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石徹白Life970日目2020年8月14日(金)【焼畑ことはじめ】

夏の盛りの猛暑35度を越えている中で火を焚く。福井県で焼畑のお手伝いをする機会を得て参上しました。

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初めての体験。親切丁寧にいろいろ教わり、様々に思うことがありますが、まずは体験したということを記録して、今後の道標の一つとします。

ここ石徹白ではかつて「焼畑」が行われていました。「ナギ焼き」とも言われ、5月ごろに山を焼くことを「春ナギ」と呼び、8月ごろに焼くのは「夏ナギ」と呼んでいたそうです。

記録では昭和50年ごろまで行っていたようだが、既に50年近く途絶えていることになります。

石徹白地区の杉林はかつて、焼畑をして雑穀を育てて収穫して数年経つと、杉の苗を植えて地主さんに返した痕跡であるとも言われています。

焼畑農業は世界的に分布し行われてきました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%BC%E7%95%91%E8%BE%B2%E6%A5%AD

しかし商品作物の栽培を目的とした大規模なプランテーション農園をつくるための「焼き払い」と混同されることも多く、

その違いを理解している方は少ないかもしれません。

日本列島でも機械化、化学肥料の登場などにより、

かつて長く行われてきた地域でさえ焼畑の文化は激減して今に至っています。

石徹白の焼畑については、

文化庁文化財保護部編(1997)の岐阜県白山麓(白川村、荘川村、高鷲村、石徹白)と高知県(安田町船倉・瀬切、池川町椿山)の記録に残されているほか、

聞き書き集『石徹白の人々』(2014年)にも記載があります。

世界中でさまざまな研究論文や伝統の継承が試みられている中で、

石徹白地区では単なる伝承や記録ではなく、焼畑で作られた雑穀にまつわる唄や

「石徹白かぶら」という焼畑にも適した食べ物があり、今でも美味しい漬物が食べられています。

実際に焼畑を見聞きし、経験してきた80代、90代の方々から体験談や焼畑跡地のこと、言葉や道具のことなども含めて、

聴き取っておきたいという想いがさらに強くなりました。

当日の動きなどはまた別途、書きます。

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