コロコロコミックをレジに持っていく

 本屋さんに行くのが好きで、本日もお気に入りの本屋さんに行き面白そうな本を何冊か手に取りレジに並んだのだけど、目の前にいる同世代(30歳前後)と思われる男性がコロコロコミックを持ってレジに並んでいることに気づいた。
 そこでふと、コロコロコミックと自分で持っていた本(エッセイ、旅行記、純文学の3冊)を見比べて、この男性に比べてなんて自分はつまらない人間なんだろうと感じた。

 その時点では理由もわからないまま劣等感を抱えていたが、家に帰り、なぜ自分をつまらない人間だと感じたのか、改めて考えてみた。
 そして気づいたのだけれど、自分はコロコロコミックをレジに持っていく時に、羞恥心を抱いてしまうかもしれない。それが、あの男性と自分との差なのだろう。

 本屋さんでみたあの男性は、側から見る限り、恥ずかしいという感情は全く抱いているようには思えなかった。
 もちろん、自分も、第三者の目を気にして気取ってエッセイ、旅行記、純文学といったジャンルを好んでいるのではなく、ただ好きで、読みたいから買っている。
 だけどそれ以前に、今の趣味嗜好に至る前に、『大人なんだからこういう本を読む』『男性なんだからこういう本は読まない』という、自分の中で勝手に決めつけた世間体で勝手に好きなものを狭めてしまっていたかも知れないな、と感じた。

 自分も小学生の頃にコロコロコミックを愛読しており、毎週の楽しみだった。
 でもいつしか読むこともなくなったのだけれど、それは本当に自分の意志だったのだろうか。一緒にでんじゃらすじーさんやボーボボの話をしていた周りの友達たちがジャンプ等を読むようになり、それが『当たり前』や『普通』と考えてしまってはいなかっただろうか。
 客観的に自分を振り返ってみると、多分、無意識に、ありもしない世間体によって、自分の趣味嗜好を狭めてしまっていたと思う。コロコロコミックを読まなくなったのも、そんな理由だろう。

 そんなありもしない世間体が、30歳前後の男性がコロコロコミックを購入することは普通じゃないと囁くから、自分はコロコロコミックをレジに持っていくとしたら羞恥心を感じてしまうんだと思う。
 そんな世間体なんて、好きなものや思考を狭めるだけでしかないのに。

 もちろん、あの男性は自分の子供のためにコロコロコミックを買っていたのかもしれないし、あの男性はあの男性なりに羞恥心を感じていたかもしれない。でも自分の目には、かっこよく、芯のある人に映った。
 だから自分も、手遅れかもしれないけど、ありもしない世間体に惑わされることなく、「好きなものは好き!」と言える気持ちを抱きしめてたい、槇原敬之マインドをどんなときも大切にしようと思う。