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39歳・未経験で建設会社の社長に就任した僕が、困窮するシングルマザーを支えるNPOと会社をつくった話

僕は39歳のときに、突然、建設会社の社長になりました。

20代は公認会計士とコンサル会社で企業再生の仕事を。30代はソーシャルの世界に100%どっぷりと浸かり、カタリバという教育NPOの常務理事/事務局長と、ソーシャルベンチャー・パートナーズ東京という中間支援団体の代表を務めていました。

父が急に他界したことをきっかけに、39歳で地元の名古屋に戻り、千年ちとせ建設を事業承継。その後LivEQualityという、困窮しているシングルマザーの住まいや暮らしをサポートする活動を始めて、今は2つの会社と1つのNPOを経営しています。

父がつくった千年ちとせ建設を継ぐつもりは、まったくありませんでした。

父の葬式のあと「社長になってもらえませんか?」と言われたそのときですら、継ごうとは思っていませんでした。

そんな僕がなぜいま、承継した地方建設会社の強みをいかして、社会課題を解決する事業会社やNPOも立ち上げたのか――。

これまでのことを振り返り、書いてみたいと思います。

ビジネスはお金儲けだけのツールじゃない

振り返ってみると、僕が取り組んできた仕事の共通点は「ビジネスとソーシャルの力で社会課題の解決を目指すこと」でした。

原点は、学生時代にさかのぼります。

僕は大学生のときに、1年間休学して世界30カ国を回ったバックパッカーでした。留学しようと思ってお金を貯めたものの、勉強したいことが見つからなかったんです。それなら好きなことをしようと、放浪の旅に出ました。

旅の途中で、当時世界最貧国と言われていたバングラデシュを訪れました。そこで偶然出会ったのが、この写真の光景です。

これはグラミン銀行です。2006年にノーベル平和賞を取得した、ムハマド・ユヌスさんが立ち上げた銀行です。

高利貸し以外からお金を借りられない方に、2,3万円の小口のお金を融資して、その方々が自分で事業を起こす。かなり高い確率で返済されて、貧困問題を解決する金融ビジネスとして、とても有名なモデルです。

たまたま出会った国連の人に連れて行ってもらってみたのが、この光景でした。

銀行業というビジネスを、社会の課題解決、特に貧困という大きな課題解決に応用して、それが成功して国連も真似して世界にスケールしている――。このモデルにとても感銘を受けました。

ビジネスというのは、お金儲けだけのツールじゃない。ビジネスのスキームを応用することで、社会課題の解決にも大きなインパクトが与えられるんだと。もう26年ぐらい前の話になりますが、自分の原体験として、強烈に記憶に残っています。

金融の可能性を知った僕は、公認会計士を目指そうと決めて、3回受験し、なんとか合格しました。大学卒業後はプライスウォーターハウスクーパース(PwC)に入社して、監査や企業再生の仕事を担当します。

一生懸命やっていると、担当プロジェクトが成功します。でもプロジェクトが成功すると同時に、人が大量にリストラされる仕事です。ああ、あの人はすごく頑張っていたのに対象になってしまったんだ、とか。仕事の成果を素直に喜ぶことができずにいました。

そんな毎日を過ごしていた29歳ぐらいのとき。頭の中に、あのグラミン銀行の光景がチラチラと浮かぶようになりました。

あれ?ちょっと待てよ、と。
僕は何のために会計士になったんだと――。

その頃に出会ったのが、日本の社会起業家でした。NPOカタリバの今村久美さんや、フローレンスの駒崎弘樹さんたちです。社会課題を解決するために、人生をかけて行動している人たち。

彼らの「社会を変えたい」という思いと実行力を目の当たりにして、本当に素晴らしい人たちが日本にいるんだ、と。これが、僕がやりたかったことだと思って、出会った翌日にはプロボノ*に申し込みます。

*プロボノ(pro bono)
職業上のスキルや経験を生かして取り組む社会貢献活動のこと

PwCで働きながら、プロボノとして1年くらいNPOカタリバに関わっていました。

正直、ソーシャルセクターの仕事をすぐに本業にするには、キャリアや収入面、自分が価値をだせるかどうかなどの不安がありました。それで悩んでしまって決断できず・・・。

でもあるとき「人生一度きりだよな」と、理由もなく思えたときがありました。

そのタイミングで、「本業としてソーシャルセクターで働くことを仕事にしよう」と決意して、PwCを退職しました。30代前半のことです。

父の急逝、地元建設会社を継ぐことに…

こうして、カタリバという教育NPOの常務理事/事務局長と、ソーシャルベンチャー・パートナーズ東京という中間支援団体の代表が、僕の仕事になりました。

そのあとすぐに東日本大震災があり、東北に拠点を構えて教育支援に取り組んだカタリバを、東京から支えるという貴重な経験もしました。

ソーシャルセクターに本腰をいれて10年近く。この先の人生もずっと、この業界で働き続けるものだと思っていたんです。

ところが、2018年。
僕が39歳のときに、父が急逝します。

僕は父がつくった会社のことも建設業のことも全く分からなかったですし、継ぐ気はありませんでした。お葬式なんかは泣く暇もないほどで。終わってバタバタと東京に戻る前に「社長になってほしい」と言われたときにも、お断りしました。

