砂は決して休まない。
曇り。
昨晩、安部公房の『砂の女』を読み終えた。
気づけば空が白みかかっていた。
午前中はアラームを無視してしまった。
早起きならず。
午後絵を描いた。
迷走。
テレピン(油絵の溶き油)を吸い込みすぎて、少し気持ち悪い。
夕方髪を切りに行った。
美容室は最も苦手な空間の一つなので、行くのに勇気がいる。
カットのみ1500円。
友人が作った晩御飯。
タコとエリンギのアヒージョ
スペイン風ポテトオムレツ
ねぶとのフリッター
サラダ
アヒージョの味が好みすぎて大満足だった。
『砂の女』は、砂丘のなかの孤立した部落に幽閉された男の苦悩と心変わりを描いた小説。
世界的な名著であり、安部公房は幻想的な作家と聞いていたから以前から読んでみたいと思っていた。
以下、拙文要約。
主人公の男は、昆虫採集が趣味の平凡な教師である。
男は思いきった休暇を取り、ハンミョウの新種を探しに出掛ける。
ある駅に降り立った男は、この頃関心を寄せていた「砂」に導かれるように海に近い砂丘の中の孤立した部落に辿り着く。
村の老人の案内で一晩泊まる場所を手配されるが、この村の家は砂の穴深くにあり、まるで蟻地獄の住み家のようであった。
縄梯子をつたい、穴の底に降りるとそこには女がいた。
女は30代の未亡人で、たった一人砂の洞穴に住んでいた。
客人は温かく迎えられ、男もそれをこころよく思うが、夜半に繰り広げられた女の驚くべき生活様式がこの部落の抱える途方もない不条理を写し出す。
つまり、ここに住むには家を守るために毎夜一晩中砂掻きをしなければならないのだ。
男は、女がそのか細い腕で立ち向かう強烈な現実に戸惑う。
砂が全てを腐らせる、と不可解なことを女が言うのだ。
そして男はこの土地の奇妙な砂の性質と女のふるうスコップの音を気にしながらも、明日の昆虫採集の収穫を夢見る。
しかし翌朝、地上へ登るための縄梯子はなかった。
縄梯子がなければ、決して元の日常へは戻れない。
上によじ登ることなどできない。
砂の壁の威力はそれほど途方もなかった。
男は部落全体に罠にかけられ、村の新たな労働力として不当に監禁されたのだった。
砂にむせぶ耐え難い圧迫の生活を強いられながら男は何度も脱出を試みるが、厳しい部落の監視と特殊な地形に対する無知によって、あえなく失敗する。
女はただ、男のするようにさせ、男の身体を丁寧に拭うことと、ラジオと鏡を手に入れることだけを慰みに目の前の崩れ落ちる砂の壁に向き合う。
不条理に揉まれ、砂に渇き、女を貪った男は次第に部落での生活に順応してくる。
さらには砂丘の中に自分の研究となるに相応しい《希望》を見つけ、その日々を溜水装置の改善に打ち込む。
そしてある日女が痛みを訴える。
子宮外妊娠した女が、穴から連れ出され部落の人間によって病院に運ばれると、穴の中に一人残った男の前には縄梯子が降りたままだった。
しかし男はもはや縄梯子を登らず、むしろ溜水装置のことを戻ってきた部落の人間に話すことを心待ちにしていたのだった。
一方、男が以前に暮らしていた世間では、失踪者の届け出が受理され、法律は男の死を認めていた。
緩やかな堕落と不可解な拘束に甘んじる現代人の渇きと閉塞感が、無限の砂の舞台の上で象徴的に浮かび上がる。
作者は言う、
砂を舐めてみなければ、おそらく希望の味も分るまい。
緩慢な流動を続け、我々を捉えて離さない不可解な現実は、しかしわれわれの手に握られることはなく、すべてを圧し殺し埋め尽くしていく。
砂は決して休まない。