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紫本2-4 不安の意義

ライバルが現れることで嫉妬と同時に不安に駆られる人もいるでしょう。

「不安のない日常であれば、どれほど幸せだろうか」
「事故や病気の心配なく、心落ち着いて過ごせたらどんなに充実するだろうか」
「誰かの顔色を伺うことなく自分らしく生きられたらどんなに楽しいだろうか」

私はしょっちゅうそんなことを考え、そして願ってきました。  

しかし、ほんとうに不安はすべて取り除くべきものなのでしょうか?

車を運転したら、対向車線の大型トラックが急にこちらに激突するかもしれない。ずっと信じてきたパートナーが、極秘情報を流出させるかもしれない。どこかの国のミサイルが海ではなく、都市に落ちるかもしれない。

このように何かを疑いだしたらキリがないくらい、私たちの脳は不安をいくらでも見つけだします。少しシニカルな見方をすれば、私たちは「明日もまた太陽が昇るだろう」という希望の下に生きていると言えるでしょう。

進化心理学という学問では「不安によって動く」のが人間の行動原理であるとされています。私たちがテクノロジーや文化を発展させてきた動力源は「不安」の感情にあるというわけです。

いま我々が主食として口にするのは、野生に生えている植物ではなく、米や小麦などの穀物です。「もう何日も食料となる獲物が捕れていない。このままでは我ら一族はみな餓死してしまう。どうしよう?」そんな不安が、食料の保存技術を生み、狩猟主体から農耕主体に生活様式を転換させました。

日本では「ちょっとしたかすり傷」くらいで命の心配をすることはありません。軽症のものは、傷口を清潔にして保護すれば、数日で治ってしまうでしょう。「かすり傷ぐらいで大袈裟な」というセリフが成立するのは、破傷風(致死率50%の怖ろしさ)に対するワクチンが開発され、予防接種が義務付けられているからです。

焼肉屋さんに行くと、肉を焼くための箸やトングと、食べるための箸は「別々に」出てくるのが既に常識となっていますが、この変化もO111やО157などの腸管出血性大腸菌による食中毒のリスクを減じる予防策です。

これらの菌は腸管内で青酸カリ(200mg~300mgで成人の致死量)のさらに5000倍の強さとも言われる「ベロ毒素」を放出し、激しい下痢や血便はもちろん、急性脳症や腎障害、溶血性尿毒症症候群など極めて重篤な合併症を引き起こします。

ユッケやレバ刺など、牛肉の生食文化が消え去ってしまったのはとても残念ではありますが、それも犠牲になった方々の尊い命のメッセージだと思うと、多くの人々の命を守る転換点であったと考えられます。

このように食料、感染や病気、事故や災害など、私たちはずっとずっと長い間、死ぬかもしれない環境の中で生き延びてきました。ですから「定常状態との小さな違和感」は生きるための高性能センサーであり、「不安」は「命を守る行動原理を惹起する極めて重要な感情」です。

「不安を感じる」ことについては思い悩む必要はありません。問題は、不安にがんじがらめになって適切な行動できなくなること、あるいは不安のあまり行動する気力自体が失われることです。

だからこそ「不安を適切な行動に変換できているか?」「不安につかまって摩耗しているか?」について意識的であっていいと思います。
(『強さの磨き方』 弱さの見つけ方より)

紫本、無料公開中。


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