でも、世の中を少しでもよくしたいと思って仕事をしてきたのに、父にとって家族同然の人たちが困っている時に、何もしないというのが…自分に対して納得いかない部分がありました。

あるとき、父の右腕としてバックオフィスをずっとみてくれていた方が、目の前で泣いているのを見て。あまり深い理由はないんですが、心が動いて。もうこれもご縁だからやろう!と、引き受けることにしました。

こうして2018年の2月に、突然、建設会社の社長になりました。

振り返ると、大事な局面のときほど深い理由がなく、直感で決断しているようです。

地方の建設会社というのは、ソーシャルビジネスの世界とはあまりにも違います。本当に大変でした。必要に迫られてゴルフをはじめたり…。

ただ、建設業というのはとても難しい仕事なんだということが、よくわかりました。僕は現場に行っても「すごいね」しか言っていません。建物をつくりなおせるというのは、本当にすごい技術なんです。

建設会社の社長業を学びながら、なんとか頑張って丸2年たったときです。

コロナが始まりました。そして住まいをかりれず、大変な状況にあるシングルマザーがたくさんいることを知りました。

建設会社の強みをいかしたシングルマザーの支援

母子がDVなどの理由で逃げてきた場合、住まいをかりられず、住所がないので行政支援も受けられない・・・ということが起きてしまいます。

そうでなくとも、高い日本の子どもの貧困率。コロナでその状況は、より深刻になっていました。

住まいがないことを起点に起こる、生活再建を阻む負のスパイラル


金融ビジネスを応用して社会課題を解決すること、複数のNPOを経営した経験、建設会社の社長をしながら学んだこと――。

これまで自分が仕事を通じて得た経験や知識をいかして、コロナで大変な状況におかれた母子のために、何かできないか?と考えました。

こうしてはじめたのが「|LivEQuality《リブクオリティ》」という、困窮しているシングルマザーの住まいや暮らしをサポートする取り組みです。

暮らしは誰にとっても大事で、その豊かさの源泉でもある住まいも誰にとっても大事です。すべての人にゆたかな暮らしを届けたい。|LivEQuality《リブクオリティという名前には、Live(くらし)、Quality(質・豊かさ)、Equality(公平さ)という意味が込められています。

この「|LivEQuality《リブクオリティ》」という取り組みを、3つの法人をつくってはじめました。

千年ちとせ建設」がもつ技術でリノベーションした安心安全な住まいを、「株式会社LivEQuality大家さん」が困窮するシングルマザーに低価格で提供し、「NPO法人LivEQuality HUB」が伴走やコミュニティづくりを行って、暮らしを日常的にサポートするーー。

NPOとビジネスのハイブリッドで取り組んでいます。

いまは行政だけでなく、営利企業もかなりの社会課題を解決しています。ただ、行政も営利企業もどちらもうまくいかずに失敗している分野もあります。僕たちが取り組むシングルマザー支援もまさにそうです。

住所がないことで支援できない行政と、安定した収入や身元保証がないことで住まいをかせない営利企業。その狭間で、生活再建を阻む負のスパイラルに陥り困窮している母子。こういった領域こそ、ビジネスとソーシャル両方のよさをいかした、ハイブリッド型の支援スキームが有効だと感じています。

たとえば最近では、株式会社LivEQuality大家さんで「インパクト投資家」と言われる方々から資金を調達。投資家の方々も一緒に社会を変えていく挑戦もはじめました。

高まる住居支援ニーズに比べて、まだまだ物件数が不足していて、1社の資金力と信用力では限界を迎えています。

インパクト投資家の皆さんの力をお借りして、アフォーダブルハウジング*に活用する物件、30戸を新たに取得することができました。

*アフォーダブルハウジングとは
「住宅確保困難者」と言われる人々を中心に、保証人なし・初期費用なし、リーズナブルな家賃で貸し出すこと

またこのインパクトボンドを活用した資金調達は、単なる1社の資金調達に留まりません。日本の「インパクト投資の活用によるアフォーダブルハウジングの普及」に向けた大きな一歩だと思っています。

このモデルが広がれば、今よりももっと、住まいを失った母子に「安心安全な”住まい”と”繋がり”」を届けられるようになるはず。そう思って挑戦しています。

地方の中小企業の社長になったから気づいたこと

若いときには思いもしなかった、地方の建設会社の社長という仕事。

今ではその経験もいかして、社会課題解決型のソーシャルビジネスやNPOを立ち上げ、挑戦することができるようになりました。

気づいたことがあります。

僕はソーシャルセクターでずっと仕事をしてきて、地方のファミリービジネスを承継しました。ファミリービジネスは、世代を超えてビジネス作っていきます。80年・100年と続いている企業さんになると、短期的な思考では物事を考えていません。

時間軸が長いファミリービジネスは、市場経済の中だけでは解決できない社会課題を解決しようとするソーシャルビジネスと、とても相性がいいと思っています。

ソーシャルビジネスとファミリービジネスを営む地方の中小企業というのは、まだ気づかれていないポテンシャルがある分野、という気がしてなりません。

なので今、一生懸命探求しているところです。

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