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移住とローカルシフト〜7つの個人的な実践と「まちづくりの力」について

こんにちは、柳澤拓道です。今年の6月に、東京から長野県佐久市に移住をしました。サボりがちなnoteですが、iitoco!! Advent Calendar 2020に参加させていただき、筆を進めてみました。

最近「ローカルシフト」という言葉を連呼しているのですが、1年の終わりということで、今回は自分が移住とローカルシフトをするために「やってみた」こと7つをメモ的に書いた上で、今後取り組みたい「地方のまちづくり」を改めて考えてみたいと思います。

まず「ローカルシフト」のコア概念については、SAKU SAKU SAKKの仲間である江原政文さんが、こちらの記事にまとめてくれています。

あと、こちらのポンチ絵も参考に。「しごと」と書いてありますが、遊びでもなんでも良いです↓

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私は生まれも育ちも、ほとんど首都圏です。埼玉県の小学校を卒業して、中学・高校・大学は東京。大学卒業後、UR都市機構という会社に就職してからも、12年間東京に勤務していました。さらに、仕事の内容も主に東京のまちづくり・都市開発のお手伝い。ということで、まさに生粋の東京人だったわけですが、今年の6月に長野県佐久市に移住をしました

なぜ東京を離れたかというのを書き始めると長くなってしまうので別の機会にゆっくりと書こうと思いますが、一言で言うと「東京をいったん卒業しよう」ということになると思います。

ローカルシフトのやり方って、一般解があるわけではなく、それぞれの個別解しかないと思います。また、シフトする割合が2割地域なのか、5割地域なのかも、人それぞれです。一方で私の周りの移住者等の話を聞いていると、ローカルシフトをするための原動力やベクトルみたいなものは、結構みなさん共通しているように思いますので、これから移住したり、地域のことを実践をしようとする方の参考になれば、と思います。

記事が長くなりすぎました!時間がない方は、「8」だけでも読んでください笑

1 移住を決めてみた


いつか移住したいなーなどと言っているだけでは何も始まらないということで、とにかく移住することを決めちゃいました。1年ちょっと前くらいのこと。平日に休暇をとって、夫婦でランチを食べながら決めました。

実は、初めは子供の幼稚園をきっかけに移住をしようと思っていたのですが、残念ながら、ご縁がなかったのです。じゃあ移住をやめるのか、延期するのかという話になり。。。

結果としてこれがきっかけで、内なる声が聞こえてきました。子育てだけが移住の理由?そもそも学校だけが教育のフィールド?そもそも、何のために移住するのか?仕事は今のままで満足なのか?などなど。

結局シンプルに「自分たちが幸せになるために、今、移住しよう」ということを夫婦で話した記憶があります。どう考えても、一度きりの人生。移住しないで一生後悔するよりも、移住して一時的に後悔する方が良い。やり直しは可能だ。と思えたのです。

この軸は今もブレていないと思います。

2 地方の仕事を探してみた


移住を決めたのは良いのですが、自分の仕事がどうなるのかは全く決まらない状態でした。有名な転職サイトをひと通りみても、今の自分のキャリアの延長上にある仕事はほぼ無かったです。東京に通うことも考えましたが、長野に住んで、東京のまちづくりをするというのも、ローカルシフトを目指していた自分にとっては本末転倒な感じがして、心の整理ができませんでした。

主夫業の側でのんびりカフェをやろうかなーと思っていたところ、たまたまWantedlyで僕の胸に突き刺さる天使のポエムのような記事を見つけたのです。「これだ!」と。WEBでのお話や現地への訪問で色々なご縁をいただき、今のSAKU SAKU SAKKの仲間たちと繋がることができました

後から聞いた話。自腹で佐久に現地訪問に行っていなかったら、このご縁はなかったみたいです。みなさん、まずは自腹で地方に行ってみましょう笑

地域側にたってみて、実際に自分でお金を払ってでも現地を見てみたいという人は、ローカルシフトへの想いが強いし、一緒に何かをやる上でのスキルも高いことが多いと思います。

