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旅の終わりに

その歳でないと、つまり若くないと感じる事が出来ない物語というものはある。

たとえば村上龍の「限りなく透明に近いブルー」や「コインロッカーベイビーズ」。

いま読むとしんどい。

だが 「コインロッカーベイビーズ」は村上春樹にある種の衝撃を与え、氏がプロ作家として生きていくための決意をあたえた。

そして村上春樹にとっての『コインロッカーベイビーズ』が、ボブ・デュランにとっての『オンザロード』でありジャック・ケルアックなのである。

『オンザロード』は若き日の彷徨いを描いたロードムービーで、多くの若き旅人たちが心酔した。

『オンザロード』がなければ『イージーライダー』も『ストレンジャーザンパラダイス』も『真夜中のカウボーイ』も『パーマネントバケーション』も生まれかったかもしれない。

『オンザロード』では、放浪の旅の中で「今を生きるのか」それとも「未来を生きるのか」を自問し続けている。

もちろん旅はいつか終わるのは明白で、未来に生きなければならいのも百も承知している。

当り前の話だ。

だが旅という非日常にコミットするあまり、選択することを忘れてしまう。

出口のない宗教書のようなものだ

ボブ・デュランの『マイ・バック・ページ』は、旅を終えたデュランの述懐と自虐ともとれるある種の戒めでもある。

もっともジャック・ケルアックより遥か前に、松尾芭蕉が辞世の句で答えを残している。

旅に病み夢は枯野を駆け巡る

そう全ては夢だったのだ。
そして答えは風の中にはないし、答えは社会の中で見つけるしかない。

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