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上達したら挑戦ではなく、上達するために挑戦

個人のSNSでの発信で、元気もらっているよーとお友達からもらえる声が嬉しくて、ちょっと記事とかにしてみようかなと思い立って最近書き始めています。

さて。

思い立ったらすぐ行動の自分は、

まだまだダンスを始めてヘッタクソで目も当てられないレベルでサイファーと呼ばれる、輪の中心で踊るのが好きだったり、

思い立って、英語0の状態で所持金10万と少しでカナダ留学(よく行かせてくれたな)したり、英語ちんぷんかんぷんな状態で地元のカフェに雇ってくれと言ったり(なぜか受かった。)

中国語始めたし、ということでとりあえず有給を溜めに溜めて、NOVA以外で中国語喋ったことないけど台湾に短期留学したり(勉強していったつもりだったが本当に何言っているかわからんかった)

とまあ決めたら「思い立ったが吉日」を地でいく人間です。

そしてこれからも突き通す人間です。

なぜなら、これが1番の上達への近道だと今までの人生で学んだからです。

ダンスも語学も、
「踊れるようになってからサイファーやってみる」
「言語が話せるようになってからネイティブと話す」

ってたまにきくんですけど、

多分この「いつか」はなかなかこないと思うんです。

私は失敗がこわくなりそうになったら、「上達したら挑戦ではなく、上達するために挑戦。」といつも自分に言い聞かせています。

サイファーはサイファーのなかで学ぶし
会話は会話をしながら学ぶと思います。

赤ちゃんは歩きながら歩くことを覚えるし
話しながら会話することを覚えますよね。人間の成長過程って結局同じだと思うんですよね。

もちろんやりたくないことなら無理強いはしませんが、やりたい気持ちが少しでもあるならwhy not 挑戦なのです。

頭ではわかってるけど、そんな勇気ないよ!

てなりますよね。

失敗が恐い。恥ずかしい。

でも私はこう思うようにしてます。

それはただの自意識過剰なんだと。

皆そんなに自分のこと見てないし
自分に期待してない
失敗して当たり前な存在なんだと

だって周りの海外の友達が日本語間違えたからってうわ!なにこいつ!恥ずかし!
て思わないですよね?

なぜか。
それはその人が海外の人で、日本語が母国語じゃないから。
間違えて当然だからですよね。

だったら逆もしかり。

思いっきり間違えてみましょう。失敗しましょう。
案外こんなもんかって思えるはず。

もし万が一悔しい思いをしたならラッキーです。
そこから這い上がるきっかけをもらったんだから。

いつも自分はまず飛び込んでみてそこから這い上がるスタイルです。(前提として、それが絶対的な正義だとは思いません。)

そこには飛び込む勇気、圧倒的に自分ができないという現実や、たくさん間違い、失敗をしていくことを認めて受け入れることが必要で、それらはシンプルなことですが、あまり簡単ではありません。しかしやってみる価値は大いにあります。

また、挑戦してみることのもう一つのポイントは、とびこんでしまえばあとは頑張るしかないところです。

始める前は、やるかどうかで悩むことがありますが、考えれば考えるほど人間の脳みそは変化を嫌うため今のままステイになります。

でもやり始めてしまえば、脳みそは「やるかどうか」から「どうすればうまくいくか」にスイッチします。そうなればもうどんどん突き進むのみです。

もし辛くなったら?やめればいいです。もし今やっていることがめんどくさいではなく、嫌、辛い、となればやめればいいんじゃないかな、と思います。

そうして振り返った時に、挑戦しなかった時とは比べ物にならないくらい成長し自身を持っている自分に出会えるはずです。

最後に

何かの上達に近道って基本的にはないとは思うけど、でも、強いて言うのであればとりあえず挑戦を恐れず、泥臭く、スマートとはかけ離れた方法でもひたすら必死にくらいつくことが、近道なんじゃないかなあと思います。

できないのは当たり前なんです、できないから挑戦するんです。











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