3 東京の仕事を休職してみた


移住に当たって、東京の会社を退職することも考えたのですが、先輩方にお世話になりながら、結果としてしばらく「休職」という取り扱いをいただきました。私自身、これからもなんらかの形で貢献したい想いがあったし、現地でうまくいかないリスクもゼロではなかったので、これはとても嬉しいことでした(ただ、休職後の年金・健康保険などの脱退手続きが煩雑すぎたのと、休職という立場が社会的に中途半端だったのでトラブルも。。。)

リモートワークの普及や、大企業における副業・複業の解禁など、働き方が大きく変わってきています。先が見えにくい時代にあって、まちづくりを進めるにあたっても組織を越境する存在が今後不可欠になってくるのではないかと思います。そのような時代のまちづくりとして、どういう組織・体制が望ましく、私個人としてどういう働き方がありうるのかも含めて、探っていきたいと思っています。

4 地方に家を買ってみた

会社を休職すると、転職以上に世間的に不安定な信用状態になりそうだったので笑、移住決定後に思い切って中古マンションを買ってしまいました。東京で購入しようとしていたマンションと比べると1/3くらいの価格なので、半額になっても大した損失でないし、今後も移住者が一定数いることを考えると、リセールバリューや賃貸需要が十分にあるだろうという判断です。

住めば都。分譲仕様のマンションは断熱性能もそれなりにあって暖かいです。古い間取りを変更し、簡単なリノベーションもしてみました。

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5 田んぼに囲まれた保育園に入ってみた

 
東京の厳しい保活を経験したので、地方は大丈夫だろうと余裕をぶっこいていたのですが、意外と大変だったのが保育園探しです。新幹線駅近くは子供の数が多く、定員いっぱいの保育園が多かったです。それと、もちろん東京の保育園に比べると広いのですが、ちょっと密な感じがあり、せっかく移住してきたのだから、もっと自然に囲まれているところが良いなーという思いが強くなってきました。

結果として、駅からは離れた、田んぼに囲まれた地域の保育園に入園させていただきました。広い園庭で思い切り遊んだり、園の畑に行って虫を捕まえたりと、とりあえず子供も楽しめているようです。親としても、周辺の田んぼ観察や星空観察を楽しんでいます笑。車の送迎も、慣れてくるとなかなか楽しい親子の時間です。

お米を提出などローカルなルールがあって、??な部分も正直ありますが、子供の教育というはその地域の歴史的な文脈と切り離せない部分があると思いますし、そこを含めて親子で楽しめたら良いなーと思っています。

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6 農に触れてみた 

結局移住をしてもパソコンでやる仕事も多くなったのですが、私がすごく救われたのが、うちやまコミュニティ農園に参加させてもらったことです。畑での野菜の収穫や田んぼでの稲の収穫などを、みんなでワイワイ楽しくできます。

子育て面でも、保育園や学校以外も含めて子育てのフィールドだよなー、と思っていた中で、こうしたコミュニティの仲間に入れてもらえるのは本当に嬉しいです。うちの子供はあまり他人に関心がないのですが笑、色々な大人たちに囲まれるというのも良い経験になれば良いなー、と密かに願っています。

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そして、結果として親が一番楽しんでいます。

例えば、稲刈り、脱穀を体験したのは私、初めてです。35年間食べ続けてきたのに、稲穂に触ったことすらほぼなかった。お米だけでなく野菜の収穫も、10年に1回レベルの体験でしかなかった。

田んぼや畑で土に触ったり収穫したりしていると、なんだか救われた気持ちになります。季節感もほぼなく一年中売っているスーパーのお米とか野菜だけ見て、食っていたと言うのは、ある意味バーチャルな世界と言うか、僕は「お米」とか「野菜」とかいう「記号」を消費して、生きてきたんだなと。
だから、農のある暮らしは、僕にとって、すごくリアルに生きるということに繋がるし、救われます。

7 自然の中で楽器を弾いてみた

趣味で中学生の時からチェロを弾いています。東京にいるときはマンションの一室で練習をし、音楽ホールで弾くというのがメインの活動でした。

アウトドアコワーキングのイベントなどに携わるなかで、せっかく佐久の大自然の中に住んでいるので、楽器も外で思い切り弾いてみたいという思いが強くなりました。宮沢賢治の童話「ポラーノの広場」にちなんで「Sakk Porano(サック・ポラーノ)」というイベントを立ち上げて、ワークテラス佐久のガーデン広場、田んぼの前、リンゴ畑の中、など色々な場所で演奏の機会をいただきました。 

