自由に不自由さをデザインする
こんにちは、たまちゃんです。
僕のnoteは基本的に25分で書いています。
最近は、書きたいことが頭からドロ~っとはみ出して、ついつい30~40分ほどかかることも多くなってきました。
ただ、実際書いた感覚だと、書きたいことがあるからと40分書いたものと、25分以内で書ききったものを比較すると、実は後者の方がいい文章が書けたと思うことが多いです。
(読者反応は違うかもしれませんが)
なぜ両者が違うのだろうと考えたのですが、25分という短い時間で書いた方が密度が濃いからではないか、と思います。
もちろん、25分なので、もう少し書きたかったなぁと後悔が混じることも少なくありません。
しかし、書き足したら情報量が多くはなるものの、読後感と言うのでしょうか、読んだ後の印象は違うと思うんです。
もう少し書きたかったなぁと、ちょっと後ろ髪を引かれるくらいがちょうどいいのかもしれません。
だから、何かのタスクを終わらせるのであれば、あえて予定が入っている間とかにすることもあります。
制限時間によるプレッシャーが、かえって良い方向に働くのです。
SNSなどで稼ぐ系の発信を見ることがあります。
そこでは、いかに自由が素晴らしいかということを謳い文句にしているものも少なくありません。
というか、ほとんどそれです。
でも、本当に自由になってしまうと、1日がまあそれはそれは、あっという間に終わってしまいます。
僕も経験がありますが、ちょっとYouTubeを見出すと、関連動画が見たくなり、エンドレスで見てしまう、なんてこともあります。
こういう時は著しく時間密度が低いわけです。
だから、極論を言ってしまえば、
自由というのは、明らかに生産性が悪いのです。
僕は昔から、美容室を予約するのが、苦手というか嫌です。
というのも、美容室の予約をいれると、その日の意識が美容室に行くことに取られて、ずっと気になってしまうからです。
そして、その日だけでなく、数日前から気になってしまうのです。
なので、できたら、当日に連絡して、当日の空いている時間を狙う、ということをしたいのです。
しかし、時間密度を濃くすることの方が優先順位が高いと考えれば、予定が入っても困るどころか、ラッキーと思えるようになります。
会社なんかでも、毎日遅くまで残業しているのに、
「いや~、なかなか帰れないんですよ~!」
などと言っている人が、結構まんざらでもないような笑顔でいることを、よく見たことがあります。
忙しいからこそ、充実してるってことなのでしょう。
これが自分のことで忙しいのでは、責任は自分にしかあるので仕方がありませんが、人のせいで忙しくなることもあります。
この時、普通の人だったら
「このクソ忙しい時に、ふざけやがって・・・」
と言うか、言わずとも心では思うはずです。
でも、これも時間密度を濃くするきっかけだと捉えてみてほしいのです。
「こんな忙しい時に、用事が入ってきた。うひょー!!」
うひょー!!はないかもしれませんが、フフフとほくそ笑むくらいにはなりたいものです。
だって、時間密度が濃くなることで、ハイパフォーマンスになって仕事がはかどり、なおかつ人助けをすることで、感謝されるわけです。
まさに一石三鳥。
ただ、忙しくするために、わざわざ人の仕事を全部もらう、なんてことはやめましょう。
それは他社貢献ではなく自己犠牲です。
あくまで、向こうから来た分で、なんとかなるものだけ引き受けるようにしましょう。
おかげさまで25分でかけました。
あなたに貢献できましたかね?
できましたよね!
恩着せがましい。
おしまい
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