを上げさえすれば、ジム戦はある程度のところまではいける。コツコツと練習を繰り返して、やっとタマムシの街まで来た。
だけど、そこからがダメだった。
何をしても勝てなくなった。

 才能がないのかもしれない。

ふっと頭に浮かんだ言葉を必死に打ち消す。そんなことない。もっと練習すれば、たくさん経験値を積めば、きっと大丈夫。

 ああ。でも。
 面倒くさい。
 なんだかもう、すべてが面倒くさい。

頭をかきむしりたくなる。
どうして俺はこうなんだ。
やりたいと思ったことでさえ、やらなくてはならないことになった瞬間、面倒くさくなる。もっと素直に頑張りたいと思う。こんな自分は駄目だと思う。でも、どうしたってやる気がでないのだ。

 せめて、ビードルが進化してくれさえすれば。
 そうすれば、タマムシジムだって攻略できるのに。

「ミニスカートのリカ」に会ったのは、そんなときだった。

出会いはポケモントレーナーによくある、道端でのポケモンバトル。リカはコダックとカビゴンの使い手だった。理由は、ぼけーっとしてて可愛いから、だそうだ。

「君はさ、チャンピオンになるのが夢なの?」
バトルが終わったあと、リカが聞いてきた。
俺はうーんと唸った。ポケモンリーグは、周りがやっているからとりあえずやっているだけだ。制覇したいとは思うけど、チャンピオンになりたいかと言われれば違う。
「…いや、チャンピオンになりたいわけじゃない」
「あー…じゃあ、夢とか目標とか、そういうのはある?」
「ない、かも」
あったところで、俺の手に届くものなのかもわからない。
リカは「えーっ」と声をあげた。
「なんか好きなことないの?そのビードルとも仲良しなんでしょ?一緒にやりたいこととか、あるんじゃないの」
リカが胸ポケットに収まっているビードルを指す。
こいつは、うちに来た時からこのサイズのまま、変わっていない。俺は、それを腹立たしく思っていた。
「別に仲良しじゃないよ。全然進化しないし。弱いビードルなんか嫌いだ」
そんな言葉を、かけるつもりではなかったのに。
ビードルの方を見れなかった。
「えー、ウソ!見るからに仲良しだよ?ビードル可愛くていいじゃーん」
リカが大げさにリアクションをして、ビードルの頭を撫でる。
「可愛くたって、強くなきゃ意味ないんだ」
「そうかなー?強い必要性、ある?」
 問われて、言葉に詰まった。
 ポケモンリーグを制覇するなら、強くなきゃいけない。でも、俺が本当にやりたいことは、別にポケモンリーグの制覇じゃない。
「君の好きなこと、教えてよ」
俺の好きなこと。
スクール時代を思い返す。
そういえば、と思った。
「演じること、とか、わりと好きかも」
初等生のころ、学習発表会の劇にビードルと一緒に出たことがあった。人前に出ることは得意じゃなかったけど、役に入り込んでいるときは別だった。
 注目される高揚感。
 役に没入できる喜び。
あの時間は、確かに「好きな」時間だった。
「へー!めっちゃいいじゃん!ポケウッドとか、やってみなよ!」
「え、いや、ポケウッド?さすがに無理だよ」
 ポケウッドは、イッシュ地方にある演劇の本場だ。
やりたいと思ったことはある。だけど、あれははるか遠くの土地にしかない。それに、たとえ近くにあったとしても、自分にできるとは思えなかった。
「なんでー?あ、ほら、募集枠あるよ」
リカがぽちぽちとスマホを操作する。
「別にポケウッドとかじゃなくても、ほら、近くにも劇団とかあるし」
液晶に表示されたものは、確かに、俺にも手が届きそうなものだった。
「え、だけど…」
劇団、なんて。周りでやっている子なんていない。
 本当に俺に、できるのだろうか。
「探せば、たくさん出てくるよ。ポケモンリーグ以外にも、選択肢はたくさんあるんだから」

 まずは調べて、やってみなよ
 意外と近くにいろんな道があるから
 もったいないよ
 答えはおまえの目の前にある!的なね

最後に冗談めかした言葉を残して、リカは去っていった。
まるで嵐だった。
残された俺は、しばらくぼんやりと空を眺めていた。ビードルが肩口に登ってきて、頬にすり寄った。
「演劇、かあ…」
思ってもみなかった道だった。
でも、確かに、ポケモンリーグよりはずっと興味が惹かれる。
ビードルがビードルのまま、活躍できる場所がそこにはある。
「おまえ、演劇、やってみるか?」
ビードルの頭を撫でる。
ビードルは俺の言葉を理解しているのかいないのか、きゅるきゅると鳴いた。

 空は果てしなく青く、いずこへ行くともしれない風が吹いていた。

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