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僕がカンボジアで活動できる理由

僕は祖父母、 両親と4兄妹の家庭で育ちました。
生まれは東京ですが、 小さい時に福岡の片田舎に引越しをしてきて、 少年青年時代を過ごしました。

言葉を覚えるのが遅く、 おまけに初めて覚えた言葉が「田んぼ」だそうです。
4歳くらいのときにお小遣いの10円を握りしめ、 乗れるようになった3輪車に乗って
一人でスーパーに行き10円ガムを買っては 「危ない」 と怒られてたみたいです。


幼稚園の身体検診では心疾患 (のちにスポーツ心臓ということで安心しました。) で両親を不安にさせては、 1年生になってもひらがなが書けず、 家に帰って祖父からの特訓を受けていたことを今でも覚えています。おまけに5年生に始まった英会話の授業の前まで、 ローマ字で日本語を書けば外国の人とも話ができると思い込んでいたほど頭の痛い僕でした。

僕の唯一の取り柄だったのが、 サッカー
小学校1年生のときに兄が始めたサッカーを見に行ったのをきっかけに僕もやり始めました。
夏休みも午前中に一人でグラウンドに行ってひたすら壁と対面パスをやっていた甲斐もあり、
3年生のときから6年生の試合に出させてもらっては、 ボコボコにされて泣きじゃくりながらも必死に食いついていっていました。


中学校、高校もずっとサッカー尽くしで、 風邪で学校を休んだ日も内緒で部活だけは行っていました。

高校最後の夏の大会の前に母親から1通の手紙をもらいました。

その内容は、僕が中学生になったときに母親から大学は何学部に入りたいの?と聞かれた質問に堂々と「九大のサッカー部」と答えていたみたいです。

また、「勝ちを経験することは少なかったけど、 負けた者の辛さが理解できる心をサッカーが培ってくれたよね。」と書いてありました。


前置きがすごーーく長くなってしまいましたが、 もうちょっと続きます。

大学は指定校推薦で決まっていたのですが、 後輩を殴り取り消され、 センター利用で受かった埼玉の大学に入学しました。

2012年に大学入学したのですが、 東日本震災直後だったので、 週末はもっぱら宮城県の閖上地区にあるNPO法人にお世話になりながら、 ボランティア活動をしていました。

大学内ではなく、 校外での活動の方がその当時の僕にとっては刺激的で挑戦できる環境でした。その団体とのつながりでカンボジアで古着配りの支援活動を何年もやり続けられている方と出会い僕もカンボジアに連れてきてもらいました。

カンボジアにきたのは2012年5月のゴールデンウィークでした。
初めての海外ではなかったのですが、 カンボジアの空気感や独特の雰囲気に魅了され、 8月9月には長期間滞在を決め学校建設のボランティアをやりながら、 カンボジア生活を楽しみました。


次の年の2月には知り合いの旅行会社でボランティアスタッフとして働かせてもらいながら、 自分がやりたいことを探し始めていました。

3月末には自分のなかでは大学を中退し、 カンボジアで生活する決断をしていました。

大学のことや将来のこと(特に就活など)をすごく心配はしていたものの、 今の楽しさを常に選択したかったんだと思います。

** **

本題はここから(笑)

僕がなぜカンボジアで活動できているのか。

上記にあるとおり、 大学のことや将来のことでめちゃくちゃ悩みました。自分のことで3・4周悩んだ後に、親の思いはどうなるんだと悩みました。

僕の行く予定だった公立の中学校は荒れ果てており(こんな言い方していいのかな。でもホント。)、将来を心配してくれた親がお金のかかる私立の中学校を受験させてくれました。(当時の思いとしては「させられた」が適切かも笑)

お金をかけて良い教育を受けさせてもらい、 大学まで受験させてもらい、 入学金・授業料・生活費まで出してもらい通っていたのにも関わらず、 そんな息子が突然「中退したい」と言いだしたら、 どう思うだろうか。と考えるようになりました。

当時の僕は社会に出た経験もなければ、 コンビニのバイトも廃棄のモノを勝手に食べて首にされるという最悪な状況でした。そんな僕は、 大学に行かなければ会社に入れないと勝手に思っていました。今考えたらめちゃくちゃアホな僕ですが、 その当時は大学を辞めたら日本の社会に戻ってこれなくなると本気で思っていました。

そのような環境で教育してもらっていた、 知り合いの言葉を借りて言うなら「一種の呪い」のようなもので、 でも本当にそんな風に考えるほど、 周りに温かく見守られていたんだなと思います。

今でも言葉がまとまらず、 よくわからない文章になってしまってはいますが、 カンボジア在住で一番の僕の理解者の方に相談しに行きました。
「僕が大学を退学して、 カンボジアに来たいと言ったらどうなるかと。」
そして、 僕が考えてる大学を中退することの申し訳などをつらつらと語ったのですが、 全く厳しい顔など見たことなかったその方が、 少し厳しい顔をしてこう言いました。

**「拓弥は両親を信じてないの?」 と。

「自分の息子がやりたいこと、 しかも良いことをやろうとしているのに、 それを本気で反対する親はいないよ。心配はするだろうけど、 拓弥はもっと親を信頼したほうがいいんじゃないかな」と。**

そういう訳で僕はカンボジアで活動ができています。

活動の中でいろんな方と関わり、 応援してもらい、 時には反対されたりもありましたが、
その方の言葉は決して忘れることはありません。

親が自分のことを信じてくれてるように、 僕が親を信じる。

簡単なようですごく難しいことだけど、 これだけで僕はカンボジアで活動できています。
僕のこの文章が誰かの一歩を踏み出すきっかけになればと思います。

山勢拓弥

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