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個人的にやりたいと思っていることの整理(広域フォトグラメトリ、QGISなど)


見えないものを見えるようにする、ということを手を動かして少しでも試行的にやっていきたいと思ったとき、今何ができるのかなという話。


広域フォトグラメトリ

大きくやりたいことは2つあって、一つは現実空間の建築物などを仮想空間に補完する取り組み。都城市民会館のVRモデル保存化のようなもので、要するに広域フォトグラメトリなのだけど。既に県内でも歴史的建造物の解体が進もうとしていて、保存・管理には膨大なコストがかかって現実的ではないし、その保存の方法の一つとして、VR化は有効だと思う。

建物は無くなっても、データさえあれば、仮想世界で追体験は可能だ。よくyoutubeに100年以上前の日本の動画とかがディープラーニングでカラー化されてアップロードされていたりするけど、データさえあれば、将来的により発展したAIの技術等によって、より豊かな追体験が可能となるだろう。そのためにもまず、一次データを残しておくことが大事だと思う。

個人的には加古川に多少のゆかりがあるし、加古川はいろんな意味でITやスマートシティとして一歩理解があるように思うので、例の図書館を何かしらデータ化できないかなあと思ったりしている。

都城市のように本当に専門家集団が集まって、クラウドファンディングで民間ベースで資金を集めてプロジェクトを達成するというのは今の僕にはちょっとハードルが高いかな…と思う。一方で公費を入れるのも今の状態ではなんとも難しく悩ましい。個人の取り組みとしてやってもいいのだけど、クオリティにある程度目をつぶればそれなりのものを作ることは一定の値段のドローンを手に入れたらできるようにも思う。ただドローンの問題は手続きなんだよな…。国や県、市役所への航空経路等の煩雑な行政手続きやその他諸々の周辺手続きを考えると、個人が公共建築物についてドローンを飛ばすということはなかなか負担感が強い。

そういうことを考えると、広域フォトグラメトリとしては、今は一人でできることをやるしかないのかな、と思っている。ドローンは人口密集地域でなければ規制も緩いのだろうけど、それでは広域フォトグラメトリをやる理由がなくなってしまう。僕がやりたいのは建築や公共の場をバーチャルで再現し、コミュニティとしての機能を持たせられるレベルにしたいというのが希望だから、やはり人の手で作ったものをモデルにしないと仕方ない。コロナで動きづらい昨今でもあるし、しばらくは一人で一脚を持ちつつ、地道に地元とかの広域フォトグラメトリをなるべく精巧に作り上げ、VRchatやClusterなどのワールドにアップしてみるしかないかな、と思っている。その試行錯誤が次のステップにつながると思ってやるしかあるまい。

こういう取り組みについて考えるとき、やっぱり現実空間を仮想に持ってくる(または仮想空間を現実に持ってくる)というインタラクティブな取り組みでないと公共性が無いんだよな。そこにコミュニティや公共的な意味づけをするのであれば、それを仕事と結び付けようとするのであれば、双方をつなぐ仕掛けや取り組みをしないと意味がない。仮想世界で仮想のものだけを作るのではなくて。それを念頭に入れて試行錯誤していきたい。

QGISによるデータ可視化

やりたいことの二つ目は、GISを使ったデータの可視化。文章では人は動かない、グラフや図もいまいち伝わりづらい、でも地図は強力だ。超強力。直観的なのでインパクトがすごい。データ可視化で一番面白いのはGISだと思う。

GISの扱いとして面白いのはやはりデータを入れて地域情報を浮かび上がらせていくことだろう。リーサスでも同じようなことができるのだけど、QGISに国勢調査など統計GISのデータを入れる方が地域の細かいところまで見ることができて面白い。国交省のPLATEAUのように、3DモデルにGISデータを実装したオープンデータサービスもローンチされている。こういうのを使って、情報の可視化をしていきたい。QGISってPythonを勉強したらもっと使いやすくなるのかな。その辺がド文系のド素人なのでよくわからなくて…。ここも要勉強だなと思っている。

こういう未来だったらいいなと思っていること

僕個人の未来のビジョンというのは結構明確で、一言で言うとオーディナルスケールであったり、SAOの世界であったり、というものの実現。

茅場晶彦が「空に浮かぶ鉄の城の空想に私が取りつかれたのは何歳の頃だったか」というセリフがあるのだけど、それとなんとなく似ていて、小さい頃からゲームばかりしていた身からすると、ゲームそのものが仮想空間なのだな。それはRPGであってもアクションであってもシューティングであってもそうで、仮想世界上では身体の影響は受けない。僕が技術の発達によって身体障害者と健常者との境目が消えていくという話に共感を覚えるのもそういうこれまでの経験が影響しているように思う。

一方で、仮想世界を作るのに一番大きなリソースというかネタ元はやはり現実世界であって、それは例えばゼルダの伝説ブレスオブザワイルドが京都市をフィールドのモデルにしていたり、マリオ開発者の宮本茂さんがマリオのジャンプから着地までを自分の身体感覚を原点としていることに似ている。

ええと、科学的に見れば、「角度はこのくらいで持て」とか、「こういうスタンスで」とか言えるんでしょうけど、そこにはあまり興味がないので、我流で投げるわけです(笑)。だけど、「スパン!」と当たったときはすごく気持ちがいい。たぶんああいう感覚が、いろいろなものにあるんですよ。
たとえばジャンプしてから着地するまでの距離や時間には、いちばん「やったー!」と思えるタイミングがあって、それはたぶん僕の身についているものなんです。だから僕は聞かれると、「田舎で育って、野山を駆け回ったことがクリエイティブの原点です」というようなことを言ったりします。

これは落合陽一さんが言っていることにも似ていて、2018年の神戸の講演で落合さんは「すき家であのレベルのうな丼が食べられることも科学の勝利で、いかに本物に近づけてモノを作るかを追求しているからエンジニアはすごいのであって、その一方でウナギや鮎にしても産地によって全然違う複雑な味がして、それを追求することも尊いわけで、どちらも同じくらい大事」ということを言っていた。

結局のところ大事なのは仮想か現実か、という話ではなくて、現実に仮想を取り入れながらいかに有機的な、QOLの高い現実空間を構成していくか、ということだと思う。その具体の一つが例えばスマートシティだったり、PLATEAUだったりするのだろうけど。

そういえばPLATEAUでは既にデータを使って現実空間に巨大な3Dモデルを出現させる取り組みをしている人もいた。まさにオーディナルスケールだなあと思った。僕自身はなぜそういった世界になることを目指すのかという質問への理由はなくて、ただただ楽しい、それを欲しているという感じ。登山が趣味の人が山に登ることに理由がないのと一緒で、現実世界に仮想空間を実装できるのであれば、それをしないことに理由はないし、することにも理由はない。ただただそれが楽しいから、僕にとってはそういう未来になることが、そういう未来になって社会のQOLが上がることが楽しい。

そういう未来になるように手を動かしていきたい。

(参考)プラトーのデータを使ったVRchatのワールドに入ってみた。東京の夜の空中散歩が手軽にできて楽しい。現実世界で動き回ることが難しくても、仮想世界では自由だ。仮想世界の発展が続くように僕も試行錯誤していきたいな。


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