おれたちはみな農民である ずゐぶん忙がしく仕事もつらい
もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい
・・・
芸術をもてあの灰色の労働を燃せ
ここにはわれら不断の潔く楽しい創造がある
都人よ 来ってわれらに交れ 世界よ 他意なきわれらを容れよ
(宮沢賢治 農民芸術概論綱要より)

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<Photo by 林 光>

実は屋外でヴァイオリン族の弦楽器を弾くというのは、結構過酷なコンディションでして、普通は誰もやりたがりません。しかも佐久は寒い。。。ただ晴天率も高くて、カラッとしていることが多いので、佐久は実はアウトドア演奏に向いた気候なのではないか、と思います笑

弾きたい、歌いたい、叩きたいという仲間が少しずつ増えていったらなー、という想いで続けています。音楽というのは本来は野外で演奏されることも多かったわけで、ローカルシフトをする中で、コンサートホールの中とは別の、音楽のあり方を模索したいです。

8 ローカルシフトを原動力にした「まちづくり」へ


移住とローカルシフトに向けて私自身がこの1年でやってみた7つのことを書いてみました。多くの移住者の方にも、私と似たような実践があると思うのですが、改めて書いてみると、移住やローカルシフトというのは、極めて個人的な内発的な動機と、とりあえずやってみるという実践に基づいているということに気づかされます

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そもそも「移住」というのは、会社人事(他人)の命令による転勤とかは全く違って、あえて私なりに定義するとすれば「移住=個人の自由意志と個人の責任において、自分の住む場所を主体的に選択する行為」であるわけです。

そして移住の前提となる「移動の自由」というのは、歴史的にみると、決して当たり前に行使できるものではありませんでした。それゆえに国家と国民の約束である近代憲法にも明文化され、保障されている自由権の一つとなっています。

日本国憲法
第22条 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。


この条文は、経済的自由権、身体的自由権、精神的自由権など、様々な自由権が関連しているというのが通説です。すなわち、単にどこに引越しをして良いですよというレベルの話では無く、ライフステージに応じて、新たな環境で、新たな人と出会い、幸福を追求する権利までをも含んだ大事な条文と言えます。

「移住」という概念が身体的自由権の行使であるとすれば、僕らが唱えている「ローカルシフト」というのは、経済的自由権、精神的自由権に関連しているとも言えます。つまり、私たちが唱えている「ローカルシフト」は憲法22条で保障された大切な権利の行使であるとも言えるのです。

私は、個人の内発的な動機に基づくローカルシフト(経済的及び精神的な意味での都心から地方へのシフト)の力が、本当の意味で持続可能な地方都市のまちづくりを推進する上で、不可欠なものだと思っています。

※ 地域に深く関わりを持つ人という意味で「関係人口」という言葉が行政界隈で流行していますが、「私は関係人口になりたいです!」というのは日本語としておかしな響きがして、一人称では使いにくい言葉です。そうするとやはり、一人称で語れる「ローカルシフト」という言葉の方が、エネルギーがあって、私はしっくりきます

地方創生の名の下にどれだけ政府が地方に交付金を流そうとも、どれだけ立派なハード施設を整備しようとも、内発的な動機で動ける地域のプレイヤーがいなければ地方のまちづくりが持続可能でないことは、これまでの様々な事例からも明らかです。東京のコンサルが新幹線に乗って地方に通い、予算を消化したらサヨウナラ、という世界では全く話にならないのです(もちろん、東京のコンサルタントの中にも素晴らしい方はいます)。

個人の内発的な動機に基づく、ローカルシフト。その一つ一つはとても小さいものです。そのミクロで微細なローカルシフトの動きを、どうやって行政や企業の力と接続させて、大きなムーブメントにし、マクロな「まちづくり」につなげていくのか。個人の内発的なローカルシフトを、地域の持続的な「まちづくりの力」に変えていく

これが僕が今後取り組んでみたい、地域のまちづくりの大きな方向性です。一人では何もできません。地域の皆さん、都市部の皆さん、ぜひ一緒にやりましょう!!

<来年度予定している色々なプロジェクトに向けて、地域複業に関心のある仲間の募集を開始しました↑↑>

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