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「声をかけてもらえる」以上の肯定を僕は知らない。

誰かに声をかけてもらう。

これって本当に有り難いことだなぁ、と僕はしみじみ思う。
声がかかるって「キミはここにいていいよ」ってことだから。

あちこちで自己肯定感という言葉が聞かれるようになったけど、
「声をかけてもらえる」以上の肯定を僕は知らない。

誰かがもたらしてくれる新しい機会は、自分の新しい面を見せてくれる。

僕の例になってしまうけど、僕は大学受験に失敗して2年浪人したが、その2年で

・どんなことを考えたのか?
・何を失い、何を得たのか?
・どんなことに苦しみ、どんなことを喜んできたのか?
・現在にどんな影響を与えているか?

ゆっくり考えることもないまま、ここまで来てしまった。

失敗につぐ失敗、苦し紛れの七転八倒、試行錯誤とは名ばかりの悪あがき、10代ラストのリベンジマッチ・・・たしかにその道を通ってきたんだけど、その時代が何をもたらしたのか?おそらく、これからも考える機会もなく過ごしただろう。

しかし僕の浪人時代のエピソードが、ほんの少しだけ誰かの役に立つかもしれない機会がやってきた。

誰かに声をかけてもらう。

これって本当に有り難いことだなぁ、と僕はふたたび思う。
声がかかるって「僕の過去の失敗も誰かの役に立つ」ってことだから。

だから僕もなるべく声をかけるようにしているんだ。

PS 浪人って「本当にそうなりたいか?」を問われてる期間かも知れないですね。





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