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他の街見て我が街誇れ

夏休み。9月末頃におやすみを頂いたので実際は初秋でしょうか。
今年は道内をグルッと回ってみよう!と思い立ち、行く先を決めずにとりあえず車に乗り込みました。

とは言っても、一つだけ目的地を決めていました。
阿寒湖です。
子供の頃、テレビから流れるCMでここ行ってみたい!!と感じていたところの一つです。齢41にしてやっといけました。

この阿寒湖に行く日だけを決め、あとは全くのノープラン。とりあえず北に向かってみました。なにげに、道内ロングドライブなんて20年ぶりくらいなので、ワクワクしながらも、ちゃんと運転できるかしらと心配でしたが・・・
ちなみに、今回の大前提はノー高速道路です。

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おかげさまで、ここ数年は道内のいろんな活動をされている方に会う機会が多くなり、道を走っていると「あっ!〇〇さんのいる街だな!」と気がつきます。
気がついたらいてもたってもいられないですよね。突撃です。

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急に寄ったって迷惑ですよね()

普段から行き当たりばったりなので、突然お店に行ってみたり、突然メッセを打ってみたり、存在だけをしらしめたり。結果お会いできたのは、喜茂別町で「tigris」というカフェを開いておられる加藤さんだけでした。ありがとうございます加藤さん。

さて、「誰かが居る街」と思うだけで、その街は一気にコンテンツ化します。
これまでは完全に札幌に行くときの素通りの町だった喜茂別町(札幌方面の方が函館向かう時に「森町っていつも素通りする町なんですよね。」と良く言われますがそのイメージ)ですが、「加藤さんが居る街」というフラグが立ってからは、毎回通るたびに「ああ、加藤さんの居る街だな」と思うわけです。

正直にいうと、森町から中山峠経由で札幌に向かうと必ず通る町ですが、免許を取ってから初めて街の中に入りました。さらには、今回初めてちゃんと街の中に入り込み、車で探検までしちゃいました。

この現象は普通の観光地でもあり得ますよね、というか、ありますよね。

例えば、地元の人にとっては普段眺めている「ちょっと雑草が多い茂って謎の看板が立っている空き地」。しかし、そこは歴史的ななにかが行われた場所で、見る人がみれば、「ここでこんなことが起きたのか」と思いを馳せることができるのです。

このため、地元の人は「なんであんな空き地に人がたまにきて。物好きがいるもんだ」なんて思ったりするわけです。

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こういう場所、当然森町にもたくさんあるわけで、どんな感じに見せたら「街の人が面白コンテンツとして認定してくれるのかな?」といつも考えています。

あれあれ?街の人じゃなくて、観光に来る人なんじゃないの?と思われるかもしれませんが(もしかしたらそれが正解なのかもしれませんけど)、僕が思っているのはやっぱり、「街の人にどれだけ愛され誇ってもらえるか」が重要なんじゃ無いかなあと思うわけです。

今回北海道内は、森町出発後、実際に車から降りてみて回った町としては

喜茂別・江別・三笠・旭川・上川・北見・津別・弟子屈・清里・釧路・帯広・芽室・夕張・伊達(このほか、道の駅だとか含むともうちょっとあるかな)

3泊4日。(本当はもっと長く回りたかったのですが、連休のGoToなめてました。全然宿取れず、最終日は走りっぱなし。)

いわゆる「観光地」として書かれている場所でも、現地に行ってみると、「ああこんな感じなのかー」とか、「整備されて利うんだけど、ちょっと残念」とか、逆に、「なにも無いのにコンテンツ力すごい」とか、「景色だけだけどやたら綺麗に整備されてる」とかもあります。

綺麗に整備されているところは、観光名所というよりも、街の人の憩いの場というか、愛される場所になっている感じをうけました。
これは北海道だけではなく、内地の街でもおんなじこと言えますよね。きっと。

なんとなく、こういうこと、今風にいうと「シビックプライド」的な感じなのかもしれませんが、その概念とは違った「シビックラブ」的な感じなのかもしれないなと思うわけです。

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釧路のフィッシャーマンズワーフのところは観光客はもちろんだけど
地元のカップルも多くいたなぁ

「シビックラブ」的なものは、その観光地的な場所だけではなく、文化だったり風土だったり、生活の場だったり、住民の触れ合いだったりするわけで、そこと「観光的ななにか」が本来マッチングすることで爆発的な力を持ち得るのかもしれませんが、そうなると地元民が「ちょっと...」となったり、なかなか良いバランスというのは難しいものです。

シビックラブ。郷土愛。

突き詰めて考えていくと、現在、町のあらゆる場面でKPI,KPIといわれ、そしてそれに「人口」とか「関係人口」とかが掲げられ、将来的にはここまで減少してーというような議論がされますが、人口が減ることは果たしてダメなことなのでしょうか?

人口が減る=ネガティブと捉えてしまうことで
目標自体がネガティブな思考にとらわれてしまっていないでしょうか。

そもそも、目標が定量化されない時点でのKPIはかなり難しい感じもしますし、定量化されないものにKPIを設定してもその評価はどうしていくのか。そこの議論がなされていないことがとても多く感じます。

もちろん僕も、まだまだ活気のあった時期の森町や函館をみているので「やっぱり元気じゃ無いとな!」とは思いますが、その元気を表す指標として「人口」「関係人口」を据えるのはなにか違う感じがこの頃しています。

「少なくとも平成8年前後の人口水準と駅前人流まで回復させる」

こんな感じの目標にして、KPIを「駅前に100人/日呼び込む」とかにしますか?ちょっと違和感感じませんか?

じゃあ、どうすればいいの?という答えはまだわからないんですけどねw

こう、いろいろな街をみて、いろんな取り組みを聞けば聞くほど、「自分の住んでいる街っていいとこあんじゃん」と思えます。そして、カイゼンしなければならなそうなところもたくさん見えます。

すべてを否定し、何かを作ってみようとするのではなく、まず肯定してみてから、そこから何が生まれるのか。
みんなで建設的に将来を語り合う場を作り、みんなで考えてみたいですね。

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