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MCハマーと、プリンスと。

SNSをやっていると、ややこしいことも多少はあるけれど、ビックリするようなビッグなこともあるんですね。

ある日、僕のツイッター(X)にお知らせが。

MC HAMMERさんにフォローされました


もちろん直接の面識もないし、誰かが紹介してくれたわけでもありません。

僕が一方的に聴いて、視て、こちらからみてMCハマーが右に動けば右に、左に行けば左に(つまり逆方向)にダンスを真似していましたが。


「きっと誰かが彼の名を使っているんだろう」


と思いながら、クリックしてみたら、なんとフォロワーが311万を超えているじゃないですか!しかもダンス、ヒップポップについて投稿されてる!!!

「ぎょえー、本物だぁー!」

思わず、横向きにステップしてしまいました。(ストップ、ハマータイム)

それにしても、僕のツイッターのアカウントは、ほとんど日本語投稿だから、彼の役に立つとは思えないですが・・・。

でも、きっとこれも何かのご縁。

ときどき彼の投稿の感想や日本語訳を引用リツイートをするようになりました。日本にもあなたの音楽で踊った人がたくさんいる。それを伝えたかったんです。

そんなこんなで、ある時、僕は次のような投稿をしました。

僕らの世代はMC HAMMERの音楽や映像をきっかけに、ファンクのレジェンドたちを知りました。


 僕自身、MCハマーの U Can't Touch Thisを聴いて、元曲であるリック・ジェイムスのスーパーフリークを知ったし、ジェームズ・ブラウンのスーパーバッド、ジャクソン5のダンスマシンなんかも、彼のアルバムやビデオで知ったので。


すると・・・彼からこのようなリプライが!!!

それは究極の賛辞です。 私は尊敬するアーティストの楽曲を解釈するだけでなく、その音楽を愛したからこそ、彼らと個人的な関係を築いてきました。 マーロンをプロデュースし、ジャネットと親交を深め、マイケル・ジャクソンから学び(ツアーコンセプトを提供し)、リック・ジェイムスをサポートし、 プリンスのPaisley Parkで2 lesitのアルバムを制作しました。ジェームズ・ブラウン(私のゴッドファーザー)とはいつも話をしては、歴史的な瞬間を共に創りました。自宅にはロジャー・トラウトマンを招き、彼の家兼スタジオで彼とコラボレーションをしました。 数百万人の新しい世代に彼らの音楽を紹介できたことは光栄です。ファンクは私の上ではなく、私の中にあります。MCハマー

MC HAMMERのツイートの和訳

うわー、知らなかったー!今明かされる、MCハマーの真実。

 当時、ヒップホップのアルバムが1位を独走する、ということ自体が初の出来事で、『プリーズ・ハマー・ドント・ハーテム』(Please Hammer, Don't Hurt 'Em)は、21週連続1位、ヒップホップアルバム初のダイヤモンドディスクに認定され1000万枚以上売り上げ、現在まで2200万枚以上売れています。

あまりに売れ過ぎたから、だと思うけれど、当時、彼の楽曲を「おいしいとこどりだ」的に批判する人たちもいたわけですが。

 彼の投稿から、(今よりもゆるい時代だったとはいえ)MCハマーが楽曲をサンプリングしたり、カバーしたりして良好な関係構築できたのは、先輩レジェンドたちへの敬意が伝わったからなんだーーー、と腑に落ちたわけです。

そして、もうひとつ。プリンスのスタジオでもアルバムを録音・制作していた事実。1985年からリアルタイムでプリンスを追っかけてきたけれど、これは初めて知った話でした。

で、ここからは、MCハマーとプリンスが他のラインでもつながるお話です。

 プリンスは若手の頃(20歳ごろ)、当時”パンクファンク”と呼ばれたリック・ジェームスの前座でツアーをやっていた時期があります。リック・ジェームスとプリンスの間でちょっとしたトラブルが起きます。

リック・ジェームス

「リック・ジェームスのステージアクションをプリンスが真似した」ということで、リックが「仕返し」として、プリンスのシンセサイザーを盗んだのです。

 当時、プリンスのシンセサイザーにはプリンスがつくったオリジナルのサウンドもプログラミングされていて、リック・ジェームスはプリンスのシンセサイザーを使ってアルバム『ストリート・ソングス』を完成させます。そしてシンセサイザーは、お礼のカードと共にプリンスの元に送り返されたそうです。

同アルバムからの「ギブ・イット・トゥ・ミー・ベイビー」「スーパー・フリーク」の2曲はリック・ジェームスを代表するシングルヒットに。

そしてリック・ジェームスの「スーパーフリーク」をサンプリングしたのが、MCハマー最大のヒット曲、U Can’t Touch This。


You Tubeでの再生回数は8億回を軽く超えています。WOW!

プリンスが試行錯誤を重ねてつくったサウンドが、全く本人の意図とは違った方向ではあるものの(笑)リック・ジェームスとMCハマーにこのような形で影響していたって、面白いですね。

ちなみにこの話だけ書くと、「リック・ジェームスが悪いヤツ」みたいな話になってしまいますが(しかもパブリックイメージも割とそんな感じなのですが)、おそらく初公開だろうリック・ジェームスのお話を。

 リック・ジェームスが再婚したとき、相手方(母)の連れ子にデナさんという少女がいました。リック・ジェームスはデナさんを実の娘のように可愛がり、進学に関する費用も彼が全面的に請け負います。デナさんはリックのおかげで学業を修めることができました。

 デナさんは大人になり、Pファンク出身のトロンボーン、グレッグ・ボイヤーと結婚します。グレッグ・ボイヤーは2002年にプリンスのバンドに加入し、ホーンセクションのアレンジを担当。「リアルミュージックバイリアルミュージシャン」(本物の音楽家による本物の音楽)を掲げていた時期のプリンスの活動をガッチリ支えた人です。

 デナさんは、若き日のプリンスと同じバンに乗ってツアー先を巡業していた一座の「同乗者」でした。20歳の頃のプリンスをもっともよく知る同世代女子。2002年にデナさんに久しぶりに再会したプリンスは、かなり恥ずかしそうにしていたそうです。(この話は、グレッグ・ボイヤーから伺いました)

その頃(1980年)のリック・ジェームスのツアーのCMがありましたので、貼っておきますね!

俺は死はこの世を去るって意味じゃないと思ってる。
死はある時、俺がリアルタイムで話せなくなった時のことだと思う。

リアルタイムではなくなったけど、MCハマーの発信のおかげで、プリンスの存在が感じられます。

MCハマーとプリンスはどんな会話を交わしたんだろう?きっと何かアドバイスをしたのかな?もしかしたら何かレコーディングしたかも?

新たな化石や遺跡、資料が発見されるたびに、歴史が書き換えられるように、いろんなイメージと仮説が浮かんできちゃいます。

そしてこのようなエピソードを知ることで、プリンスはもちろんのこと、MCハマーも、リック・ジェームスも、ファンクのレジェンドたちも、

「おおお、もっときちんと聴いてみよう!」

と思えるし、今まで数え切れないほど聴いてきたはずの楽曲が、また違って聴こえてくるのです。

プリンスは世を去ったわけじゃない。その影響は今ここにある。「プリンスの定義通りだなぁ」と深く感じ入っております。流石、殿下。

ニューパワーは永遠に。
プリンスのソウルが次世代に伝わりますように。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました! Takki

PS.amazon.com soul music 1位を獲得、678ページにわたる殿下の言葉。


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