差別と相互理解と思い出の話

差別の話を聞くとTのことを思い出す。
Tは大学のひとつ上の学年で、大連からの留学生である。

私の学部は学部生の1/3ほどを中国からの留学生が、
残りの1/3をその他アジア含む様々な地域からの留学生が、
最後の1/3を日本人学生が占めていて、
授業は日本語で行われていたが、選択制で英語以外に5ヶ国語以上の授業があり、学生のほとんどは日本語をベースにした中国語と英語のちゃんぽんで話をしていた。

その環境の中で自分がその単語を使ったことに差別的な意識がなかったとは言えない。なんの話題だったかは忘れたが、私は「あやしいチャイナタウン」という言葉を使った。
私はアラビア語と中国語を学んでおり、中国文学を数多く読んでおり、当時自分ではリベラリストだと信じていた。

「あやしいチャイナタウン」

と、私は言った。

「もちろん中国があやしくないことは分かってるけど、チャイナタウンはどの国にあってもあやしいイメージでしょ」

めちゃくちゃ無神経な発言だったと思う。私はチャイナタウンというものの成り立ちを知識として知ってはいたが、そこで暮らしている人々の歴史や生活をかけらも理解していなかった。ただ、中国文化が観光地的性格と結びついて、どこの国ともつかない異国風のいい加減な空気を纏った何かだと思っていた。
さらに無神経なことに、私はこう続けた。

「どこにあってもチャイナタウンはあやしい雰囲気ある。チャイナタウンがあってあやしくない国も思いつかないけど、どこにあるチャイナタウンが一番あやしいかなー」

Tは少し考えて、控えめに答えた。

「中国のチャイナタウンじゃないですか?」

私は爆笑し、Tのユーモアと知性に深く尊敬の念を抱き、最高、と言ったが、今思い返すに私のこの無神経な発言に立腹せず、冗談として私の偏見を柔らかく指摘したTの限りない理解と優しさに恥じ入るばかりである。
本当に、年々過去の自分が恥ずかしくなる。
そういう私と一緒にいろんな話をしてくれた、T含め何名かの留学生諸氏は本当に真に寛大でいい友人であった。
お互い立場も育った環境も、そこから導き出した信念も違う中で、我々が歩み寄るために見出した手段は、「食事をしながら沢山議論する」だった。

これとは別に、一つ象徴的なエピソードがある。
私が入学したての頃、同じ授業を受けていた、Tと、私と、
もう1人、Dという韓国からの留学生と、3人で初めて一緒に食事をした。
食事が始まった瞬間、全員が相手の食事のマナーを厳しく糾弾した。
Dは焼き魚定食の白米にスプーンを突っ込み、Tは体を屈めてテーブルの上に置いたままの茶碗からご飯を書き込み、私は茶碗を左手で持ち上げ右手に箸を持っていた。

私はTの食事の仕方を「犬食い」だと言い、Tは私の食べ方を「3日も食事をしなかったようにがっついている」と指摘し、Dは「おかずを取る箸でご飯を食べないで!」と叫び、全員が、「小さい頃に教わったでしょう!」と言ったのである。

そこで全員何かがおかしいと気がついて、お互いの食事マナーの説明とすり合わせが行われ、「相手の食事の作法に関して口を挟まない」という共通のルールと妥協が行われた。
私たちには差別と偏見があり、それは消えないし、
理解は、どんな些細なことであっても、あまりに難しく、地道だ。
それを教わっただけでもいい大学生活であっただろう。

Tが私に言ったことが未だに深く胸に残っている。

「日本人は中国人が嫌いだし、中国人は日本人が嫌いですよ。政権と政権が仲が悪いのだから、それは当然でしょう。だけど、それは個人の友情にとってなんの意味もない。私とあなたのように。」

本当に、聡明な人であった。

これはおひねり⊂( ・-・。⊂⌒っ